都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「スコットランド国立美術館展」 Bunkamura ザ・ミュージアム 12/17
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷区道玄坂)
「スコットランド国立美術館展 -コロー、モネ、シスレー、そしてキャメロン- 」
11/5~12/25
「Bukamura ザ・ミュージアム」でクリスマスまで開催している、「スコットランド国立美術館展」です。エディンバラにあるこの美術館より出品された、スコットランド美術に強い影響を与えたフランス印象派と、19世紀スコットランド画家の作品によって構成されています。今回も、恵泉女学園大学の池上英洋さんご引率の鑑賞会に参加して見てきました。(以下、レクチャーのメモを参照しながらの感想です。)
スコットランドの歴史は、紀元前1000年頃に住み着いたと言うピクト人(ケルト系民族。ラテン語で「絵を描いている」の意味。体の入れ墨が特徴。)の、伝説的な「七王国」によって始まります。イングランドの北という、古代ローマの勢力すら及ばなかったこの地は、まさに「欧州の辺境」として位置付けられ、独自の文化を形成していきます。846年、ケネス一世(ダルリアダ王国)の手により、初めて統一王朝が打ち立てられた後は、ノルマン人の進攻やキリスト教化など、通り一遍の欧化の波が押し寄せます。美術史的な観点から言えば、中世期のスコットランドには見る物が少ないとのことですが、12世紀のグラスゴー大聖堂などは重要な建築として知られているそうです。
スコットランド美術の特徴は、「仇敵」イングランドのさらに敵であるフランスの影響を受けています。「英国美術の英国性」という、イギリス美術の特性を指摘した書によれば、「垂直様式」(高さと長さを重視する。グラスゴー大聖堂、マッキントッシュなど。)、「人間観察」(オランダ美術の流れとして。)、「絵画的」(ターナーなどの風景画。その風景がまた、英国式庭園を生み出すことにもなる。)、「周縁性とデタッチメント」(「欧州の辺境」だからこそ、外国の影響を受けにくい独自文化を形成。)の4点が、この地域の主な美術のあり方として挙げられるそうです。近代以降のスコットランドの美術については、なかなかその市場が成立せず、かなり厳しい状態が続きますが、18世紀中程に誕生した「トラスティーズ・アカデミー」の設立以降、ようやく美術コレクションが、特にイタリアなどから集められます。(このスコットランド国立美術館の美術品も、そのようにして収集された。)そして、その過程において、スコットランド美術の地位も徐々に確立し始めるのです。
展示は、スコットランド初の国民画家と言われる、ヘンリー・レイバーンの「マルガリータ・マクドナルドの肖像」(1814年頃)から始まります。大きな瞳とふくよかな体つきが印象的な女性。レイバーンは、全くの独学として絵を描き続けたとのことですが、(下書きをしない。)確かに細部の処理はやや大味で、特に衣服における、まるで紙のような質感や、頭皮から浮き上がったような髪の毛の描写は、半ば新鮮に見えるほどです。(仕上げが甘く、ひび割れも目立つ。)そしてその隣に並べられているのは、レイバーンと同時代の、同じくスコットランドで最も古い世代の画家にあたる、アレキサンダー・ネイスミスの風景画「エディンバラ城とノール湖」(1824年)です。青みがかった色彩に浮かび上がる、堅牢な山城、エディンバラ城。左上の青空から右下の湖へ向かって光が燦々と降り注ぎます。前景にチラホラ見える人々の描写のせいか、どこか歴史画的な印象を与えて、まるで古代世界の光景が今眼前に現れたかような気にさせられます。ネイスミスのロマンティズム的な作品は、後に、スコットランドの民族主義的絵画へと結びついていくのですが、そこにはどこかロランの理想風景を思わせる要素もあると感じました。
