都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「野村和弘 ライオン」 タグチファインアート 12/8
タグチファインアート(中央区日本橋茅場町)
「野村和弘 ライオン」
11/19~12/24
タグチファインアートで開催中の野村和弘氏の個展です。タイトルは「ライオン」。素人的には、何か動物のライオンに関係した作品の展示かと思ってしまいますが、会場内に入ると、それは簡単に覆されました。小さくて真っ赤に塗られたキャンバスがポツンポツンと数点。ギャラリーの無機質な空間に浮かぶ赤の連鎖。「何も描いてないのか。」一瞬そう思ってしまいますが、近づいて見てみることで、初めて作品が姿を現してくれました。
キャンバスには超ミクロの点が、木や草のような象りを持って配されています。黒、黄、オレンジ、白など。爪楊枝の先よりも細く、目を凝らして見ないと分からないほどに小さな点。野村氏によれば、この点にて描かれた植物は「生命の樹」なのだそうです。一本の樹に6つの果実がなっている。良く見れば、確かに、幹の太さとは不釣り合いなほどに大きい実が、枝からぶら下がっていることが分かります。一見無機質な真っ赤なキャンバスに生った果実。近づいて、なめ回すようにキャンバスを見ることで、ようやく果実が生っていることが見て取れるのです。
「生命の樹」の下には、同じく超ミクロの点にて、何らかの数字が書かれていました。その数字は、各キャンバスに使われた点の総数なのだそうです。作品のスタイルは実に簡素でありながらも、謎解きを一つずつ解すようにじっくりと見させる。全貌を直ぐさま現さない。キャンバスの前に漠然と立って鑑賞することを拒んで、見ることを強制するかのように訴えかけてきます。作品を見ることはどういうことなのかと言う、半ば当たり前な美術の見方を、もう一度立ち返って考えさせる意味もあるのでしょうか。
一点だけ、緑のキャンバスの作品がありました。赤のキャンバスよりも、点の色が目立ち、果実が前面に押し出されてきます。この作品に一番惹かれました。唯一、この作品の前だけは、何かホッとさせられるような空気が流れています。
さて、初めにも触れたタイトルの「ライオン」。作品を見ただけでその意を汲み取られる方は、まずいないのではないでしょうか。その謎は、タグチファインアートのサイト内にて明かされています。
「ライオン」云々以前に、丁寧に仕上げられたキャンバス(その額も含めて。)の色、またはミクロの、まるで作家の細かい神経が通ったような点、そしてどことなく漂う緊張感が魅力的な作品です。抽象性の中に潜む、自然へと開かれた絵心。素直に面白いと思いました。
「野村和弘 ライオン」
11/19~12/24
タグチファインアートで開催中の野村和弘氏の個展です。タイトルは「ライオン」。素人的には、何か動物のライオンに関係した作品の展示かと思ってしまいますが、会場内に入ると、それは簡単に覆されました。小さくて真っ赤に塗られたキャンバスがポツンポツンと数点。ギャラリーの無機質な空間に浮かぶ赤の連鎖。「何も描いてないのか。」一瞬そう思ってしまいますが、近づいて見てみることで、初めて作品が姿を現してくれました。
キャンバスには超ミクロの点が、木や草のような象りを持って配されています。黒、黄、オレンジ、白など。爪楊枝の先よりも細く、目を凝らして見ないと分からないほどに小さな点。野村氏によれば、この点にて描かれた植物は「生命の樹」なのだそうです。一本の樹に6つの果実がなっている。良く見れば、確かに、幹の太さとは不釣り合いなほどに大きい実が、枝からぶら下がっていることが分かります。一見無機質な真っ赤なキャンバスに生った果実。近づいて、なめ回すようにキャンバスを見ることで、ようやく果実が生っていることが見て取れるのです。
「生命の樹」の下には、同じく超ミクロの点にて、何らかの数字が書かれていました。その数字は、各キャンバスに使われた点の総数なのだそうです。作品のスタイルは実に簡素でありながらも、謎解きを一つずつ解すようにじっくりと見させる。全貌を直ぐさま現さない。キャンバスの前に漠然と立って鑑賞することを拒んで、見ることを強制するかのように訴えかけてきます。作品を見ることはどういうことなのかと言う、半ば当たり前な美術の見方を、もう一度立ち返って考えさせる意味もあるのでしょうか。
一点だけ、緑のキャンバスの作品がありました。赤のキャンバスよりも、点の色が目立ち、果実が前面に押し出されてきます。この作品に一番惹かれました。唯一、この作品の前だけは、何かホッとさせられるような空気が流れています。
さて、初めにも触れたタイトルの「ライオン」。作品を見ただけでその意を汲み取られる方は、まずいないのではないでしょうか。その謎は、タグチファインアートのサイト内にて明かされています。
「ライオン」云々以前に、丁寧に仕上げられたキャンバス(その額も含めて。)の色、またはミクロの、まるで作家の細かい神経が通ったような点、そしてどことなく漂う緊張感が魅力的な作品です。抽象性の中に潜む、自然へと開かれた絵心。素直に面白いと思いました。
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「江戸絵画のたのしみ」 千葉市美術館 12/4
千葉市美術館(千葉市中央区中央)
「平成17年度所蔵作品展5 江戸絵画の楽しみ」
10/25~12/4(会期終了)
