僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

コハクチョウをパチリ!~羽ばたく風が頬を撫でる~

2016-10-30 16:38:24 | 野鳥
 週末バーダーで地元フィールドを巡回していると、季節の移り変わりが分かるのがいいですね。
1週間前まではいい香りを漂わせていた金木犀の花が散り、金木犀が咲いていた樹の下の茂みなどではジョウビタキの地鳴きが聞こえてくるようになりました。

田園地帯を移動していると、空をコハクチョウが飛んでいく姿に何度も遭遇するようにもなってきています。
ヒタヒタと冬の足音がしてきている感じがして、嬉しくなってきますね。



コハクチョウは短い時間の中でしたが、いろいろな姿を見せてくれましたので大量にUP!です。
まずは東の空から飛んできたコハクチョウが田圃に着陸するところから。



 ディスプレイをするコハクチョウの家族の様子をパチリ!



...ディスプレイかと思いきや、威嚇行為でした。
お互いに噛み合って、遠くへ追い出してしまいました。





羽ばたきのシーンもあちこちで見られます。
『コハクチョウの羽ばたく風が当方の頬を撫でて...』 ←←←毎年同じことを書いてますね。





そして離水(離泥田)するコハクチョウ!





やっと空中に浮いたけど、隣の田圃へ降りただけ。
歩いていっても行けたのにね。





おまけは今シーズン初見になったジョウビタキ。
毎年最初は電線留まりからになってしまいます。



コハクチョウは3月の初めまで半年近くその姿を見せてくれるはずですので、これからいろいろな表情を見せてくれると思います。
季節が進んでくれば、コハクチョウの群れの中から“ちょっと違うやつ”とか“随分違うやつ”を探す楽しみも増えてきそうですね。


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御朱印蒐集~栗東市 金勝山 金勝寺~

2016-10-28 20:10:10 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀の湖南地方は、奈良時代より「金勝寺文化圏」と称される仏教文化が栄えた地とされています。
金勝寺がある金勝山(こんぜやま)は単独の峰を呼ぶのではなく、竜王山(605m)・鶏冠山(491m)・阿星山(693m)・飯道山(664m)などの山系を指す名称だとされています。

金勝山は竜王山の山頂に向かって550mのところに建てられた古寺で、かつては「金勝山文化圏」と称されて湖南地方の仏教文化の中心地だったといわれています。
寺伝によると、773年の聖武天皇の命により東大寺の初代別当であった良弁が奈良の都(平城京)の鬼門鎮護のために開基し、八世期中頃には近江二十五別院を総括する法相宗興福寺の仏教道場だったそうです。

 



平安時代初期の815年には嵯峨天皇の勅願により、興福寺の高僧願安が伽藍を整備。833年には仁明天皇により僧侶育成の官寺である「定額寺」に列せられ、その後「金勝山 金勝寺」になったとされています。
しかし、1185年に最初の焼失。再興後の平安時代後期には、法相宗から天台宗の寺院に転宗したと考えられているそうです。



細い林道を登って駐車場から雰囲気のある参道を歩いていくと、仁王門が見えてきます。
金勝寺は1549年にも焼失してしまい、徳川家康に請願したが往時の状態までは再建出来なかったとされていますので、その時代の建築物かもしれません。



仁王門にはお寺の守護の阿吽の仁王様が睨みをきかせています。
開口しているのが阿形(あぎょう)像で口を結んでいるのが吽形(うんぎょう)像になります。



本堂は1597年の建築で、約400年前に仮堂として再建されたようです。
家康の時代に往時の状態まで再現出来ていたとすれば...と想像してみるのも面白いかもしれませんね。



金勝寺には全堂で5体の重要文化財の仏像が安置されていて、仏像の魅力の多い寺院です。
本堂(仮堂)には本尊の「木造釈迦如来坐像(重文・平安時代)・不動明王立像(室町時代)・良弁坐像(桃山時代)・願安坐像(桃山時代)が安置されています。


重文 木造釈迦如来坐像(ポストカード)

