「もの派とその時代」 「李禹煥 余白の芸術」展レクチャー 横浜美術館 11/13

横浜美術館レクチャーホール(横浜市西区みなとみらい)
アーティストが語る2(対談) 「もの派とその時代」
11/13 15:00~
講師 李禹煥氏 菅木志雄氏
司会 松井みどり氏

少し前に開催されたイベントですが、横浜美術館の「李禹煥」展のレクチャー、「アーティストが語る」の第二弾です。今回のテーマは「もの派とその時代」。李禹煥本人と美術家の菅木志雄、それに美術評論家の松井みどりを交じえての対談です。やや漠然とした内容でありましたが、それぞれがそれぞれにもの派の時代を回顧し、そこからもの派の意義を探っていきます。以下、いつものようにレクチャーの内容を簡単にまとめました。


もの派の起源とは(松井みどり)

・もの派の時代(=1960年代から70年代)
 ヒューマニズム(人間中心主義)・近代西洋芸術・オブジェ思想への批判

・1971年 李禹煥著「出会いを求めて」から
 ・「近代とは、目が認識の奴隷となり、表象作用によって操作された『対象』の輪郭に拘れるようになっている、『作品世界』を指す。
  →人間が対象を観念的に征服している。そのアリバイとして芸術がある。
 ・「今や見る、『と同時に』見られ、見られる『と同時に』観るというあるがままに出会う仕方として、『現実』が鮮やかな『現実』を開く場所であるように、すべてが自ら生きた光景であるように、観ることを持続し普遍化させる出来事をもよおすことが仕事であり営みとなるべきであろう。」
  →人間の意思のままにならない世界と出会うこと。
   今ここにある現実(=「現実」)から、さらにより感じられる現実へ(=「鮮やかな現実」)
 ・「そのとき出来事において形作られた構造(関係項)は、立ち会う者をして、いよいよ場所の状態性あらわな、直接なる世界のありように出会わせる『即』の境地を開くのだ。そこで顕在化される関係の相は、だからなにものの像でもない、まさしく世界自身のおおいなる場所の身体であるということができる。」
  →「出来事」と「場所」
  先入観のない人として入っていった時に、必然的に感じられる構造
  ↓
  作品としてのオブジェを作るのではなく、「出来事」の「場」を生み出すこと。それが「もの派」の衝動である。


もの派の誕生(李禹煥)

・「もの」という言葉の多義性=ややこしい
 物体・物質・ことetc→「もの派」と自らが名乗ったことはない。
  ↓
 砂と土を組み合わせて、「作ったように見えた作品のようなもの」
 作品の否定、または、ものを「利用」した上での芸術の否定。
  ↓
 そういった運動を指して、いつの間にか定着させられた言葉=それが「もの派」

・60年代の激動の時代
 ヒッピー(米)、五月革命(仏)、全共闘(日)
 →既存の制度への破壊的懐疑と否定。=自由になりたい。
  ↓
 その流れが「演劇」・「文学」・「美術」などへ伝播=美術としては「もの派」へ。
  ↓
 「もの派」は突然出現した運動ではなく、それまでにあった様々な運動の潮流が、半ば一つの海になる形で集まった。
  =自然にグループ化した「もの派」
   特定のイデオロギーの元に参集したのではない。


もの派の時代(菅木志雄)

・60年代後半=「解体の時代」
 「もの」以前に秩序だった美術世界
 枠組み・制度の中での彫刻や絵画
 ↓
 それを否定すること=「もの派」の原動力

・「あるがままのもの」
 机を机として見ない時に生まれる「もの」とは何か?
 =机の有用性と意味を剥ぎ取った時に生まれるそのもの
 例)ロバート・モリス
    フェルトをカッターで切り、その不定形の形を作品化させる。
     →ただの物質を明示しただけ。=「もの」のみを認識させる。
 ↓
 ものの「価値」や「意味」を解体する=作品の以前に「もの」でしかない存在
  (タイトルも仮象でしかなく、本質ではない。)
 美術の材料にならないような工業作品などを作品にすること。(=ゴミの作品etc)→美意識すら破壊
  →名前も付けられないような非・美術に、価値を与える試みの実践=「解体の時代の美術」


ものの解体的な見方(李禹煥)

・関根伸夫「ほこりを払う」
 →ものから名前を外す=「あるがまま」
   従来の制度化された作品を、あえてそうでないものに見てみることの意味
   ↓
   それを美術の視点によって考えてみること
  例)川端康成のハワイでの体験
    「初めてコップに出会った。」=偶然並んでいたコップに、光が差し込んだ様を見て。
     →非日常的なものの見方=ものを「鮮やかに」見ることの意味。


「そのもの」と「もの自体」(菅木志雄)

・「もの」を対象化させない(=人間がものを捕まえないこと。)
 「もの」としか言い様のない「もの」
  ↓
 その「もの」であって、それ以外のなにものでない「もの」=「もの自体」=「あるがまま」のもの
 →美術で「もの自体」を表現してみる試み=「もの派」
   存在を明らかにすることの有用性。
 →ものの多義性の明らかになる。(もの自体は、一面、一つの認識だけでは成立しない。)


