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「ドイツ写真の現在」 東京国立近代美術館 12/17

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
「ドイツ写真の現在 -かわりゆく現実とむかいあうために- 」
10/25~12/18(会期終了)

東京国立近代美術館にて先日まで開催されていた、ドイツ写真の今を概観する展覧会です。近代美術館で企画される写真展は、いつもどれも水準が高くて興味深いのですが、今回もまた期待を裏切りませんでした。ボリュームこそそんなに大きくはないものの、なかなか魅力的な内容です。

ドイツで活躍中の10名の写真家。展示作品の殆どは90年代後半以降のもの(一部60年代から80年代のものもあり。)で、かなりタイムリーにドイツの写真を追うことが出来ます。「ドイツ的な写真」。もちろんそのような定義とは、殆どが単なる決めつけに陥ってしまい、安易には語ることが出来ません。しかししそれが許されるのであれば、この展覧会で見られる写真には、何となしにある一定の「枠」が与えられるような気もします。「ハッキリしたコンセプトに基づいた、表現主義的な傾向」、「渇いた、意図的に仕組まれた空疎な画面」、「冷徹な眼差しに基づいた、細部への執拗なこだわり」。もちろん美術館による「ドイツ的なもの」への定義は何もありません。あくまでも「多彩な展開を見せるドイツ写真の現在」ということで、半ば曖昧に見せている。いつもの如くそこから何を見出すのかは、鑑賞者一人一人に委ねられています。

私として一番面白かったのは、以前、オペラシティでの個展ではあまり感心しなかったヴォルフガング・ティルマンス(1968-)です。場所を変えて久々に見たことで、こうも印象が変わるのでしょうか。彼の作品は、そのプライベートな雰囲気に面白みがあるのかと思うのですが、今回も奇妙に美しい人の営みが若干エロス的にも写っていて、とても魅力ある写真に仕上がっていました。相変わらず、自分の部屋にお気に入りの写真を貼ったような展示方法で、鑑賞行為の重みを剥ぎ取らせ、カジュアルな感覚で迫ってくるティルマンス。「ミュンヘン・インスタレーション」の「黒い百合」(1999年)など、静物的な主題の作品も、明るい画面に映えてとても美しく、思いがけないほど惹かれました。各写真における、半ば人工的とも言えるドギツイ発色の鮮やかさと、被写体から匂いすら伝わってくるような生々しさ。その辺もまた魅力の一つかもしれません。

一口に写真表現と言っても、例えば合成写真のような、視覚トリックをも生み出す、多様な技法が加えられた作品も目立ちます。その中で最も興味深かったのは、アンドレアス・グルスキー(1955-)です。彼の作品には、もちろんデジタルによって手が入っていますが、閉じられた場所での人間でも動物でも構わない「群れ」を捉えた作品は、そのハッキリとしたコンセプトが痛快です。ダイナミックで鳥瞰的な、大きな画面におさまる群れる人々。群衆になった時の人とは個が喪失して、まさに種としてのそれになるのですが、証券取引所や駅などでうごめく人々は「グリーリー」(2003年)で見るような、牛の群れと何ら変わりません。限りなく広がりながらも空間は閉じられている。グルスキーによる場の生み出し方には、ドイツに限らないこの社会の縮図を垣間見せます。

いわゆる社会派の作品として見応えがあったは、ハンス=クリスティアン・シンク(1961-)でした。ドイツの統一の後、旧東側に大量に整備された橋や道路。その姿を無機質ながらも、実に美しく捉えています。「トラフィック・プロジェクトより(A20号線ペーネ川の橋)」(1998年)。水辺の伸びやかな田園風景をぶった切るかのように伸びる高速道路。まるで人気がなく、トマソンのように寂しく佇む太い橋脚。水面に一羽、ポツンと浮かぶ水鳥が、どことなく健気です。解説にもあるように、彼の作品は「安易」な開発批判をしているわけではありません。写真表現として、変わる行く旧東側をどう見せるのか。あくまでもそこには、彼自身のシャープな美的感覚が投影されています。

この展覧会は来年に、京都国立近代美術館と、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ巡回するそうです。そちら方面の方には、是非おすすめしたいです。
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