ヴィクトリア朝のアカデミックな美術様式に反発し、初期ルネサンスへの回帰を目指したラファエル前派。その中心的人物であるミレイの「優しき目は常に変わらず」(1881年)はなかなか面白い作品です。まるで妊婦のようにお腹が出た女の子。元々、「スミレを持っている少女」というタイトルが予定されていたそうですが、確かにその通り、カゴいっぱいに積められたスミレを持つ少女が描かれています。まもなく枯れるであろうスミレの美しさ。それが、少女の若さへの脆さとも重なりあって来ます。ミレイは、1853年、批評家ラスキンとともに、彼の妻の故郷スコットランドへ向かいますが、後にその妻と結婚し、パースに定住します。もちろん、その地でラファエル前派の普及活動に務めるわけですが、その過程において、この展覧会にも出品されているスコットランド人画家、ウィリアム・マクタガートやヒュー・キャメロン(パンフレット表紙の「キンポウゲとヒナギク」。ミレイの「優しき~」と同じ主題が扱われている。)に、大きな影響を与えたそうです。
19世紀のフランスではあまり価値が置かれなかった静物画の中では、異例とも言える才能を発揮したアンリ・ファンタン=ラ・トゥール。彼が花や果物を描いた三点は、どれも見応え十分です。特に、暗がりの、幾分抽象的な背景に配されたバラが、強い光に反射するかのように輝いている「薔薇」(1895年)。一枚一枚、実に細かく丁寧に、バラの花びらの厚みと、その香りが伝わるかのように描かれています。また、バラの差されたガラス瓶が、背景に溶け込むかのように表現されている様子も見事。この作品は一押しです。
横長の画面にて、前景の果樹を点描的に描いたドービニーの「花咲く果樹園」(1874年)や、その一方で、縦長の構図にて、険しい山深くの渓谷を描いたクールベの「峡谷の川」(1864年頃)などを見終えた後は、いよいよイギリスの絵画の中核を成す水彩画の登場です。19世紀後半、キューブ状の水彩絵具が開発され、油彩画と同じように屋外へと出かけて行った水彩画の画家たち。まずは、ロバート・ハードマンの「コーリの海岸、アラン島」(1866年)に目を惹かれます。ゴロゴロと岩が転がる波穏やかな海辺。黒みを帯びた水彩表現が、水の立体感と重みを生み出し、どこかメタリックに仕上げる。水彩特有のペン画のような繊細なタッチと重なって、静かな海岸の景色を、奥行き感を見せながら巧みに表現しています。また、もう一点、ジョージ・マンソン「早朝のカウゲート、エディンバラ」(年代不詳)は、非常に淡く配された水彩絵具によって、朝靄にかすむエディンバラの街角が、幻想的に描き出されています。くたびれた家々。奥へ向かうに従って薄くぼかされ、より消え行く町並み。朝起きて、まだ目の覚めきっていない時に見た、どこか夢うつつの光景のようにも感じました。
水彩画のコーナーを抜けた後は、フランス印象派のビックネームが揃います。中でも、特に素晴らしい「光と影」を見せるのは、モネの有名な「積藁、雪の効果」(1891年)です。光が淡くあたって、薄いピンク色になった雪原にある二つの積藁。それぞれの影は、爽やかなブルーによって前方へと伸び、雪のピンクと交錯します。タッチは少し荒々しく、雪原はまるで藁を包み込むかのように、大きくうねり出します。藁も雪も極めて抽象的。光の陰影という色彩効果と、繰り返されたこの構図。実験的でありながらも、やはり魅せる力のあるモネの素晴らしさが分かるような作品です。
私が好きなシスレーは二点ありましたが、「モールジーのダム、ハンプトンコート」(1874年)にはともかく驚かされました。「これは本当にシスレーなのだろうか。」そう思うほどに、良く言えば躍動感に満ちた、悪く言えばタッチの煩雑さが目立つ、何とも異色な作品です。エメラルドグリーンに配された川の轟々とした流れ。繊細なシスレーの筆が殆ど見られない、それこそクールベの風景画のような豪胆さを持ち得ています。その隣にあるもう一方の、静的で構図感に優れた「シュレヌのセーヌ河」(1880年)とはあまりにも対比的です。
