都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ミラノ展」 千葉市美術館 12/4
千葉市美術館(千葉市中央区中央)
「ミラノ展 -都市の芸術と歴史- 」
10/25~12/4(会期終了)
ミラノの長い芸術史にスポットを当てた異色の展覧会です。展示作品数は約70点ほど。3世紀頃の銀杯からダ・ヴィンチを超えて、カナレットからモランディ、さらにはフォンターナまでも網羅します。今回も、恵泉女学園大学の池上英洋さんご引率の鑑賞会に参加して見てきました。(以下、レクチャーのメモを引用しながらの感想です。)
ミラノの起源は約紀元前4世紀頃。ローマによって「ガリア人の地」と呼ばれたミラノは、南欧の中心として、主に西ローマ帝国の首都になった以降栄えていきます。(286年~ミラノ帝都時代)その後、コンスタンティヌス1世による「ミラノ勅令」によってキリスト教が公認(313年)され、初代ミラノ司教に聖アンプロシウスが(4世紀後半)登場。これによって、ミラノはキリスト教美術の最先端の地としても発展します。しかし、その後のホノリウスによるラヴェンナ遷都(404年)により、ミラノの地位は徐々に低下。最終的にはゲルマンの侵攻を受けて、長い「停滞期」へと突入していく。ミラノが再び脚光を浴びるのは、コムーネと呼ばれる自治都市の時代。特にその最大の都市として輝く、12世紀以降のことでした。
ローマ時代の品はあまり多く展示されていません。円柱上に守り神のように載せられていたという「皇帝の肖像」。(3-4世紀。肖像はマクシミニアヌスの可能性。)鼻と顎の部分が外れていましたが、がっしりとした味わいを見せています。また、大理石が主流であったこの時期としては珍しいブロンズ製の「男子胸像」(3世紀末?)、さらには、司教座教会(ドゥオーモ)に置くための聖遺物を入れたとされる、「聖ナザーロの聖遺物箱用容器」(4世紀、東方三博士の礼拝の場面が描かれている。)などが並びます。
中世の都市国家ミラノをまず支配したのはヴィスコンティ家です。この時期に、名高いミラノ大聖堂(ドゥオーモ)が建設され始めますが、その後、傭兵隊長上がりとも揶揄されたフランチェスコ・スフォルツァに主権が移ります。このヴィスコンティ家とスフォルツァ家は、共に中世ミラノ美術史にとって非常に重要です。美術を保護し、芸術家のパトロンとして、この時期のミラノの美術を支えた両家。かのダ・ヴィンチを宮廷へ招いたのもスフォルツァ家の一員、イル・モーロ(1452-1508年)です。
展覧会のハイライトも、このヴィスコンティ家とスフォルツァ家によるミラノ支配期の展示でしょうか。街の守護聖人として、ミラノの街のミニチュアを腕に抱いて立つ像「聖母マリアにひざまずき都市ミラノを献ずる聖アンブロシウス」(1330年)や、個人礼拝時に、各々が接吻して信仰を示したと言う、その名も「接吻牌(パーチェ)」(15世紀半ば。牌の中央にヴィスコンティ家の紋章。聖体拝領的な儀式。現在、この習慣は残っていない。)、さらには宮廷内の娯楽用として使われた美しいタロットカード「ヴィスコンティ家のタロットカード」(1447年頃)などが並びます。この中では特に、最後のタロットカードが印象に残りました。一見、まるで薄い石板にて出来ているようですが、実は厚紙にて作られていて、それぞれ計四枚のカードには、剣(スペード)、棒(クラブ)、杯(ハート)、金貨(ダイヤ)の絵柄が、実に精巧に描かれています。当時の宮廷の権勢を示すような贅沢な品です。
