都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
新国立劇場 「ホフマン物語」 12/3
新国立劇場 2005/2006シーズン
オッフェンバック「ホフマン物語」
指揮 阪哲朗
演出 フィリップ・アルロー
合唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト
ホフマン クラウス・フロリアン・フォークト
ニクラウス/ミューズ 加納悦子
オランピア 吉原圭子
アントニア 砂川涼子
ジュリエッタ 森田雅美
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット ジェイムズ・モリス
アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ 青地英幸
ルーテル/クレスペル 彭康亮
ヘルマン 黒田諭
ナタナエル 渡辺文智
スパランツァーニ 柴山昌宣
シュレーミル 泉良平
アントニアの母の声/ステッラ 林美智子
2005/12/3 15:00~ 新国立劇場オペラ劇場 4階
2003年のプレミエにて好評を博したという、アルロー演出「ホフマン物語」の再演です。指揮はその時と同じく阪哲朗。私はプレミエを観に行かなかったので、今回が初めてのアルロー、またはホフマン体験となりました。
「光の魔術師」とも形容されるフィリップ・アルローですが、その彼の手に掛かると、ステージはとても華やかに、そして美しく輝きます。蛍光色を多用した衣装と、妖し気に瞬く照明の交錯。舞台はカジュアルな雰囲気で進みますが、どこか耽美的な匂いも漂わせています。また、人物の動きも実に細かく描写されます。心情をコミカルに演出させること。悪役リンドルフが見せる、お茶目な、まるで道化のような演技には驚きです。もちろん、ホフマンの「格調高い」一途な恋心も、なにかマヌケ見えてきます。ロマン派的な、芸術至上主義や愛への賛美は、もっとホフマンの内面にまで降りて来て、半ばドタバタ劇的な心情遍歴へと変換されます。ホフマンの、半ば突発的に湧き上がる感情に寄り添って組み立てられる劇。夢物語の曖昧さとムリヤリ感がストレートに表現されました。夢の中を彷徨うホフマンは、目覚めてみれば破滅するしかなかった。ホフマンの弱さが生み出した、惨たらしい運命の必然性にスポットが当てられます。
読み替えは殆どなく、ストーリーに忠実に展開しますが、幕切れのホフマンの死には仕掛けがありました。酔っぱらって前後不覚となったホフマン。彼はそのまま曖昧に死なずに、アンドレの差し出す拳銃によって、こめかみに弾丸をぶち込むのです。「バン!」と響き渡る大きな銃声。それは、ホフマンの死を、現実としての痛みを伴うかのように、明確に意識させます。また、さらに面白いのは、それまでの「夢物語」の登場人物が、死んだホフマンを囲むようにして現れることです。リンドルフやオランピアが見守るホフマンの死。もちろん、ホフマンの夢物語を生み出したミューズも登場します。そして彼女は、ホフマンの死に「芸術」という名誉を与えることよりも、その死に引導を渡したかのように存在します。ミューズの位置付けが興味深い演出でした。
さて、音楽面については、特に歌手陣が好調です。最近の新国立劇場の公演としても、かなり高水準ではないでしょうか。特にタイトルロールのフォークトと、リンドルフのモリス。発音こそやや不明瞭ですが、声量、質ともに、最上と思えるほどの充実ぶりです。コミカルな演技と凄みのある声。モリスの存在感には、場が引き締まるほどの強さがありますが、フォークトの甘美で柔らかく、また張りのある声も見事です。そして、オランピアの吉原圭子とアントニアの砂川涼子も、共に美しい歌を聴かせてくれました。特に難曲を危なげなくこなした吉原圭子には、大いに拍手を送りたいと思います。また、脇役も手堅く殆ど穴がありません。唯一、少し残念だったのは、ニクラウスの加納悦子でしょうか。彼女には以前、「ナクソス島のアリアドネ」の公演にて、十分に務めを果たしたような美しい歌声を聴かせてくれたことがありますが、今回は、少々分が悪く、他に埋没していました。彼女には、演出によって重要な位置付けが与えられていただけに、もう一歩の存在感があればと思います。
指揮は阪哲朗です。私は彼の音楽を支持します。このオペラの音楽が持つ、軽妙洒脱な柔らかい響きこそ表現されずに、随分と重々しい雰囲気に仕上がっていましたが、それでも、万全とは言えない東フィルを、歌手に寄り添うかのようにしてまとめた手腕は見事です。時には劇的に、山場をはっきりと示しながら、それでいてどこか控えめな所もある器用な指揮ぶり。時折、金管が耳をつんざくように響き渡って、どこか暴力的な様相も呈してきます。第二幕こそ、やや表情がだれるようにも思いましたが、総じて、アクセルとブレーキを交互に踏み分けるように、生き生きとした音楽を作り出していました。また、ホールのサイズに合わせるかのように、無理をしないで、コンパクトにしっかりと聴かせることにも成功しています。カーテンコールでは、冷ややかな拍手にて迎えられていた阪ですが、私が今年聴いた新国立劇場の公演の中では、一月の「マクベス」のフリッツァ、そして9月の「マイスタージンガー」のレックに続いて、感銘した演奏を聴かせてくれました。
今後も再演を重ねて欲しい良質の演出と、失礼ながら実に強力だった歌手陣。見て、聴いて楽しめる公演でした。あと一回、火曜日の公演が予定されていますが、これはおすすめしたいです。