ドガの「開演前」(1894-98年頃)も興味深い作品です。屋内の舞台なのかどうかすぐに見分けのつかない、妙に赤茶けた場の配色。踊り子のオレンジと黄色のスカートが画面を彩ります。彼女らは開演前に練習をしているのでしょうか。少し跳ねたりしているようにも見えますが、後景が、まるで火山の山肌のようにゴツゴツと、そして泥臭い色や構図で仕上げられていて、何やら不思議な気配が漂います。全く毛色は異なりますが、モネの「積藁」の抽象性を思わせました。
展覧会の最後を飾るのは、もう一度スコットランドに立ち返った、「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれるグループの作品群です。このグループは、1880年頃、文字通りグラスゴーに現れた「急進的画家」の集まりとのことで、この展覧会でも、そのメンバーであるウォルトンやメルヴィルらの作品が並べられています。ただ、グループと言っても、その結束は緩やかです。フランス写実主義、特に農村風景を多く描くことに力を入れていく傾向。ギョロッとした目つきが、やや悪ぶっているようにも見える貧しい少年が描かれた「お手上げだ」(1882年)の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの強い影響を受けています。前述のガスリーの「野で働く女たち」(1888年頃)や、メルヴィルの「東方の情景」(年代不詳)など、確かにどれも素朴に、ただしルパージュほどの社会性を見せないで、長閑な田園を描いた作品たち。自然へのひたむきな愛情を感じさせます。
このグループの中では、やや異質で、ジャポニスム的な要素を強く思わせた、ヘンリーの「東と西」(1904年以降)に興味を覚えました。日本人形と器をテーブルに載せて、うっとりとした表情で椅子に座る、まるでルノワールの手にでもかかったような女性。人形と器は、陶器を思わせるようなスベスベとした質感を見せていますが、女性までも、それと同じような、どこか人形のような存在感で、近づいて見るとやや不気味にも思えてくる作品です。
特にフランス印象派とスコットランド人画家の関係が浮かび上がってくる、地味ではありながらも、滅多に他では紹介されない良い企画だと思いました。タイトルはさておき、しっかりとした切り口を持てば、半ば既視感のある印象派も実に面白く見えてきます。もう少し水彩画の展示があればとも思いましたが、なかなか優れた展覧会でした。
「スコットランド国立美術館展 -コロー、モネ、シスレー、そしてキャメロン- 」
11/5~12/25
「Bukamura ザ・ミュージアム」でクリスマスまで開催している、「スコットランド国立美術館展」です。エディンバラにあるこの美術館より出品された、スコットランド美術に強い影響を与えたフランス印象派と、19世紀スコットランド画家の作品によって構成されています。今回も、恵泉女学園大学の池上英洋さんご引率の鑑賞会に参加して見てきました。(以下、レクチャーのメモを参照しながらの感想です。)
スコットランドの歴史は、紀元前1000年頃に住み着いたと言うピクト人(ケルト系民族。ラテン語で「絵を描いている」の意味。体の入れ墨が特徴。)の、伝説的な「七王国」によって始まります。イングランドの北という、古代ローマの勢力すら及ばなかったこの地は、まさに「欧州の辺境」として位置付けられ、独自の文化を形成していきます。846年、ケネス一世(ダルリアダ王国)の手により、初めて統一王朝が打ち立てられた後は、ノルマン人の進攻やキリスト教化など、通り一遍の欧化の波が押し寄せます。美術史的な観点から言えば、中世期のスコットランドには見る物が少ないとのことですが、12世紀のグラスゴー大聖堂などは重要な建築として知られているそうです。
スコットランド美術の特徴は、「仇敵」イングランドのさらに敵であるフランスの影響を受けています。「英国美術の英国性」という、イギリス美術の特性を指摘した書によれば、「垂直様式」(高さと長さを重視する。グラスゴー大聖堂、マッキントッシュなど。)、「人間観察」(オランダ美術の流れとして。)、「絵画的」(ターナーなどの風景画。その風景がまた、英国式庭園を生み出すことにもなる。)、「周縁性とデタッチメント」(「欧州の辺境」だからこそ、外国の影響を受けにくい独自文化を形成。)の4点が、この地域の主な美術のあり方として挙げられるそうです。近代以降のスコットランドの美術については、なかなかその市場が成立せず、かなり厳しい状態が続きますが、18世紀中程に誕生した「トラスティーズ・アカデミー」の設立以降、ようやく美術コレクションが、特にイタリアなどから集められます。(このスコットランド国立美術館の美術品も、そのようにして収集された。)そして、その過程において、スコットランド美術の地位も徐々に確立し始めるのです。