スフォルツァやその妻の描かれた作品(「フォランチェスコ・スフォルツァおよびビアンカ・マリア・ヴィスコンティの肖像」)を見た後は、いよいよレオナルド・ダ・ヴィンチ(とされる)の二作品が迎えてくれます。それが、共にチョークにて描かれた、「レダの頭部」(1511-1519年)と「キリストの頭部」(1494年頃)です。作品の魅力、完成度とも、圧倒的に前者が勝っているでしょうか。未だ見つかっていない(もしくは失われた)「レダと白鳥」の一部分を、素描にて美しく捉えた「レダの頭部」。まさにレオナルド的とも言える、水流のような美しい髪の毛の描写はもちろんのこと、その顔の表情も絶品です。モナリザを思わせるような口の立体感と、控えめに伸びた柔らかい鼻筋、さらには、深い陰影を見せる目の描写。どれもが自然と透き通るように、そしてミクロの点を端正に積み重ねたように精巧に描かれています。この二点、つまり「レダの頭部」と「キリストの頭部」は、レオナルドの真作かどうか、研究者によっては解釈が分かれているとのことですが、少なくとも「レダの頭部」に関しては、素描としては実に見応えのある美しい作品です。(一方の「キリストの頭部」は、悪くはありませんが、少々タッチも荒く、いささか魅力に欠けるようです。)
ダ・ヴィンチの弟子である、ベルナルディーノ・ルイーニ(弟子の中では最も成功した。)と、マルコ・ドッジョーノの作品も展示されています。特にドッジョーノの「カナの婚礼」(1519-1522年)は面白い作品です。ヨハネ福音書におけるイエスの「奇蹟」の場面を描いたこの作品は、構図がどこか「最後の晩餐」のよう。新郎がどこに描かれているのか分からないとのことで、やや謎めいた画面を見せていますが、明朗で華やかな雰囲気はなかなか魅力的です。(ルイーニの「ハムの嘲笑」は、レオナルド的な構図と、リッピやラファエロを思わせる鮮やかな色彩が見事とのことでした。)
「レオナルド的」と言えば、ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」から場面を借りた作品、チェザーレ・ダ・セストの「聖母子と子羊」(1515年頃)も面白い構図を見せています。隆々としたミケランジェロ風の肉体。レオナルドを超えて、新たなる時代への萌芽を思わせる作品ですが、構図は当然ながらも、植物の描写や背景の設定などは、レオナルドの技術を忠実に受け継いでいます。イタリア・ルネサンス期の輝かしい美術史における、多様な形式を包み込んだ作品。その折衷が興味深いとのことでした。
ルネサンス期を過ぎ、バロック期へ差し掛かると、イタリアはスペインとフランスの影響下におかれ、その独自性を失い始めます。現在のミラノの文化イメージを象る、スカラ座やブレラなどが力を持ったのは、オーストリア宮廷時代の18世紀のことです。外国文化流入の歴史とも言えるミラノ。1778年、スカラ座のこけら落としとして上演された演目は、映画「アマデウス」にて一躍有名となったアントニオ・サリエリの「エウロパ・リコノシゥータ」。確かにこの辺から、俄然、身近なミラノのイメージが湧き上がってきます。
バロック期の作品としてやはり美しいものは、以前、上野の西洋美術館のドレスデン国立美術館展でも出品があった、カナレットの風景作品です。「聖マルコの象徴~ヴェネツィア」(1742年以前)。細部にまで精巧に描かれた建物や人物。写真の誕生以前の「風景写真」として、特にイギリスにて有名になったカナレットですが、この輝かしい明るさは、イギリスの暗がりにはない光なのかもしれません。
展覧会の第6章、「スカラ座と19世紀のミラノ」のセクションでは、クラシックファンにとって嬉しい作品がいくつか展示されています。その中では、やはりフランチェスコ・アイエツの「ジョアッキーノ・ロッシーニの肖像」(1870年頃)でしょうか。アイエツの肖像画は、もう一点展示されていましたが、それとは比較にならないほど、実に生き生きとした人物像が描かれています。お腹の出た恰幅の良いロッシーニが、楽譜を手にしながらどっぷりと椅子に座る様子。表情は生々しく、顔の皺一本一本まで丁寧に陰影がつけられています。視線を斜めに向けて、やや口を引き締めたようなその顔からは、オペラを書いて書いて書き尽くしたロッシーニの、どことない倦怠感すら感じられます。肖像画としては、これ以上の完成度のものがないと思うほどに優れた作品です。
もう一点は、ヴィンチェンツォ・ジェミトの「ジュセッペ・ヴェルディの肖像」(1873年)です。こちらはブロンズによる彫刻ですが、苦虫を噛み潰したような、ヴェルディの気難しい雰囲気が巧みに表現されています。ヴェルディと言うと、いつも下を向いて、ポケットに手を入れながら、肩をすくめて歩いている印象がありますが、この彫刻のヴェルディはまさにそれでしょう。
最後のセクションは、20世紀ということで、突如現代アートの世界が出現します。渋い色遣いが心に留まるモランディの三点も見応えがありましたが、ここではフォンターナの「空間概念(夜)」(1956年)が特に印象的です。フォンターナと言うと、鮮やかな色彩を放つ画布に、鋭い牙を剥いたようなシャープな切れ込みがイメージされますが、ここで展示されている作品は、鋭さや鮮やかさが全く見られずに、むしろゴツゴツとした無骨な印象を与えてくれます。ボツボツとキャンバスに開けられた無数の穴。どっぷりとのせられた黒の絵具と、スパンコールの僅かな煌めき。しっかりとしていない、崩れ落ちそうな危ういバランス感覚も魅力的です。私のフォンターナへ先入観が覆されるような作品でした。
長々と既に終了した展覧会について書いてしまいましたが、一つの都市の美術史をターゲットにした企画の面白さと、ダ・ヴィンチだけに限らない出品作の質の高さなどがとても印象に残りました。ミラノの文化の多様性の面白さが、良く伝わる内容に仕上がっていたと思います。
「ミラノ展 -都市の芸術と歴史- 」
10/25~12/4(会期終了)
ミラノの長い芸術史にスポットを当てた異色の展覧会です。展示作品数は約70点ほど。3世紀頃の銀杯からダ・ヴィンチを超えて、カナレットからモランディ、さらにはフォンターナまでも網羅します。今回も、恵泉女学園大学の池上英洋さんご引率の鑑賞会に参加して見てきました。(以下、レクチャーのメモを引用しながらの感想です。)
ミラノの起源は約紀元前4世紀頃。ローマによって「ガリア人の地」と呼ばれたミラノは、南欧の中心として、主に西ローマ帝国の首都になった以降栄えていきます。(286年~ミラノ帝都時代)その後、コンスタンティヌス1世による「ミラノ勅令」によってキリスト教が公認(313年)され、初代ミラノ司教に聖アンプロシウスが(4世紀後半)登場。これによって、ミラノはキリスト教美術の最先端の地としても発展します。しかし、その後のホノリウスによるラヴェンナ遷都(404年)により、ミラノの地位は徐々に低下。最終的にはゲルマンの侵攻を受けて、長い「停滞期」へと突入していく。ミラノが再び脚光を浴びるのは、コムーネと呼ばれる自治都市の時代。特にその最大の都市として輝く、12世紀以降のことでした。
ローマ時代の品はあまり多く展示されていません。円柱上に守り神のように載せられていたという「皇帝の肖像」。(3-4世紀。肖像はマクシミニアヌスの可能性。)鼻と顎の部分が外れていましたが、がっしりとした味わいを見せています。また、大理石が主流であったこの時期としては珍しいブロンズ製の「男子胸像」(3世紀末?)、さらには、司教座教会(ドゥオーモ)に置くための聖遺物を入れたとされる、「聖ナザーロの聖遺物箱用容器」(4世紀、東方三博士の礼拝の場面が描かれている。)などが並びます。
