「動物絵画の100年」 府中市美術館(その2)

府中市美術館府中市浅間町1-3
「動物絵画の100年 - 1751~1850」
3/17-4/22

「その1」より続きます。府中市美術館での「動物絵画の100年」展です。ここでは、展示のハイライトを飾った長沢蘆雪の4点について触れたいと思います。ともかくどれも非常に素晴らしい作品ばかりです。これらを見る為だけでも府中まで足を伸ばす価値が十分にあります。





まずは会期後半のみ展示されている「牛図」です。全部で八面にも及ぶ大きな襖絵(墨画)に、力強い牛たちの群れる様子がまるで木版画のような感触で描かれています。しかもそれらが、例えば右の二面には一頭も描かれていないように、余裕のある構図にて伸びやかに表現されているのです。中央の草木を軸に、親子牛と黒々とした三頭の牛が対になるようにして配されています。草を口にくわえながら寝そべっていたり、またはぐいと体を迫出すかのように威圧的にも構え、さらには前足をあげて子を導くようにして進んでいたりと、牛の表情や動きは実に多岐に渡っていました。また、親牛にひょこひょこついていくような子牛も可愛らしいものです。ちなみに蘆雪の黒牛と言えば、あのプライス展での「白象黒牛図屏風」を思い出しますが、そこで表現されていた圧倒的な牛の重厚感を、この作品では逆にゆとりのある構図感で描き切っています。これは確かに傑作です。





12羽の雀を横一列に並べて描いた「群雀図」も面白い作品でした。可愛らしい雀たちが何やら話し合うかのように集い、またじゃれ合う様子が表現されています。中でも一番右の、一羽だけ背を向けてとまっている雀が印象的です。やはり彼はいわゆる「一匹狼」なのでしょうか。一応、群れに属していながらも、他と微妙な距離感をおいて孤独にとまっています。(ただ本当はその仲間に入りたいのかもしれません。体が群れの方へ少しだけ寄っていました。)ちなみにこの雀たちのとまる一本の線は何と細い竹なのだそうです。とすると、この光景は蘆雪の想像上の産物に過ぎません。(当然ながら、電線の上で群れる雀ではないのです。)それが見事に「あり得る空間」として説得力をもっています。ある意味で時代を超えています。



4点の中で最も感銘したのがこの「朝顔図」です。四面の襖になびく朝顔がひたすら流麗に描かれています。つるは右下よりのび、跳ね上がるようにして空間を駆けたかと思うと、一旦、襖より飛び出してまた戻ってきていました。ひらひらと舞うような朝顔の軽やかな感触と、陰影にも巧みなつるや葉が画面を踊っています。そして、ひょいっと頭をあげたいたちの姿も忘れてはなりません。まるでこの朝顔のダンスを見守るかのように飄々とした様子にて立っています。ちなみにこの作品を見て連想したのは抱一の「夏秋草図屏風」の秋草でした。ここでは「夏秋草」にあるような溢れる詩心と叙情性のかわりに、身近にあるような自然の光景が素直に表現されています。斬新で大胆な構図感でありながら、その作為の跡を感じさせない名品です。



極めつけはやはり「蛙図屏風」になるでしょう。この作品はもはや余白を描いています。その広大な空間を前にした蛙は、もうこれ以上足を進めることはなさそうです。途方に暮れたかのように空間をじろりと見つめています。「無」の美しさとその深淵さを引き立てる蛙です。この後、彼らは、きっと今出てきた左下の空間へとまた引き返すのではないでしょうか。



恥ずかしながらこの4点を見るまで、蘆雪がこのような「余白の芸術」を生み出すの技をもっているとは知りませんでした。この4点だけでもおすすめの展覧会です。22日、日曜日まで開催されています。(4/15)

*関連エントリ
「動物絵画の100年」 府中市美術館(その1)
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