釈迦如来像は高さ218.8cmと大きな坐像ですが、その表情は穏やかで円満な感じがします。
 本堂の右手には二月堂があります。このお堂に祀られているのは軍茶利明王立像(重文 平安時代10世紀)。



軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)とは宇宙を創造する生命をあらわすとされています。
怒髪天をつく頭部、胸に交差した大瞋印(だいしんいん)の迫力には畏怖を感じてしまいます。


重文 木造軍茶利明王立像(ポストカード)

軍茶利目用王は高さ360.5cmとその大きさも然ることながら、ヒノキの一本造りで圧倒的な存在感のある仏像です。
現存する単独の軍茶利明王像としては、日本最古で最大の仏像とされています。

山側の道を御香水館・大講堂跡と歩いていくと虚風蔵菩薩堂に着きます。
このお堂には「木造虚空蔵菩薩半跏像(重文 平安時代10世紀)・木造毘沙門天立像(重文 平安時代10世紀)・木造地蔵菩薩像(重文 平安時代12世紀)が安置されています。



虚空蔵菩薩とは大きな智慧と功徳を持ち、衆生の願いを成就させる仏と言われていますが、半跏の像は珍しいですね。
高さは194cmあり、毘沙門天像・地蔵菩薩像・馬頭観音像像と並ぶとその迫力に気押されます。


重文 虚空蔵菩薩半跏像(ポストカード)

さて、この金勝寺を出て林道を登っていくと590mの地点に馬頭観音堂がひっそりと建てられていました。
ここには馬頭観音像が安置されていたそうですが、2009年に盗難にあってしまったそうです。(新しい馬頭観音像は虚風蔵菩薩堂に安置)



このお堂は何とも寂しい所に建てられていましたが、反対側の景色は絶景です。
曇り空だったのが難点でしたが、近江富士こと三上山が見え、琵琶湖も遠くに見えます。



金勝山(こんぜやま)には徒歩で山道を歩けば、石仏などの数多くの史跡やいくつかの滝があるといいます。
役小角(役行者)の修行した霊跡・金粛菩薩(良弁)の霊地と呼ばれる霊山です。


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狂い咲きの桜とコハクチョウをパチリ!

2016-10-26 20:28:08 | 野鳥
 桜並木の横を歩いていると、数個の花を付けた桜の木がありました。
狂い咲きの桜なんですが、例年そんな変わった桜の木を見ることがありますね。

異常気象の影響なのかと思ったりもしますが、桜の狂い咲きは“葉っぱが夏のうちに落ちてしまうと狂い咲きしやすい”という説や“桜の先祖返り(桜の原種はネパール近郊で秋に咲くそうです)”という説などがあるようです。
いずれにしても季節外れの桜を見ながら冬に近づくなんてのも面白いものです。



この日のコハクチョウは沖の方の島の付近に集まっていましたので、遠くに白い点が見えるのみでした。
また今度にしようかと思っていると、頭上を2羽のコハクチョウが飛んできたので慌ててパチリ!



どこかの田圃に降りたようでしたが、遠くの東の空へ消えていったので探すのは諦める。
ところで湖岸近くの田圃にはまだノビタキの姿が見られました。数は少し減ってきたようには思いますけどね。



ノビタキを見ていたらモズも留まってくれました。
最近、どこへ行ってもモズの声が聞こえてくるのが季節を感じさせてくれますね。



チョウゲンボウやノスリの姿も見かけるようになってきました。
同じような場所で毎年見かけますが、個体ごとにテリトリーがあるのでしょうか。



冬の湖北は極寒の世界ではないけれど、圧倒的な迫力に心惹かれる光景に出会えることがあるかも?と思っています。
忘れる事の出来ないような光景を見てみたいですね。


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佐川美術館~三蔵法師展-薬師寺の宝物とともに~

2016-10-23 21:05:05 | アート・ライブ・読書
 「三蔵法師」の名前を聞いて誰もが思い浮かべるのは、「西遊記」かと思います。
夏目雅子のテレビドラマの『西遊記』やドリフターズのコメディ人形劇の『飛べ!孫悟空』などはある年齢以上の方は記憶があると思います。