展示は、スコットランド初の国民画家と言われる、ヘンリー・レイバーンの「マルガリータ・マクドナルドの肖像」(1814年頃)から始まります。大きな瞳とふくよかな体つきが印象的な女性。レイバーンは、全くの独学として絵を描き続けたとのことですが、(下書きをしない。)確かに細部の処理はやや大味で、特に衣服における、まるで紙のような質感や、頭皮から浮き上がったような髪の毛の描写は、半ば新鮮に見えるほどです。(仕上げが甘く、ひび割れも目立つ。)そしてその隣に並べられているのは、レイバーンと同時代の、同じくスコットランドで最も古い世代の画家にあたる、アレキサンダー・ネイスミスの風景画「エディンバラ城とノール湖」(1824年)です。青みがかった色彩に浮かび上がる、堅牢な山城、エディンバラ城。左上の青空から右下の湖へ向かって光が燦々と降り注ぎます。前景にチラホラ見える人々の描写のせいか、どこか歴史画的な印象を与えて、まるで古代世界の光景が今眼前に現れたかような気にさせられます。ネイスミスのロマンティズム的な作品は、後に、スコットランドの民族主義的絵画へと結びついていくのですが、そこにはどこかロランの理想風景を思わせる要素もあると感じました。
ヴィクトリア朝のアカデミックな美術様式に反発し、初期ルネサンスへの回帰を目指したラファエル前派。その中心的人物であるミレイの「優しき目は常に変わらず」(1881年)はなかなか面白い作品です。まるで妊婦のようにお腹が出た女の子。元々、「スミレを持っている少女」というタイトルが予定されていたそうですが、確かにその通り、カゴいっぱいに積められたスミレを持つ少女が描かれています。まもなく枯れるであろうスミレの美しさ。それが、少女の若さへの脆さとも重なりあって来ます。ミレイは、1853年、批評家ラスキンとともに、彼の妻の故郷スコットランドへ向かいますが、後にその妻と結婚し、パースに定住します。もちろん、その地でラファエル前派の普及活動に務めるわけですが、その過程において、この展覧会にも出品されているスコットランド人画家、ウィリアム・マクタガートやヒュー・キャメロン(パンフレット表紙の「キンポウゲとヒナギク」。ミレイの「優しき~」と同じ主題が扱われている。)に、大きな影響を与えたそうです。
19世紀のフランスではあまり価値が置かれなかった静物画の中では、異例とも言える才能を発揮したアンリ・ファンタン=ラ・トゥール。彼が花や果物を描いた三点は、どれも見応え十分です。特に、暗がりの、幾分抽象的な背景に配されたバラが、強い光に反射するかのように輝いている「薔薇」(1895年)。一枚一枚、実に細かく丁寧に、バラの花びらの厚みと、その香りが伝わるかのように描かれています。また、バラの差されたガラス瓶が、背景に溶け込むかのように表現されている様子も見事。この作品は一押しです。
横長の画面にて、前景の果樹を点描的に描いたドービニーの「花咲く果樹園」(1874年)や、その一方で、縦長の構図にて、険しい山深くの渓谷を描いたクールベの「峡谷の川」(1864年頃)などを見終えた後は、いよいよイギリスの絵画の中核を成す水彩画の登場です。19世紀後半、キューブ状の水彩絵具が開発され、油彩画と同じように屋外へと出かけて行った水彩画の画家たち。まずは、ロバート・ハードマンの「コーリの海岸、アラン島」(1866年)に目を惹かれます。ゴロゴロと岩が転がる波穏やかな海辺。黒みを帯びた水彩表現が、水の立体感と重みを生み出し、どこかメタリックに仕上げる。水彩特有のペン画のような繊細なタッチと重なって、静かな海岸の景色を、奥行き感を見せながら巧みに表現しています。また、もう一点、ジョージ・マンソン「早朝のカウゲート、エディンバラ」(年代不詳)は、非常に淡く配された水彩絵具によって、朝靄にかすむエディンバラの街角が、幻想的に描き出されています。くたびれた家々。奥へ向かうに従って薄くぼかされ、より消え行く町並み。朝起きて、まだ目の覚めきっていない時に見た、どこか夢うつつの光景のようにも感じました。
