◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

「いつしか僕にも受け継がれていくだろう」って?

2007-06-30 10:37:14 | 気になる言葉、具体例
                     受け身できてる?
 はて、受け継ぐのはだれなんだ? 「僕」だよね、で、なぜ「受け継がれていくだろう」なんだ? まるで他人事のような受身表現はやはりちょっと合いません。なお、同じ形で、「・・・のように思われる」「・・・であると考えられる」といった「自発」という表現がありますが、この例文は自発ではありませんね、念のため。でも、うーん、どうだろう、自発ではないと、たった今、書いたところですが、ひょっとしてこれは自発なのかなと思い始めました。全く意識しなくても、ごくごく自然に、それこそ親子だから、ただそれだけで、いつか、気がついたら受け継いでいるんだろうな、多分ね、という意味でしょうか。なるほどねぇ~と妙に納得できるからこれでいいのかな・・・って、どうでしょう?
 自発というのは、自然に、ひとりでにそうなるということで、「思われる」「感じられる」など、心の動きや感覚を表すのが普通ですから、「受け継ぐ」の自発「受け継がれる」なんて成立するのだろうか、皆さんはどう思いますか。「いつしか僕にも受け継がれていくだろう」は、文法的にあいまいで、さらに、果たしてそんな姿勢でいいのかという、何かすっきりしない感じがします。「僕も受け継いでいくだろう」と言って、その続きが「いつしか僕の子どもたちにも受け継がれていくだろう」だったらいいのですけれど( ̄~ ̄)。ちなみに、この「受け継がれて」は受身表現ですよ。
 さて、受身表現に関する間違いでこういうのがあります。「映画が上映していました」「才能が開花される」「建物が倒壊されることによって道路が使えなくなり」、どうですか。正解は、「映画が上映されていました」「才能が開花する」「建物が倒壊することによって道路が使えなくなり」ですね。「上映する」は他動詞ですから、「映画が」なら「上映される」です。「開花する」「倒壊する」は自動詞ですから、「才能が」「建物が」ならそのままでいいのですが、なぜわざわざ受身表現にするのか。自動詞と他動詞の区別ができていないからではないでしょうか。
コメント
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