オッフェンバック「ホフマン物語」
指揮 阪哲朗
演出 フィリップ・アルロー
合唱 新国立劇場合唱団
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
キャスト
ホフマン クラウス・フロリアン・フォークト
ニクラウス/ミューズ 加納悦子
オランピア 吉原圭子
アントニア 砂川涼子
ジュリエッタ 森田雅美
リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/ダペルトゥット ジェイムズ・モリス
アンドレ/コシュニーユ/フランツ/ピティキナッチョ 青地英幸
ルーテル/クレスペル 彭康亮
ヘルマン 黒田諭
ナタナエル 渡辺文智
スパランツァーニ 柴山昌宣
シュレーミル 泉良平
アントニアの母の声/ステッラ 林美智子
2005/12/3 15:00~ 新国立劇場オペラ劇場 4階
2003年のプレミエにて好評を博したという、アルロー演出「ホフマン物語」の再演です。指揮はその時と同じく阪哲朗。私はプレミエを観に行かなかったので、今回が初めてのアルロー、またはホフマン体験となりました。
「光の魔術師」とも形容されるフィリップ・アルローですが、その彼の手に掛かると、ステージはとても華やかに、そして美しく輝きます。蛍光色を多用した衣装と、妖し気に瞬く照明の交錯。舞台はカジュアルな雰囲気で進みますが、どこか耽美的な匂いも漂わせています。また、人物の動きも実に細かく描写されます。心情をコミカルに演出させること。悪役リンドルフが見せる、お茶目な、まるで道化のような演技には驚きです。もちろん、ホフマンの「格調高い」一途な恋心も、なにかマヌケ見えてきます。ロマン派的な、芸術至上主義や愛への賛美は、もっとホフマンの内面にまで降りて来て、半ばドタバタ劇的な心情遍歴へと変換されます。ホフマンの、半ば突発的に湧き上がる感情に寄り添って組み立てられる劇。夢物語の曖昧さとムリヤリ感がストレートに表現されました。夢の中を彷徨うホフマンは、目覚めてみれば破滅するしかなかった。ホフマンの弱さが生み出した、惨たらしい運命の必然性にスポットが当てられます。
読み替えは殆どなく、ストーリーに忠実に展開しますが、幕切れのホフマンの死には仕掛けがありました。酔っぱらって前後不覚となったホフマン。彼はそのまま曖昧に死なずに、アンドレの差し出す拳銃によって、こめかみに弾丸をぶち込むのです。「バン!」と響き渡る大きな銃声。それは、ホフマンの死を、現実としての痛みを伴うかのように、明確に意識させます。また、さらに面白いのは、それまでの「夢物語」の登場人物が、死んだホフマンを囲むようにして現れることです。リンドルフやオランピアが見守るホフマンの死。もちろん、ホフマンの夢物語を生み出したミューズも登場します。そして彼女は、ホフマンの死に「芸術」という名誉を与えることよりも、その死に引導を渡したかのように存在します。ミューズの位置付けが興味深い演出でした。
さて、音楽面については、特に歌手陣が好調です。最近の新国立劇場の公演としても、かなり高水準ではないでしょうか。特にタイトルロールのフォークトと、リンドルフのモリス。発音こそやや不明瞭ですが、声量、質ともに、最上と思えるほどの充実ぶりです。コミカルな演技と凄みのある声。モリスの存在感には、場が引き締まるほどの強さがありますが、フォークトの甘美で柔らかく、また張りのある声も見事です。そして、オランピアの吉原圭子とアントニアの砂川涼子も、共に美しい歌を聴かせてくれました。特に難曲を危なげなくこなした吉原圭子には、大いに拍手を送りたいと思います。また、脇役も手堅く殆ど穴がありません。唯一、少し残念だったのは、ニクラウスの加納悦子でしょうか。彼女には以前、「ナクソス島のアリアドネ」の公演にて、十分に務めを果たしたような美しい歌声を聴かせてくれたことがありますが、今回は、少々分が悪く、他に埋没していました。彼女には、演出によって重要な位置付けが与えられていただけに、もう一歩の存在感があればと思います。
指揮は阪哲朗です。私は彼の音楽を支持します。このオペラの音楽が持つ、軽妙洒脱な柔らかい響きこそ表現されずに、随分と重々しい雰囲気に仕上がっていましたが、それでも、万全とは言えない東フィルを、歌手に寄り添うかのようにしてまとめた手腕は見事です。時には劇的に、山場をはっきりと示しながら、それでいてどこか控えめな所もある器用な指揮ぶり。時折、金管が耳をつんざくように響き渡って、どこか暴力的な様相も呈してきます。第二幕こそ、やや表情がだれるようにも思いましたが、総じて、アクセルとブレーキを交互に踏み分けるように、生き生きとした音楽を作り出していました。また、ホールのサイズに合わせるかのように、無理をしないで、コンパクトにしっかりと聴かせることにも成功しています。カーテンコールでは、冷ややかな拍手にて迎えられていた阪ですが、私が今年聴いた新国立劇場の公演の中では、一月の「マクベス」のフリッツァ、そして9月の「マイスタージンガー」のレックに続いて、感銘した演奏を聴かせてくれました。
今後も再演を重ねて欲しい良質の演出と、失礼ながら実に強力だった歌手陣。見て、聴いて楽しめる公演でした。あと一回、火曜日の公演が予定されていますが、これはおすすめしたいです。
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