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北国街道はこの小谷集落辺りを境に、谷あいにある山村風景から平野の広がる農村風景へと景観が変わります。
大谷吉継は、1574年に羽柴秀吉が長浜城を築いた際に雇い入れたとされており、秀吉の馬廻衆の一人として活躍したといいます。
本能寺の変で信長の死後も秀吉に従軍して功績を立て、越前国敦賀5万7千石を拝領して敦賀城主となる。
秀吉の死後の「関ヶ原の戦い」では盟友・石田三成について善戦したものの、味方の武将の裏切りにあい、討ち果てた方です。
NHK大河ドラマ「真田丸」では治部少輔・石田三成役の山本耕史と、片岡愛之助が演じる刑部少輔・大谷吉継の信頼関係がうまく描かれていたのも記憶に残ります。
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余呉町小谷(おおたに)を大谷吉継の出生地とする説はあるものの、史料などは残っておらず、出自は謎に包まれているといいます。
吉継の出自に関しては諸説あるとはいえ、幼い頃の吉継が山村のこの神社で遊んでいたかもと想像してみるのも楽しい。
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石垣で一段高くなった境内には大きなケヤキの樹がある。
巨樹と呼べるほどではないが、少し高いところから集落を見守るように立っています。
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質素な本殿は、拝殿のある場所からさらに上段に祀られ、山に包まれるように鎮座しています。
小谷八幡神社の御祭神は誉田別命。
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小谷集落を南下して今市集落の辺りから余呉湖にかけては、田園地帯が多い余呉町の中心部となる。
さて、この先どっちへ行こうか。丹生谷方面か塩津方向の山麓か...。迷いましたが、「池原集落」方面へと車を進める。
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集落の中を移動していると、山の麓の神社の鳥居が見えたので、路地へ入ると「樹本神社」の石標がありました。
樹本神社(キモト)の御祭神は「鴨玉依姫命」「 豊城入彦命」で、由緒に“千古の森林の中に神の宿り木を称える霊木あり、その木に小祠を建て神霊を祀りて樹本明神と称えて来た”とある。
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樹本神社も境内の山側に石垣が組まれ一段高い位置に拝殿があります。
石段の下には大きな銀杏の樹があって、鬱蒼と葉を茂らせていました。
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本殿は石垣が組まれたさらに一段上の場所。
湖北には集落ごとに神社が祀られていることが多いのですが、どの集落も世帯数に対して立派な神社があるのは驚きます。
集落の人と神社の神事や村の祭りなどが密接に結びついて、何百年もの信仰が守られてきたのでしょう。
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さて、神社の境内を歩いていると、嬉しいことに野神さんの碑が見つかりました。
湖北の集落に多い野神さんは、農作の神・豊作の神あるいは水の神として祀られており、神事は主に夏に行われることが多いといい、冬のオコナイ神事と共に五穀豊穣を祈念する。
野神さんは巨樹を御神体として祀ったり、石を御神体として祀ったりしながら、集落によって神事のやり方は様々だといい、神事を縮小しながらも数百年続く伝統行事です。
今回はあてもなく北国街道を南下してきましたが、余呉町にも野神さんは数多くありますので、余呉町の野神さん巡りも面白いと思います。
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同じ池原集落にはもう一つ「大水別神社」と「大浴神社」が合祀されていました。
一言で池原集落といっても「樹本神社」の近くにある集落と、「大水分神社」の近くにある集落があるため、元は別の村だったのが何らかの理由で一つの集落になったようにも思える。
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「大水別神社」の御祭神は「天之水分神」で、名前から分かるように“農業用水を分配する水の神”ですので農業とは切っても切り離せない神さまということになります。
往古は、水源である行市山の東麓に鎮座して「井の明神」とも称されていたとされますが、賤ヶ岳の合戦時の兵乱により焼失し、1585年に現在地に再興したという。
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本殿は広い境内の奥の石垣の上に祀られており、余呉ではこのような石垣のある神社が多い。
山の鬱蒼とした森の先にはかつて存在した「井の明神」が鎮座していたのでしょう。
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「大浴神社」には“浴の森にあった釜ヶ淵に大蛇が住んで人々を苦しめていた。大浴の森に大己貴命を祀ったところ、大蛇は消えた。”という伝説があったといいます。
大蛇を氾濫する川と考えると、この地では氾濫する川と旱魃による水不足に悩まされながら、神を祀り安寧を願ってきたといえます。
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滋賀県(余呉町)の最奥の集落「中河内」から「椿坂」「柳ケ瀬」「小谷」「池原」と南下してきました。
過去に余呉町を訪れた時は「仏像」「野神さん」「巨樹」「御朱印」「野鳥」が目的でしたが、今回はあてもなくフラリ訪れましたので逆に新鮮な発見もありました。
でも何回か通わないと回り切れないので、また再訪することにします。