中世の都市国家ミラノをまず支配したのはヴィスコンティ家です。この時期に、名高いミラノ大聖堂(ドゥオーモ)が建設され始めますが、その後、傭兵隊長上がりとも揶揄されたフランチェスコ・スフォルツァに主権が移ります。このヴィスコンティ家とスフォルツァ家は、共に中世ミラノ美術史にとって非常に重要です。美術を保護し、芸術家のパトロンとして、この時期のミラノの美術を支えた両家。かのダ・ヴィンチを宮廷へ招いたのもスフォルツァ家の一員、イル・モーロ(1452-1508年)です。
展覧会のハイライトも、このヴィスコンティ家とスフォルツァ家によるミラノ支配期の展示でしょうか。街の守護聖人として、ミラノの街のミニチュアを腕に抱いて立つ像「聖母マリアにひざまずき都市ミラノを献ずる聖アンブロシウス」(1330年)や、個人礼拝時に、各々が接吻して信仰を示したと言う、その名も「接吻牌(パーチェ)」(15世紀半ば。牌の中央にヴィスコンティ家の紋章。聖体拝領的な儀式。現在、この習慣は残っていない。)、さらには宮廷内の娯楽用として使われた美しいタロットカード「ヴィスコンティ家のタロットカード」(1447年頃)などが並びます。この中では特に、最後のタロットカードが印象に残りました。一見、まるで薄い石板にて出来ているようですが、実は厚紙にて作られていて、それぞれ計四枚のカードには、剣(スペード)、棒(クラブ)、杯(ハート)、金貨(ダイヤ)の絵柄が、実に精巧に描かれています。当時の宮廷の権勢を示すような贅沢な品です。
スフォルツァやその妻の描かれた作品(「フォランチェスコ・スフォルツァおよびビアンカ・マリア・ヴィスコンティの肖像」)を見た後は、いよいよレオナルド・ダ・ヴィンチ(とされる)の二作品が迎えてくれます。それが、共にチョークにて描かれた、「レダの頭部」(1511-1519年)と「キリストの頭部」(1494年頃)です。作品の魅力、完成度とも、圧倒的に前者が勝っているでしょうか。未だ見つかっていない(もしくは失われた)「レダと白鳥」の一部分を、素描にて美しく捉えた「レダの頭部」。まさにレオナルド的とも言える、水流のような美しい髪の毛の描写はもちろんのこと、その顔の表情も絶品です。モナリザを思わせるような口の立体感と、控えめに伸びた柔らかい鼻筋、さらには、深い陰影を見せる目の描写。どれもが自然と透き通るように、そしてミクロの点を端正に積み重ねたように精巧に描かれています。この二点、つまり「レダの頭部」と「キリストの頭部」は、レオナルドの真作かどうか、研究者によっては解釈が分かれているとのことですが、少なくとも「レダの頭部」に関しては、素描としては実に見応えのある美しい作品です。(一方の「キリストの頭部」は、悪くはありませんが、少々タッチも荒く、いささか魅力に欠けるようです。)
ダ・ヴィンチの弟子である、ベルナルディーノ・ルイーニ(弟子の中では最も成功した。)と、マルコ・ドッジョーノの作品も展示されています。特にドッジョーノの「カナの婚礼」(1519-1522年)は面白い作品です。ヨハネ福音書におけるイエスの「奇蹟」の場面を描いたこの作品は、構図がどこか「最後の晩餐」のよう。新郎がどこに描かれているのか分からないとのことで、やや謎めいた画面を見せていますが、明朗で華やかな雰囲気はなかなか魅力的です。(ルイーニの「ハムの嘲笑」は、レオナルド的な構図と、リッピやラファエロを思わせる鮮やかな色彩が見事とのことでした。)
「レオナルド的」と言えば、ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」から場面を借りた作品、チェザーレ・ダ・セストの「聖母子と子羊」(1515年頃)も面白い構図を見せています。隆々としたミケランジェロ風の肉体。レオナルドを超えて、新たなる時代への萌芽を思わせる作品ですが、構図は当然ながらも、植物の描写や背景の設定などは、レオナルドの技術を忠実に受け継いでいます。イタリア・ルネサンス期の輝かしい美術史における、多様な形式を包み込んだ作品。その折衷が興味深いとのことでした。