もの派の成り行き(李禹煥)

・視覚トリックから「ものの内側」へ
 関根伸夫の「位相-大地」
  目のトリックを用いた仕事から、トリックを超えたものの面白さを追求する。
 高松次郎=もの派に影響を与えた中心的人物
  遠近法を立体化した作品の制作。
  ↓
 トリッキーなものから、ものの素材や物質感へ関心がうつる。
 「もの自体」は良く分からないという前提に立ちながら、「もの」を追求。
   →もの派も多様に分裂。概念芸術的な方向へ進む者もいた。

・「ものの内側」とは
 「ものの内側」(=形の内部の質)を探る作品
  例)高松次郎
   「杉の単体」(1969-70)-木を削って内側を見る作品。
   「コンクリートの単体」(1971)-コンクリートの内側を見せる。
  →「ものを生かすことは、ものの内側を見せることなのかもしれない。」という問い。
    =作品が外部を持たないこと、または、内側へと閉じることへの批判。
     ↓
    批判と同時に、外部を内側に引き込むことの重要性が認識される。
  →内側を外して、外と一体となった「もの」見せること。外部性の重要さ。

・ものの内と外
 見えないものを見せる=ものの内を外へと拡大
  →内から外へ向かった動きは、さらにその外へと進む。
 外は内を包んでいるわけではない。外は内に向かわず、その外へとつながる。
 ↓
 「ものは一つの場である。」=ものの内と外を融合した場
 外へ向かうことの追求は、もの派の動向における面白い点の一つ。
 ↓
 オブジェとしての作品、内としての作品を破壊させる。
  →オブジェから、出来事、場(=外へと向かった)を与える作品へ。
 ↓
 「もの」でありながら、「もの」を感じる人間の自由な視点も盛り込む。
  =人の感性に示唆を与える「場」としての作品。


もの派における「出来事」と「仕草」(李禹煥、菅木志雄)

・ものに「仕草」と「出来事」を与える
 仕草:何をしているかわからないような行為
 出来事:その仕草によって生まれた場、事。
 →造形的な組み立てすら捨てて、名付けようもないレベルにまで、ものを解体する。

・「仕草」について-千利休の事例から
 千利休が、ある朝、庭にびっしりと落ちていた葉を掃き、さらに掃いた葉の中から、一、二枚適当に落としてみた。
 →この千利休がしたことが、まさに「仕草」である。
  =何か自然の現象に、新たなる作為を少しだけ加えること。
 ↓   
 この「仕草」をアーティストが実践出来ないか。
  様々な自然の素材に、自らの意思を持って手を加えること。=身体性を重視。
   例)鉄板と石(関係項)
 ↓
 「仕草」の結果、何か見えてくるものを求める。
  =他(自然など)との関わりの中で、一つ生まれてくる行為性。
 ↓
 「仕草」は唯一性を持つ。
  =「仕草」によって生じた結果は、決して同じものが生まれない。
    →それぞれに絶対的な差異が生じる。

・間石と「仕草」
 寺にある「間石」=これ以上入ってはならない意味を持って置かれた石。
  ↓
 もちろん、物理的な障壁としての石ではなく、容易にその境界を超えることが出来る。
  →しかしながら、間石を見た者は、自信の意思を抑制して、境界を超えようとしない。
   =自らの意思に基づく行動の抑制、その単純化された意味。=「仕草」
  
以上です。1960年代のもの派の原初と、それ以降の複雑な流れ、さらには「もの派」という名は、あくまでも便宜的に事後的に付けられたことなどが語られ、その後、もの派の重要なキーワードでもある「出来事」と「仕草」へ話がうつりました。時間的な問題もあったのか、少々消化不良気味のレクチャーとなりましたが、もの派の「もの」の意味、仕草という名の「制作」(のようなもの)、「作品」を外に開くための「場」など、様々な視点から、もの派の意義が語られたのではないかと思います。

その後の質疑応答では、主に今回の展覧会について、李禹煥に対しての質問が二つ三つほど出ました。あくまでも身体にこだわり、さらには美術という枠(キャンバスや色など。)に留まった上、新たなる「場」を生み出そうとしたこの展覧会の意図や、会場のカーペットの上では作品の存在感がなくなるため、全ての床をコンクリート剥き出しにさせたこと(カーペットはもう使えないのだそうです…。)などが語られます。また、単純に「もの」と言っても、やはりその「もの」には、自らの意思が入っている、つまり鉄板や石は、どれでも良いわけではないことも述べられました。近代美術としてのオブジェ的な作品、その意味を解体するための「もの」には、やはり何らかの意思がこめられている。もし「もの」と「意思」が矛盾であるとするならば、おそらくそれは、「仕草」という語の意味によって解決されるのかもしれません。

横浜美術館の「余白の芸術 李禹煥展」に関するレクチャーは今回で終了です。これまでのレクチャー関連の記事は以下の通りです。
アーティトが語る1 「現代美術をどう見るか」 李禹煥
・「90分でちょっとのぞいてみる李禹煥の世界」 柏木智雄(横浜美術館主任学芸員) その1その2
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )