都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「マネとモダン・パリ」 三菱一号館美術館
三菱一号館美術館(千代田区丸の内2-6-2)
「三菱一号館美術館 開館記念展1 - マネとモダン・パリ - 」
4/6-7/25
19世紀後半のパリの変化を辿りながら、マネ芸術の全貌を詳らかにします。三菱一号館美術館で開催中の「マネとモダンパリ」へ行ってきました。
まずは展覧会の構成です。
1.スペイン趣味のレアリスム
2.親密さの中のマネ:家族と友人たち
3.マネとパリ生活
タイトルにもあるように決してマネの単独回顧展ではありませんが、そう捉えても問題ないほど、言わば『マネに浸れる』展覧会です。国内の美術館はもとより、オルセー所蔵の大作など、油彩、素描、版画を含め、約80点あまりものマネ作品が、復元されたばかりの館内にズラリと勢揃いしていました。かつて国内では二度しかいわゆるマネ展はなかったそうですが、それらと比べても全く遜色ないばかりか、むしろそれを上回る内容であったかもしれません。思わずマネ絵画の熱気に身震いしてしまうほどでした。
とは言え、展示はあくまでもマネの画業とパリの街の変遷がリンクするように構成されています。(マネ以外の作品は80点。)章立ては上記の通りシンプルな三つでしたが、会場内はもっと細かなセクションに分かれていました。(作品目録と実際の展示順が異ります。)以下、実際の順路に沿いながら、展示の主な見どころを簡単に挙げてみました。
[パリの風景を描いた画家たち]
最初のセクションではこの時代にパリを描いた画家たちの作品が何点か紹介されています。
まず挙げたいのが、セーヌを描いた二枚、ヨハン=バルトルト=・ヨンキントの「パリ、セーヌ川とノートル=ダム大聖堂」(1864年/オルセー美術館)とゴーガンの「イエナ橋とセーヌ川、雪景色」の二枚です。
ゴーガン「イエナ橋とセーヌ川、雪景色」(1875年/オルセー美術館)
明るい光が川岸を照らす前者に対し、ゴーガンは分厚い雲に覆われた暗がりのこの地を、思いの外に細やかなタッチで表しました。ちなみにゴーガンは1875年、家族とともにセーヌに遠くないパリ西部に生活していたそうです。
シニャック「ジュヌヴィリエ街道」(1883年/オルセー美術館)
その他では、同じくパリ西郊に拠点を置いていたシニャックの「ジュヌヴィリエ街道」も印象に残りました。こちらは点描主義に入る2年前の作品とのことで、光眩しい色調に目を奪われた方も多いのではないでしょうか。
なおここではマネの描いた淡彩のパリ市内の風景スケッチなどがいくつか展示されていました。
[スペイン趣味の影響]
マネの本格的な油彩が登場するのは順路に沿って3番目の部屋からです。元々、スペイン絵画に興味を抱いていたマネは、1865年、はじめてマドリードにも滞在しました。
マネ「闘牛」(1865-1866年/オルセー美術館)
「闘牛」や「スペインの舞踏家」(1879年/村内美術館)などは、時代を超えてマネのスペイン趣味を表した作品だと言えるのではないでしょうか。
[ゾラとマネ、そして「革命的画家」へ]
サロンに落選し続け、半ば絵画に革命を起こそうとしていたマネを擁護していたのが、文豪のゾラでした。美術館で最も広い空間、大きく分けて4番目の展示室では、かの問題作「オランピア」の習作群とともに、ゾラを描いた肖像画などが紹介されています。
「エミール・ゾラ」(1868年/オルセー美術館)
ゾラが典型的な日本趣味の浮世絵や屏風で飾られた室内に座っています。何気ない肖像画のようでありながらも、マネの得意とする黒にゾクゾクするような美しさを感じました。
「死せる闘牛士」(1863-1864年/ナショナル・ギャラリー)
またもう一点、黒といって外せないのが、仰向けに横たわる闘牛士を描いた「死せる闘牛士」(1863-1864年)です。彼を包む黒い衣装はどっしりと重く、また胸に添えられた右手の力の抜けた様子は、彼の魂がもはやこの世にないことを表していました。さらに左手の指にはめられた指輪は、彼の生前の記憶を伝えているのかもしれません。その輝きが逆に物悲しい雰囲気をひしひしと漂わせていました。
マネ「街の歌い手」(1862年頃/ボストン美術館)
酒場の女歌手を描いた「街の歌い手」は出品作最大の目玉と言っても良いのではないでしょうか。スカートとケープに用いられたグレーのマットな色遣いと、全体を構成する大胆で簡略なタッチには、モデルの魅力云々を超えた絵の活力を感じました。
[パリを離れたマネ。妻シュザンヌと。]
ここで挙げておきたいのは妻シュザンヌをモチーフにとった二つの作品です。
マネ「アルカションの室内」(1871年/クラーク美術研究所)
海岸を望んだ大西洋岸の避暑地で描かれたのは、同じく妻シュザンヌと、今度は息子レオンを室内で表した「アルカションの室内」でした。親密さを通り越した、一種の完全なる日常を捉えた作品も、マネの素早いタッチにかかるとどことなくドラマチックに見えるかもしれません。
マネ「浜辺にて」(1873年/オルセー美術館)
また一方、今度は英仏海峡沿いの漁村を家族で訪れたマネは、シュザンヌらを浜辺に配した「浜辺にて」を描いています。上部のややくすんだエメラルドブルー、そして浜辺のやや白んだベージュ、そしてシュザンヌを包むグレーの衣装など、マネの色の魅力を存分に楽しめる一作ではないでしょうか。なおシュザンヌの横で座る男性は、マネの弟のウジェーヌでした。両者の視線を絶妙にずらしながらも、互いに並ばせて中央から海が開けていく構図も安定感があります。
[ベルト・モリゾ]
その弟のウジェーヌと結婚したモリゾこそ、マネの描いた最も有名な女性モデルでもあったのは言うまでもありません。
マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(1872年/オルセー美術館)
会場では数点のモリゾを描いた作品が展示されていましたが、やはり中でも一際美しいのは「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」でした。ちょうど三年前、都美館で開催されたオルセー展の印象を思い出された方も多いのではないでしょうか。モデルを颯爽と象っていく黒いストロークの乱舞はもはや神業級です。微笑みながらも挑発的な眼差しと、あまりにも可憐に添えられたすみれのブーケは、マネとモリゾのただならぬ関係を思わせるものもありました。
[オペラ座とマネ、そして都市生活]
パリの象徴として登場するのがオペラ座です。1873年に出火、焼失、また75年に新装と、この時代に一つの転換期を迎えていたオペラ座でしたが、マネも度々訪れていました。
エヴァ・ゴンザレス「イタリア人の桟敷席」(1874年/オルセー美術館)
展示ではブリヂストン美術館所蔵の完成作の習作として一点、「オペラ座の仮面舞踏会」(1873年/個人蔵)が出品されていました。またマネの弟子、エヴァ・ゴンザレスの「イタリア人の桟敷席」の他、同時代の画家によるパリの社交界を描いた作品も何点か登場しています。
マネ「ビールジョッキを持つ女」(1878-1879年/オルセー美術館)
さらにもう一つ、パリの都市生活を表す作品として是非とも挙げておきたいのが、マネの「ビールジョッキを持つ女」です。カフェの何気ない賑わいのワンシーンを、マネは簡略化した構図で表しました。ビールジョッキを手に、ふとこちらを見やる給仕係の女性と、ない食わぬ顔でパイプを楽しむ男性との距離感がたまりません。透明感のあるビールの黄金色の色遣いも鮮やかでした。
[絵画における主人公は静物画である]
マネは静物画を上記のように位置づけ、多数の名作を生み出しました。中でも1860年代は、花の主題、特にシャクヤクをテーマとした作品を手がけています。
マネ「花瓶に挿したシャクヤク」(1864年/個人蔵)
ワイン色を背景に、紅白のシャクヤクを上下に添えた「花瓶に挿したシャクヤク」も忘れられない一点です。かつてオークラのアートコレクションで村内美術館蔵の「芍薬の花束」を見て以来、私の中でマネはこの花を最も美しく描く画家だと思っていますが、この作品もまたその魅力を味わうのに十分でした。
マネ「4個のリンゴ」(1882年/クーンズ・コレクション)
晩年、療養のためにリュイユに過ごしたマネは、見舞いの人々が持ち寄る果物を描いた作品を制作します。素朴な味わいを醸し出す「4個のリンゴ」もそうした一枚かもしれません。
[モデルと肖像画]
展示にラストに待ち構えるのは、マネが晩年に描いた肖像画の大作群です。ここでは西美、ブリヂストン、またメナードや大原美術館など、国内所蔵の作品がメインでした。
マネ「自画像」(1878-1879年/ブリヂストン美術館)
マネが生涯2点しか描かなかったという自画像のうちの一点、「自画像」が鮮烈な印象を与えます。どこかしかめっ面をしながら、傷んでいた左足をかばうために、右足を踏ん張って立つ姿は、最晩年、結果的に死に至ることとなった足の切断のエピソードを予感させるものがありました。
マネ「ブラン氏の肖像」(1879年/国立西洋美術館)
ところで私自身、マネの人物画は、晩年よりもそれ以前(60年代から70年代前半)に描かれた作品の方が好みですが、その一方で印象派風の作品も決しておざなりにすることは出来ません。西美常設でも良く目にする「ブラン氏の肖像」における燦々と降り注ぐ光の描写も、晩年に到達したマネの画風の様相を思わせるものがありました。
「もっと知りたいマネ―生涯と作品/高橋明也/東京美術」
かのラ・トゥール展を監修した同館館長の高橋明也氏をもってすれば当然かもしれません。言い方は適切でないかもしれませんが、それこそ西美クラスの箱で見ているかのような内容で驚かされました。人出の状況にもよりますが、例えば音声ガイドを借りながら鑑賞するとすると2時間近くはかかるのではないでしょうか。
決して広い箱ではない上に、オープニングを飾る企画ということもあるのか、開館直後から相当に混雑しています。つい先日、開館7日間で入場者が2万人を超えたというアナウンスもありました。
幸いなことに同館は平日の火・木・金は各日夜20時まで開館しています。混雑時に優先入場可能なチケットも発売されていますが、経験からすると夜間が狙い目です。
5月19日の水曜日の夜に高橋明也氏の講演会が丸の内の三菱ビルにて開催されます。
「高橋明也(三菱一号館美術館館長/本展コミッショナー)講演会」
場所:M+(エムプラス)(千代田区丸の内2-5-2三菱ビル10F)
時間:19:00~20:30(終了予定) 受付18:40~
費用:1000円(マネとモダン・パリ展チケット抽選会つき)
定員】 120名(先着順受付)
受付方法:特設サイト及びFAXにて。
7月25日まで開催されています。なるべく早めの観覧をおすすめします。
「三菱一号館美術館 開館記念展1 - マネとモダン・パリ - 」
4/6-7/25
19世紀後半のパリの変化を辿りながら、マネ芸術の全貌を詳らかにします。三菱一号館美術館で開催中の「マネとモダンパリ」へ行ってきました。
まずは展覧会の構成です。
1.スペイン趣味のレアリスム
2.親密さの中のマネ:家族と友人たち
3.マネとパリ生活
タイトルにもあるように決してマネの単独回顧展ではありませんが、そう捉えても問題ないほど、言わば『マネに浸れる』展覧会です。国内の美術館はもとより、オルセー所蔵の大作など、油彩、素描、版画を含め、約80点あまりものマネ作品が、復元されたばかりの館内にズラリと勢揃いしていました。かつて国内では二度しかいわゆるマネ展はなかったそうですが、それらと比べても全く遜色ないばかりか、むしろそれを上回る内容であったかもしれません。思わずマネ絵画の熱気に身震いしてしまうほどでした。
とは言え、展示はあくまでもマネの画業とパリの街の変遷がリンクするように構成されています。(マネ以外の作品は80点。)章立ては上記の通りシンプルな三つでしたが、会場内はもっと細かなセクションに分かれていました。(作品目録と実際の展示順が異ります。)以下、実際の順路に沿いながら、展示の主な見どころを簡単に挙げてみました。
[パリの風景を描いた画家たち]
最初のセクションではこの時代にパリを描いた画家たちの作品が何点か紹介されています。
まず挙げたいのが、セーヌを描いた二枚、ヨハン=バルトルト=・ヨンキントの「パリ、セーヌ川とノートル=ダム大聖堂」(1864年/オルセー美術館)とゴーガンの「イエナ橋とセーヌ川、雪景色」の二枚です。
ゴーガン「イエナ橋とセーヌ川、雪景色」(1875年/オルセー美術館)
明るい光が川岸を照らす前者に対し、ゴーガンは分厚い雲に覆われた暗がりのこの地を、思いの外に細やかなタッチで表しました。ちなみにゴーガンは1875年、家族とともにセーヌに遠くないパリ西部に生活していたそうです。
シニャック「ジュヌヴィリエ街道」(1883年/オルセー美術館)
その他では、同じくパリ西郊に拠点を置いていたシニャックの「ジュヌヴィリエ街道」も印象に残りました。こちらは点描主義に入る2年前の作品とのことで、光眩しい色調に目を奪われた方も多いのではないでしょうか。
なおここではマネの描いた淡彩のパリ市内の風景スケッチなどがいくつか展示されていました。
[スペイン趣味の影響]
マネの本格的な油彩が登場するのは順路に沿って3番目の部屋からです。元々、スペイン絵画に興味を抱いていたマネは、1865年、はじめてマドリードにも滞在しました。
マネ「闘牛」(1865-1866年/オルセー美術館)
「闘牛」や「スペインの舞踏家」(1879年/村内美術館)などは、時代を超えてマネのスペイン趣味を表した作品だと言えるのではないでしょうか。
[ゾラとマネ、そして「革命的画家」へ]
サロンに落選し続け、半ば絵画に革命を起こそうとしていたマネを擁護していたのが、文豪のゾラでした。美術館で最も広い空間、大きく分けて4番目の展示室では、かの問題作「オランピア」の習作群とともに、ゾラを描いた肖像画などが紹介されています。
「エミール・ゾラ」(1868年/オルセー美術館)
ゾラが典型的な日本趣味の浮世絵や屏風で飾られた室内に座っています。何気ない肖像画のようでありながらも、マネの得意とする黒にゾクゾクするような美しさを感じました。
「死せる闘牛士」(1863-1864年/ナショナル・ギャラリー)
またもう一点、黒といって外せないのが、仰向けに横たわる闘牛士を描いた「死せる闘牛士」(1863-1864年)です。彼を包む黒い衣装はどっしりと重く、また胸に添えられた右手の力の抜けた様子は、彼の魂がもはやこの世にないことを表していました。さらに左手の指にはめられた指輪は、彼の生前の記憶を伝えているのかもしれません。その輝きが逆に物悲しい雰囲気をひしひしと漂わせていました。
マネ「街の歌い手」(1862年頃/ボストン美術館)
酒場の女歌手を描いた「街の歌い手」は出品作最大の目玉と言っても良いのではないでしょうか。スカートとケープに用いられたグレーのマットな色遣いと、全体を構成する大胆で簡略なタッチには、モデルの魅力云々を超えた絵の活力を感じました。
[パリを離れたマネ。妻シュザンヌと。]
ここで挙げておきたいのは妻シュザンヌをモチーフにとった二つの作品です。
マネ「アルカションの室内」(1871年/クラーク美術研究所)
海岸を望んだ大西洋岸の避暑地で描かれたのは、同じく妻シュザンヌと、今度は息子レオンを室内で表した「アルカションの室内」でした。親密さを通り越した、一種の完全なる日常を捉えた作品も、マネの素早いタッチにかかるとどことなくドラマチックに見えるかもしれません。
マネ「浜辺にて」(1873年/オルセー美術館)
また一方、今度は英仏海峡沿いの漁村を家族で訪れたマネは、シュザンヌらを浜辺に配した「浜辺にて」を描いています。上部のややくすんだエメラルドブルー、そして浜辺のやや白んだベージュ、そしてシュザンヌを包むグレーの衣装など、マネの色の魅力を存分に楽しめる一作ではないでしょうか。なおシュザンヌの横で座る男性は、マネの弟のウジェーヌでした。両者の視線を絶妙にずらしながらも、互いに並ばせて中央から海が開けていく構図も安定感があります。
[ベルト・モリゾ]
その弟のウジェーヌと結婚したモリゾこそ、マネの描いた最も有名な女性モデルでもあったのは言うまでもありません。
マネ「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」(1872年/オルセー美術館)
会場では数点のモリゾを描いた作品が展示されていましたが、やはり中でも一際美しいのは「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」でした。ちょうど三年前、都美館で開催されたオルセー展の印象を思い出された方も多いのではないでしょうか。モデルを颯爽と象っていく黒いストロークの乱舞はもはや神業級です。微笑みながらも挑発的な眼差しと、あまりにも可憐に添えられたすみれのブーケは、マネとモリゾのただならぬ関係を思わせるものもありました。
[オペラ座とマネ、そして都市生活]
パリの象徴として登場するのがオペラ座です。1873年に出火、焼失、また75年に新装と、この時代に一つの転換期を迎えていたオペラ座でしたが、マネも度々訪れていました。
エヴァ・ゴンザレス「イタリア人の桟敷席」(1874年/オルセー美術館)
展示ではブリヂストン美術館所蔵の完成作の習作として一点、「オペラ座の仮面舞踏会」(1873年/個人蔵)が出品されていました。またマネの弟子、エヴァ・ゴンザレスの「イタリア人の桟敷席」の他、同時代の画家によるパリの社交界を描いた作品も何点か登場しています。
マネ「ビールジョッキを持つ女」(1878-1879年/オルセー美術館)
さらにもう一つ、パリの都市生活を表す作品として是非とも挙げておきたいのが、マネの「ビールジョッキを持つ女」です。カフェの何気ない賑わいのワンシーンを、マネは簡略化した構図で表しました。ビールジョッキを手に、ふとこちらを見やる給仕係の女性と、ない食わぬ顔でパイプを楽しむ男性との距離感がたまりません。透明感のあるビールの黄金色の色遣いも鮮やかでした。
[絵画における主人公は静物画である]
マネは静物画を上記のように位置づけ、多数の名作を生み出しました。中でも1860年代は、花の主題、特にシャクヤクをテーマとした作品を手がけています。
マネ「花瓶に挿したシャクヤク」(1864年/個人蔵)
ワイン色を背景に、紅白のシャクヤクを上下に添えた「花瓶に挿したシャクヤク」も忘れられない一点です。かつてオークラのアートコレクションで村内美術館蔵の「芍薬の花束」を見て以来、私の中でマネはこの花を最も美しく描く画家だと思っていますが、この作品もまたその魅力を味わうのに十分でした。
マネ「4個のリンゴ」(1882年/クーンズ・コレクション)
晩年、療養のためにリュイユに過ごしたマネは、見舞いの人々が持ち寄る果物を描いた作品を制作します。素朴な味わいを醸し出す「4個のリンゴ」もそうした一枚かもしれません。
[モデルと肖像画]
展示にラストに待ち構えるのは、マネが晩年に描いた肖像画の大作群です。ここでは西美、ブリヂストン、またメナードや大原美術館など、国内所蔵の作品がメインでした。
マネ「自画像」(1878-1879年/ブリヂストン美術館)
マネが生涯2点しか描かなかったという自画像のうちの一点、「自画像」が鮮烈な印象を与えます。どこかしかめっ面をしながら、傷んでいた左足をかばうために、右足を踏ん張って立つ姿は、最晩年、結果的に死に至ることとなった足の切断のエピソードを予感させるものがありました。
マネ「ブラン氏の肖像」(1879年/国立西洋美術館)
ところで私自身、マネの人物画は、晩年よりもそれ以前(60年代から70年代前半)に描かれた作品の方が好みですが、その一方で印象派風の作品も決しておざなりにすることは出来ません。西美常設でも良く目にする「ブラン氏の肖像」における燦々と降り注ぐ光の描写も、晩年に到達したマネの画風の様相を思わせるものがありました。
「もっと知りたいマネ―生涯と作品/高橋明也/東京美術」
かのラ・トゥール展を監修した同館館長の高橋明也氏をもってすれば当然かもしれません。言い方は適切でないかもしれませんが、それこそ西美クラスの箱で見ているかのような内容で驚かされました。人出の状況にもよりますが、例えば音声ガイドを借りながら鑑賞するとすると2時間近くはかかるのではないでしょうか。
決して広い箱ではない上に、オープニングを飾る企画ということもあるのか、開館直後から相当に混雑しています。つい先日、開館7日間で入場者が2万人を超えたというアナウンスもありました。
幸いなことに同館は平日の火・木・金は各日夜20時まで開館しています。混雑時に優先入場可能なチケットも発売されていますが、経験からすると夜間が狙い目です。
5月19日の水曜日の夜に高橋明也氏の講演会が丸の内の三菱ビルにて開催されます。
「高橋明也(三菱一号館美術館館長/本展コミッショナー)講演会」
場所:M+(エムプラス)(千代田区丸の内2-5-2三菱ビル10F)
時間:19:00~20:30(終了予定) 受付18:40~
費用:1000円(マネとモダン・パリ展チケット抽選会つき)
定員】 120名(先着順受付)
受付方法:特設サイト及びFAXにて。
7月25日まで開催されています。なるべく早めの観覧をおすすめします。
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