都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「丸山直文 『朝と夜の間』」 シュウゴアーツ 12/8
シュウゴアーツ(江東区清澄)
「丸山直文 『朝と夜の間』」
11/11~12/17
今回出向いた清澄のギャラリーの中で、最も魅力的だった展覧会です。「ステイニング」(綿布を水に浸し、アクリル絵の具を染み込ませながら描く。)という技法にて成された美しい絵画が数点、ギャラリーの空間を優しく包み込むように配されていました。
どの作品も、その「ステイニング」によるものなのか、実に透明感に溢れて、それこそ今、眼前の画面上に水が漂っているかのように、滑らかで落ち着いた光の移ろいを見せています。ゆらゆらと、水が揺らいでいるような線が画面を分けて、ソフトな空間を作り上げる。もちろんそこには、アクリル絵の具の鮮やかな色彩が、限りなく淡く、そして瑞々しく伸びやかに漂う。光が水に差し込んだ時の眩しさ。または、空に溶け込む虹の美しさ。アクリルにて、これほど柔らかい質感を見せる絵画もなかなかありません。
大地に広がる水田が描かれたような作品に目が奪われました。(作品のタイトルを忘れてしまいました。申し訳ありません。)伸びやかで淡いアクリル絵の具の瑞々しさが、あくまでも控えめなグラデーションを見せて水田の空間を作り上げる。そしてそのグラデーションの上に、濃い絵の具が曲線上に引かれていく。こうすることで、大まかに言えば、あぜ道に分けられた水田が、陽の明かりに柔らかく反射しながら煌めている様子が表現されるのです。作品のサイズよりも、はるかに大きく見える広がりのある画面。美しい水田が果てしなく続いているような気さえします。この空間の生み出し方は稀有です。素晴らしいと思います。
まさに虹のような空の中で、カラフルな蝶が舞う「light stroll」(2005年)も、その柔らかで広がりのある空間を、十分に堪能することの出来る作品でした。サーチライトが地面から投射されているような、薄い青や黄色の空に、まるで妖精のような蝶やトンボがひらひらと舞い続ける。あり得ない抽象的な世界が描かれていながらも、どこか懐かしいような、田舎の原風景を思わせます。自然の豊かな恵み、特にその源でもある水と光の存在感。ギャラリーの空間が、大自然の中へと転換して、そこで光のシャワー浴びながら、水の際を気持ちよく漂っている。そんな気持ちにもさせられる作品です。
もちろん、自然をイメージさせないような、アクリルの鮮やかな紋様を見せた、半ば抽象的とも言える作品もいくつか存在します。しかしそれも、決して無機質にならずに、やはりどこかの現実か、あるいは一度見た夢のような、既視感のある懐かしい世界、もしくは安らかな世界へと立ち戻させます。この両者の絶妙なバランス感は見事としか言い様がありません。
森美術館の「ハピネス展」等でも何度か拝見したことがあり、その際にも少し惹かれていたのですが、今回改めてまとめて見たことで、その魅力を再確認することが出来ました。これはおすすめしたいです。
「丸山直文 『朝と夜の間』」
11/11~12/17
今回出向いた清澄のギャラリーの中で、最も魅力的だった展覧会です。「ステイニング」(綿布を水に浸し、アクリル絵の具を染み込ませながら描く。)という技法にて成された美しい絵画が数点、ギャラリーの空間を優しく包み込むように配されていました。
どの作品も、その「ステイニング」によるものなのか、実に透明感に溢れて、それこそ今、眼前の画面上に水が漂っているかのように、滑らかで落ち着いた光の移ろいを見せています。ゆらゆらと、水が揺らいでいるような線が画面を分けて、ソフトな空間を作り上げる。もちろんそこには、アクリル絵の具の鮮やかな色彩が、限りなく淡く、そして瑞々しく伸びやかに漂う。光が水に差し込んだ時の眩しさ。または、空に溶け込む虹の美しさ。アクリルにて、これほど柔らかい質感を見せる絵画もなかなかありません。
大地に広がる水田が描かれたような作品に目が奪われました。(作品のタイトルを忘れてしまいました。申し訳ありません。)伸びやかで淡いアクリル絵の具の瑞々しさが、あくまでも控えめなグラデーションを見せて水田の空間を作り上げる。そしてそのグラデーションの上に、濃い絵の具が曲線上に引かれていく。こうすることで、大まかに言えば、あぜ道に分けられた水田が、陽の明かりに柔らかく反射しながら煌めている様子が表現されるのです。作品のサイズよりも、はるかに大きく見える広がりのある画面。美しい水田が果てしなく続いているような気さえします。この空間の生み出し方は稀有です。素晴らしいと思います。
