都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「シュテファン・バルケンホール」 東京オペラシティアートギャラリー 12/25
東京オペラシティアートギャラリー(新宿区西新宿)
「シュテファン・バルケンホール -木と彫刻のレリーフ- 」
10/15~12/25(会期終了)
「日本におけるドイツ年 2005/2006」の一企画でもある、現代ドイツの彫刻家、シュテファン・バルケンホール(1957-)の大個展です。昨日記事をアップしたICCの展覧会と同様に、最終日の駆け込みにて見てきました。
ザクッザクッと、豪快に削られたノミの跡。台座から一本の木で掘り出されたという人形の彫刻は、まさに荒削りの質感をそのままにして、無表情に、ただひたすらに立っています。木彫と言うと、大概は、木そのものの柔らかな質感を上手く生かしたような、温もりを感じさせるものが多いのですが、バルケンホールの作品はあえてそれを否定しているような表現です。顔や手に残るノミの跡は、まるで獣にでもかまれたような傷跡で生々しく、近づいて見れば見るほど痛々しい。ただ、だからと言って、作品に近寄り難い雰囲気があるわけでなく、むしろ、幾つもの人形を見ていると、既視感を覚えるような、奇妙な安堵感も芽生えてくる。この絶妙なバランス感覚は、バルケンホールの大きな魅力かと思います。
彼の生み出す人形は半ば類型的です。黒いズボンに白いシャツの男性。大きくとも、少しうつろな目を前に向けて、ポケットに手を入れてダラッとしたように立つ人々。何をしているわけでもない。シンプル極まりない、淡い色を基調とした洋服を身に纏って、オペラシティの大きな展示室のあちこちをボンヤリと見ている。鑑賞者の方がむしろバラエティーに富んで、逆に人形に鑑賞されていた。そんな気にもさせられます。
いわゆる木彫を制作の基盤としたアーティストの中でも、バルケンホールがとりわけ興味深いのは、人形の木彫だけの表現に留まらない、とても幅広い創作を続けていることです。遠目から見ると、殆ど絵画のように見えてくる大きな木のレリーフ画。もちろん、近づいて見ると、凹凸のハッキリと出た、荒々しいノミの跡が残る画面ですが、少し離れただけでそれが限りなく平面的になって見えてくるという、どこかトリックを思わせる作品に仕上がっています。ビュフェを思わせるような太い直線にて、厳格な構成感を見せながら描かれ、また彫られた、テレビ塔や宮廷教会などの半ば古典的な「風景画」。また、それとは一変して、抽象的な、デザイン画を思わせる作品も多く見受けられます。まるでレリーフにて、印象派から抽象絵画までの絵画史を追うような構成です。とても器用に、多様な表現をいくつも生み出してくれます。(レリーフでは概ね、人形の木彫で見せたノミの荒い跡は薄らいで、いくつかはかなり丁寧にヤスリが施されています。その辺の、質感を分けた見せ方も見事です。)
具象と抽象の境界を超えた、むしろそのような線引きをあざ笑うようなバルケンホールの彫刻は、今後一体どこへ向かうのでしょう。頑に表情を読み取らせない木の人形たち。そして、何ら動きのない堅牢な風景と、コンポジション的なレリーフ。それが木を介した独特のノミの痕跡によって、ひたすらに創作されて行く。彼の木へぶつかる、執拗ともとれるような、逞しい創作意欲を感じた、特異で、また面白い展覧会でした。
「シュテファン・バルケンホール -木と彫刻のレリーフ- 」
10/15~12/25(会期終了)
「日本におけるドイツ年 2005/2006」の一企画でもある、現代ドイツの彫刻家、シュテファン・バルケンホール(1957-)の大個展です。昨日記事をアップしたICCの展覧会と同様に、最終日の駆け込みにて見てきました。
ザクッザクッと、豪快に削られたノミの跡。台座から一本の木で掘り出されたという人形の彫刻は、まさに荒削りの質感をそのままにして、無表情に、ただひたすらに立っています。木彫と言うと、大概は、木そのものの柔らかな質感を上手く生かしたような、温もりを感じさせるものが多いのですが、バルケンホールの作品はあえてそれを否定しているような表現です。顔や手に残るノミの跡は、まるで獣にでもかまれたような傷跡で生々しく、近づいて見れば見るほど痛々しい。ただ、だからと言って、作品に近寄り難い雰囲気があるわけでなく、むしろ、幾つもの人形を見ていると、既視感を覚えるような、奇妙な安堵感も芽生えてくる。この絶妙なバランス感覚は、バルケンホールの大きな魅力かと思います。
彼の生み出す人形は半ば類型的です。黒いズボンに白いシャツの男性。大きくとも、少しうつろな目を前に向けて、ポケットに手を入れてダラッとしたように立つ人々。何をしているわけでもない。シンプル極まりない、淡い色を基調とした洋服を身に纏って、オペラシティの大きな展示室のあちこちをボンヤリと見ている。鑑賞者の方がむしろバラエティーに富んで、逆に人形に鑑賞されていた。そんな気にもさせられます。
いわゆる木彫を制作の基盤としたアーティストの中でも、バルケンホールがとりわけ興味深いのは、人形の木彫だけの表現に留まらない、とても幅広い創作を続けていることです。遠目から見ると、殆ど絵画のように見えてくる大きな木のレリーフ画。もちろん、近づいて見ると、凹凸のハッキリと出た、荒々しいノミの跡が残る画面ですが、少し離れただけでそれが限りなく平面的になって見えてくるという、どこかトリックを思わせる作品に仕上がっています。ビュフェを思わせるような太い直線にて、厳格な構成感を見せながら描かれ、また彫られた、テレビ塔や宮廷教会などの半ば古典的な「風景画」。また、それとは一変して、抽象的な、デザイン画を思わせる作品も多く見受けられます。まるでレリーフにて、印象派から抽象絵画までの絵画史を追うような構成です。とても器用に、多様な表現をいくつも生み出してくれます。(レリーフでは概ね、人形の木彫で見せたノミの荒い跡は薄らいで、いくつかはかなり丁寧にヤスリが施されています。その辺の、質感を分けた見せ方も見事です。)
具象と抽象の境界を超えた、むしろそのような線引きをあざ笑うようなバルケンホールの彫刻は、今後一体どこへ向かうのでしょう。頑に表情を読み取らせない木の人形たち。そして、何ら動きのない堅牢な風景と、コンポジション的なレリーフ。それが木を介した独特のノミの痕跡によって、ひたすらに創作されて行く。彼の木へぶつかる、執拗ともとれるような、逞しい創作意欲を感じた、特異で、また面白い展覧会でした。
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