ところが実際の「三蔵法師」とは一人ではなく、インドや西域から仏教経典をもたらして、漢訳した人々の尊称で、100人以上の「三蔵法師」が存在していたそうです。
西遊記でいう三蔵法師は「玄奘(げんじょう)」のことで、尊称通り唐の時代の中国から中央アジアを経てインドへ旅をして仏典を学び、持ち帰った経典を漢訳した僧の一人だそうです。


(パンフレット)

滋賀県守山市にある佐川美術館で『三蔵法師展-薬師寺の宝物とともに』が開催されており、薬師寺の仏像見たさもあって拝観してきました。
この展覧会では薬師寺の僧による「ミュージアム説法」のイベントがありましたので、約40分間の“美術館説法”も聞いてきました。

説法された僧は、奈良の薬師寺の加藤大覺さんで、抹香臭い話は全くなく、三蔵法師について軽快なトークで話して下さいました。
加藤さんはインドのブッダガヤ(釈迦が悟りを開いたとされる聖地)の日本寺に1年半の駐在僧としての経験もあるそうです。


(パンフレット)

薬師寺は「法相宗」の大本山ですが、三蔵法師・玄奘とつながりの深い寺院で、玄奘は629年にインドへ向かい645年に帰還して「法相宗」の開祖となったとされています。
日本では、653年に入唐した道昭という僧が玄奘に師事して法相宗を広め、その後も入唐して法相宗を学ぶ僧が続き、法相宗から多くの学僧を輩出したそうです。
現在の法相宗は、奈良の興福寺・薬師寺の2寺院が本山となっているとのことですが、飛鳥時代から奈良時代初期の寺院が残る奈良へ行きたい気持ちが高まります。


(図録)

図録は迷っていたのですが、家内の勧めがあって購入しました。
図録を購入すると加藤大覺さんに書を書いていただけるのですが、美術館で説法を聞いて書を書いてもらうという何とも変わった体験になりました。



『自利他利』という言葉を書いて頂き、その場で説明をして頂きました。
「自分のためにやるべきことをやって、他の人のためにもやるべきことをやる」といった内容でした。
修行(人生)は積み重ねが大事で、“まず心を静かに落ち着ける事が重要です”というような話もされておられました。



佐川美術館では常設展で平山郁夫館がありますが、ポストカードに薬師寺の絵がありましたので購入しました。
平山郁夫画伯は、薬師寺の玄奘三蔵院伽藍に「大唐西域壁画」を描かれている画家で薬師寺とのつながりが深い方です。

少し前から“奈良へ行きたい!”気持ちが強くなっているのですが、“奈良が呼んでいる!”と勝手に思いを巡らせております。


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御朱印蒐集~大津市 石光山 石山寺~

2016-10-21 18:38:38 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 西国三十三所巡礼は、約1300年の歴史を持つ日本最古の巡礼路だとされています。
奈良時代の718年に「大和国長谷寺の開山徳道上人が閻魔大王からお告げを受け、起請文と宝印を授り、この宝印に従って霊場を定めた」というのが起源のようです。

西国第十三番の札所となるのは石山寺で、琵琶湖から流れ出る唯一の河川の瀬田川(京都では宇治川、大阪では淀川になる)の畔にある伽藍山(標高239m)の麓にあります。
創建は747年、良弁僧正を開基として東寺真言宗の寺院として開山されたとされています。



良弁僧正は、奈良仏教・南都六宗の一つである華厳宗の僧で奈良の東大寺の別当(寺務を統括する僧職)にあった方ですが、東寺真言宗(京都の教王護国寺 東寺)の宗派の石山寺の建立に関わっているようです。
これは東大寺(華厳宗)と空海(真言宗)との関係がありそうな話ですね。
また寺院の伝承では、「聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まり」とされていますので、聖徳太子・空海とのつながりもあるようです。