ミラノ展と同時開催されていた、江戸期の日本絵画の展覧会です。タイトルも会場の雰囲気も共に地味ではありますが、中は名品揃いでかなり見応えがあります。千葉市美術館のコレクションにて構成された企画ですが、この美術館の所蔵品展は、毎度のことながら本当に目が離せません。
やはり見所は、あまりも凄まじい伊藤若冲の三点です。墨にて、殆ど一筆書きのようにサラッと軽妙に描かれた「寿老人・孔雀・菊図」と、月明かりに照らされた梅の花が美しい「月夜白梅図」、さらには透き通るようなオウムの羽が見事としか言い様のない「鸚鵡図」。どれも、若冲の類い稀な才能を存分に味わうことの出来る素晴らしい作品ですが、その中でも「鸚鵡図」は絶品です。
この作品では、特にオウムの真白な羽の描写が非常に優れています。羽は丁寧に一枚一枚小気味良いタッチにて描かれていて、そのフワフワとしたような柔らかな質感と、オウムの体つきの立体感が見事に表現されていますが、さらにその羽が、まるで霧のように朧げにぼかされて、絹本の目地に染み渡るかのように、美しく透き通っているのです。羽と羽の隙間から、今にも空気がもれてきそうなほどに、全く平面的にならないで、厚みを持たして描かれる様子。そして、その羽から浮き出てくるような嘴と目の立体感。または羽との美しい対比。これには参りました。
また、オウムの止まっている台の精巧さにも目を見張らされます。鮮やかな赤と緑、それに青の三色にて、細かい意匠が細部にまで凝らされた、まるで十字架のような台の美しさ。オウムの存在感に全く負けることはありません。台からぶら下がるチェーンのたわみまで実に自然に表現され、その果てにはチェーンの下に繋がる装飾品にまで、しなやかな揺らぎが与えられています。この一点を見るだけでも、今回の展覧会の価値は十分にあると思うほどです。
若冲以外にも、円山応挙や池大雅の作品などが見応え十分でした。池大雅の「竹梅図」。上へ上へと伸びゆく竹の力。葉も実に端正に、その表面のスベスベとした感触が伝わるほど、生き生きと描かれています。墨にて描かれた竹の作品にて、これほどに力感が漲っているのも珍しいのではないでしょうか。
展覧会の構成もなかなか秀逸でした。単に時系列に、またはジャンル別に作品を見せるのではなく、例えば「いろいろな形」や「身の回りの小さな情景を描く」など、それぞれにテーマを設定して作品を展示します。特に「筆墨の技を味わう」のセクションでは、水墨画の技法、例えば、指墨(指や爪に墨をつけて描く。)などが紹介されました。なかなか興味深い展示です。
ミラノ展の「オマケ」とするのには、あまりにも勿体ない展覧会でした。この美術館の日本画のコレクションは、これからも追っかけていきたいです。
「平成17年度所蔵作品展5 江戸絵画の楽しみ」
10/25~12/4(会期終了)
ミラノ展と同時開催されていた、江戸期の日本絵画の展覧会です。タイトルも会場の雰囲気も共に地味ではありますが、中は名品揃いでかなり見応えがあります。千葉市美術館のコレクションにて構成された企画ですが、この美術館の所蔵品展は、毎度のことながら本当に目が離せません。
やはり見所は、あまりも凄まじい伊藤若冲の三点です。墨にて、殆ど一筆書きのようにサラッと軽妙に描かれた「寿老人・孔雀・菊図」と、月明かりに照らされた梅の花が美しい「月夜白梅図」、さらには透き通るようなオウムの羽が見事としか言い様のない「鸚鵡図」。どれも、若冲の類い稀な才能を存分に味わうことの出来る素晴らしい作品ですが、その中でも「鸚鵡図」は絶品です。
この作品では、特にオウムの真白な羽の描写が非常に優れています。羽は丁寧に一枚一枚小気味良いタッチにて描かれていて、そのフワフワとしたような柔らかな質感と、オウムの体つきの立体感が見事に表現されていますが、さらにその羽が、まるで霧のように朧げにぼかされて、絹本の目地に染み渡るかのように、美しく透き通っているのです。羽と羽の隙間から、今にも空気がもれてきそうなほどに、全く平面的にならないで、厚みを持たして描かれる様子。そして、その羽から浮き出てくるような嘴と目の立体感。または羽との美しい対比。これには参りました。
また、オウムの止まっている台の精巧さにも目を見張らされます。鮮やかな赤と緑、それに青の三色にて、細かい意匠が細部にまで凝らされた、まるで十字架のような台の美しさ。オウムの存在感に全く負けることはありません。台からぶら下がるチェーンのたわみまで実に自然に表現され、その果てにはチェーンの下に繋がる装飾品にまで、しなやかな揺らぎが与えられています。この一点を見るだけでも、今回の展覧会の価値は十分にあると思うほどです。
若冲以外にも、円山応挙や池大雅の作品などが見応え十分でした。池大雅の「竹梅図」。上へ上へと伸びゆく竹の力。葉も実に端正に、その表面のスベスベとした感触が伝わるほど、生き生きと描かれています。墨にて描かれた竹の作品にて、これほどに力感が漲っているのも珍しいのではないでしょうか。
展覧会の構成もなかなか秀逸でした。単に時系列に、またはジャンル別に作品を見せるのではなく、例えば「いろいろな形」や「身の回りの小さな情景を描く」など、それぞれにテーマを設定して作品を展示します。特に「筆墨の技を味わう」のセクションでは、水墨画の技法、例えば、指墨(指や爪に墨をつけて描く。)などが紹介されました。なかなか興味深い展示です。
ミラノ展の「オマケ」とするのには、あまりにも勿体ない展覧会でした。この美術館の日本画のコレクションは、これからも追っかけていきたいです。
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