ルネサンス期を過ぎ、バロック期へ差し掛かると、イタリアはスペインとフランスの影響下におかれ、その独自性を失い始めます。現在のミラノの文化イメージを象る、スカラ座やブレラなどが力を持ったのは、オーストリア宮廷時代の18世紀のことです。外国文化流入の歴史とも言えるミラノ。1778年、スカラ座のこけら落としとして上演された演目は、映画「アマデウス」にて一躍有名となったアントニオ・サリエリの「エウロパ・リコノシゥータ」。確かにこの辺から、俄然、身近なミラノのイメージが湧き上がってきます。
バロック期の作品としてやはり美しいものは、以前、上野の西洋美術館のドレスデン国立美術館展でも出品があった、カナレットの風景作品です。「聖マルコの象徴~ヴェネツィア」(1742年以前)。細部にまで精巧に描かれた建物や人物。写真の誕生以前の「風景写真」として、特にイギリスにて有名になったカナレットですが、この輝かしい明るさは、イギリスの暗がりにはない光なのかもしれません。
展覧会の第6章、「スカラ座と19世紀のミラノ」のセクションでは、クラシックファンにとって嬉しい作品がいくつか展示されています。その中では、やはりフランチェスコ・アイエツの「ジョアッキーノ・ロッシーニの肖像」(1870年頃)でしょうか。アイエツの肖像画は、もう一点展示されていましたが、それとは比較にならないほど、実に生き生きとした人物像が描かれています。お腹の出た恰幅の良いロッシーニが、楽譜を手にしながらどっぷりと椅子に座る様子。表情は生々しく、顔の皺一本一本まで丁寧に陰影がつけられています。視線を斜めに向けて、やや口を引き締めたようなその顔からは、オペラを書いて書いて書き尽くしたロッシーニの、どことない倦怠感すら感じられます。肖像画としては、これ以上の完成度のものがないと思うほどに優れた作品です。
もう一点は、ヴィンチェンツォ・ジェミトの「ジュセッペ・ヴェルディの肖像」(1873年)です。こちらはブロンズによる彫刻ですが、苦虫を噛み潰したような、ヴェルディの気難しい雰囲気が巧みに表現されています。ヴェルディと言うと、いつも下を向いて、ポケットに手を入れながら、肩をすくめて歩いている印象がありますが、この彫刻のヴェルディはまさにそれでしょう。
最後のセクションは、20世紀ということで、突如現代アートの世界が出現します。渋い色遣いが心に留まるモランディの三点も見応えがありましたが、ここではフォンターナの「空間概念(夜)」(1956年)が特に印象的です。フォンターナと言うと、鮮やかな色彩を放つ画布に、鋭い牙を剥いたようなシャープな切れ込みがイメージされますが、ここで展示されている作品は、鋭さや鮮やかさが全く見られずに、むしろゴツゴツとした無骨な印象を与えてくれます。ボツボツとキャンバスに開けられた無数の穴。どっぷりとのせられた黒の絵具と、スパンコールの僅かな煌めき。しっかりとしていない、崩れ落ちそうな危ういバランス感覚も魅力的です。私のフォンターナへ先入観が覆されるような作品でした。
長々と既に終了した展覧会について書いてしまいましたが、一つの都市の美術史をターゲットにした企画の面白さと、ダ・ヴィンチだけに限らない出品作の質の高さなどがとても印象に残りました。ミラノの文化の多様性の面白さが、良く伝わる内容に仕上がっていたと思います。
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