まさに虹のような空の中で、カラフルな蝶が舞う「light stroll」(2005年)も、その柔らかで広がりのある空間を、十分に堪能することの出来る作品でした。サーチライトが地面から投射されているような、薄い青や黄色の空に、まるで妖精のような蝶やトンボがひらひらと舞い続ける。あり得ない抽象的な世界が描かれていながらも、どこか懐かしいような、田舎の原風景を思わせます。自然の豊かな恵み、特にその源でもある水と光の存在感。ギャラリーの空間が、大自然の中へと転換して、そこで光のシャワー浴びながら、水の際を気持ちよく漂っている。そんな気持ちにもさせられる作品です。
もちろん、自然をイメージさせないような、アクリルの鮮やかな紋様を見せた、半ば抽象的とも言える作品もいくつか存在します。しかしそれも、決して無機質にならずに、やはりどこかの現実か、あるいは一度見た夢のような、既視感のある懐かしい世界、もしくは安らかな世界へと立ち戻させます。この両者の絶妙なバランス感は見事としか言い様がありません。
森美術館の「ハピネス展」等でも何度か拝見したことがあり、その際にも少し惹かれていたのですが、今回改めてまとめて見たことで、その魅力を再確認することが出来ました。これはおすすめしたいです。
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「Tim Lokiec・仙谷朋子・多田友充」 ZENSHI 12/8
ZENSHI(江東区清澄)
「開廊記念展覧会 Tim Lokiec・仙谷朋子・多田友充」
11/11~12/17
清澄のギャラリービル内に、先日オープンしたという「ZENSHI」。その開廊を記念して開催されている展覧会です。上記3名の方による個展ですが、仙谷朋子さんの作品に最も惹かれました。
作品は写真が三点。まずは、「murmure -sasayaki-」と「murmure -zawameki-」に目がいきます。(「murmure」とは仏語の「つぶやき」の意味でしょうか。)共に横に大きく伸ばされた画面(縦560mm×横1265mm)にて、蓮の池(?)の景色がダイナミックに写し出されています。「sasayaki」は、今にも画面から飛び出してきそうなほど、花と葉へ大胆に近づいたアングルにて撮られ、また、全体がややぼかされたように、薄い暗がりに支配されています。一方の「zawameki」は、もっと蓮を鳥瞰的に捉えた作品です。蓮の上に広がる大空と、横に連なる送電線に鉄塔。それらが全て丸みを帯びて写し出されています。共に、色は、藍を基調とした落ち着いた雰囲気にまとめられて、若干、葉が、まさにザワザワとうごめいているような気配も漂わします。写真の中の揺らぎが心地良い作品です。
もう一点はモノクロの作品でしょうか。同じく蓮を捉え、二枚にて構成された「murmure -lotus-」。葉が無数に重なり合うその様は、どこか海のさざ波のようです。また、蓮の一枚一枚の葉は、上へと向かって、まるで両手を空へかかげているようにも見えます。蓮の生気が穏やかに伝わってくる作品です。
事前に調べて見た展覧会ではなかったのですが、思わぬ美しい作品に出会えました。今月17日までの開催です。
「開廊記念展覧会 Tim Lokiec・仙谷朋子・多田友充」
11/11~12/17
清澄のギャラリービル内に、先日オープンしたという「ZENSHI」。その開廊を記念して開催されている展覧会です。上記3名の方による個展ですが、仙谷朋子さんの作品に最も惹かれました。
作品は写真が三点。まずは、「murmure -sasayaki-」と「murmure -zawameki-」に目がいきます。(「murmure」とは仏語の「つぶやき」の意味でしょうか。)共に横に大きく伸ばされた画面(縦560mm×横1265mm)にて、蓮の池(?)の景色がダイナミックに写し出されています。「sasayaki」は、今にも画面から飛び出してきそうなほど、花と葉へ大胆に近づいたアングルにて撮られ、また、全体がややぼかされたように、薄い暗がりに支配されています。一方の「zawameki」は、もっと蓮を鳥瞰的に捉えた作品です。蓮の上に広がる大空と、横に連なる送電線に鉄塔。それらが全て丸みを帯びて写し出されています。共に、色は、藍を基調とした落ち着いた雰囲気にまとめられて、若干、葉が、まさにザワザワとうごめいているような気配も漂わします。写真の中の揺らぎが心地良い作品です。
もう一点はモノクロの作品でしょうか。同じく蓮を捉え、二枚にて構成された「murmure -lotus-」。葉が無数に重なり合うその様は、どこか海のさざ波のようです。また、蓮の一枚一枚の葉は、上へと向かって、まるで両手を空へかかげているようにも見えます。蓮の生気が穏やかに伝わってくる作品です。
事前に調べて見た展覧会ではなかったのですが、思わぬ美しい作品に出会えました。今月17日までの開催です。
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