水彩画のコーナーを抜けた後は、フランス印象派のビックネームが揃います。中でも、特に素晴らしい「光と影」を見せるのは、モネの有名な「積藁、雪の効果」(1891年)です。光が淡くあたって、薄いピンク色になった雪原にある二つの積藁。それぞれの影は、爽やかなブルーによって前方へと伸び、雪のピンクと交錯します。タッチは少し荒々しく、雪原はまるで藁を包み込むかのように、大きくうねり出します。藁も雪も極めて抽象的。光の陰影という色彩効果と、繰り返されたこの構図。実験的でありながらも、やはり魅せる力のあるモネの素晴らしさが分かるような作品です。
私が好きなシスレーは二点ありましたが、「モールジーのダム、ハンプトンコート」(1874年)にはともかく驚かされました。「これは本当にシスレーなのだろうか。」そう思うほどに、良く言えば躍動感に満ちた、悪く言えばタッチの煩雑さが目立つ、何とも異色な作品です。エメラルドグリーンに配された川の轟々とした流れ。繊細なシスレーの筆が殆ど見られない、それこそクールベの風景画のような豪胆さを持ち得ています。その隣にあるもう一方の、静的で構図感に優れた「シュレヌのセーヌ河」(1880年)とはあまりにも対比的です。
ドガの「開演前」(1894-98年頃)も興味深い作品です。屋内の舞台なのかどうかすぐに見分けのつかない、妙に赤茶けた場の配色。踊り子のオレンジと黄色のスカートが画面を彩ります。彼女らは開演前に練習をしているのでしょうか。少し跳ねたりしているようにも見えますが、後景が、まるで火山の山肌のようにゴツゴツと、そして泥臭い色や構図で仕上げられていて、何やら不思議な気配が漂います。全く毛色は異なりますが、モネの「積藁」の抽象性を思わせました。
展覧会の最後を飾るのは、もう一度スコットランドに立ち返った、「グラスゴー・ボーイズ」と呼ばれるグループの作品群です。このグループは、1880年頃、文字通りグラスゴーに現れた「急進的画家」の集まりとのことで、この展覧会でも、そのメンバーであるウォルトンやメルヴィルらの作品が並べられています。ただ、グループと言っても、その結束は緩やかです。フランス写実主義、特に農村風景を多く描くことに力を入れていく傾向。ギョロッとした目つきが、やや悪ぶっているようにも見える貧しい少年が描かれた「お手上げだ」(1882年)の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの強い影響を受けています。前述のガスリーの「野で働く女たち」(1888年頃)や、メルヴィルの「東方の情景」(年代不詳)など、確かにどれも素朴に、ただしルパージュほどの社会性を見せないで、長閑な田園を描いた作品たち。自然へのひたむきな愛情を感じさせます。
このグループの中では、やや異質で、ジャポニスム的な要素を強く思わせた、ヘンリーの「東と西」(1904年以降)に興味を覚えました。日本人形と器をテーブルに載せて、うっとりとした表情で椅子に座る、まるでルノワールの手にでもかかったような女性。人形と器は、陶器を思わせるようなスベスベとした質感を見せていますが、女性までも、それと同じような、どこか人形のような存在感で、近づいて見るとやや不気味にも思えてくる作品です。
特にフランス印象派とスコットランド人画家の関係が浮かび上がってくる、地味ではありながらも、滅多に他では紹介されない良い企画だと思いました。タイトルはさておき、しっかりとした切り口を持てば、半ば既視感のある印象派も実に面白く見えてきます。もう少し水彩画の展示があればとも思いましたが、なかなか優れた展覧会でした。
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