東大門は1190年に源頼朝の寄進により建てられたとされていて、淀君の寄進による大修復を経て、現在は重要文化財に指定されています。
門を守る仁王像は、作者・年代は分かりませんが、迫力のある仁王門となっています。

 

東大門をくぐると石畳の参道が続きます。
石山寺は「花の寺」と呼ばれることがありますが、桜の季節の参道はさぞや雰囲気があって綺麗でしょうね。



境内にはいつくかお堂がありますが、まず本堂へ参拝しました。
山の傾斜に沿っていますから、石段を登って行きますが、本堂の全景を見渡せる場所はなかったですね。





本堂は、滋賀県下最古の建築とされていて本尊の「秘仏 本尊如意輪観世音菩薩」が祀られています。
今年は33年ぶりの御開扉となっていますので、当方が次回を見ることは無理かもね。





この石山寺は、1004年に紫式部が新しい物語を作るために石山寺に七日間の参籠をした八月十五夜の名月の晩に、源氏物語の「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされています。
そのため、石山寺本堂には「紫式部の間」が造られ紫式部の人形が飾られていました。



石山寺は、国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上にあるということで、あちこちに迫力のある巨石が見えます。
硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものだそうで、、石山の名称の由来となっているようです。



珪灰石の岩盤の上に見えるのは日本最古といわれる多宝塔。
建立は1194年、源頼朝の寄進によるものととされ、日本三大多宝塔の一つになっているそうです。(他は金剛三昧院[和歌山]・浄土寺 [尾道市])



さて、参拝終了時間が迫ってきたので東大門へ向かう道すがら、面白いものを発見しました。
1mを軽く超える蛇の抜け殻です。生々しい感じ(ハサミがないと手では切れない感じ)がしましたので、この日の朝に脱皮したのかもしれません。



お寺に参拝した帰り道で蛇の抜け殻を見つけるとは何とも縁起が良さそうです。
こんな綺麗で大きな抜け殻を見たのも初めてだったかもしれません。


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アオゲラをパチリ!

2016-10-19 08:08:08 | 野鳥
 冬が近づいてくると、身近な場所でもアオゲラやアカゲラの姿を見かけることが多くなりますね。
特徴のある鳴き声で囀っていることが多く、周辺を探してみると木の幹を啄いている姿が見えてくることがあります。

キツツキの声がしていたので“アカか?アオか?”と探していると、見えたのはアオゲラでした。
啄いている時は忙しなく動くのですが、ちょうど枝先に留まってじっとしているところをパチリ!



 どこでエサを捕ろうかと探しているかのようなアオゲラ。
 目をつぶって考え事でもしてそうなアオゲラ。



 見返り美人といいたいところだけど、♂かな?♀かもね?
頭の上の赤のラインが見えない。



 識別用写真に!...なりませんね。



 さぁ臨戦態勢。飛ぶぞ!と思ったら、正面ではなく後方の茂みへ向かって飛んでしまいましたわ。



おまけは最近美声でモーニング・コールをしてくれるイソヒヨドリをパチリ!
この2羽は近所でよく見るイソヒです。♂の足元に転がっている小さな玉は吐き出したばかりのペリットです。





この日はまだ「冬の使者」のコハクチョウは来ていないようでしたし、同じく「冬の使者」のジョウビタキも姿はなく声を聞くこともありませんでした。
楽しみは週末に取っておくってことかもね。


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ツツドリの赤色型をパチリ!

2016-10-16 17:50:50 | 野鳥
 証拠写真でしかありませんが、ツツドリの赤色型を見つけました。
ツツドリの標準型は、初夏の山や秋の渡りの季節に出会う機会があったものの、赤色型は始めて見ました。



枝と葉の間からピンポイントながら何とか見える位置に留まってくれたのですが、同じ姿勢でしばらく動かずで、飛んだ後はもう姿を見つけることは出来ませんでした。
この時は別の鳥を探していたのですが、突然現れてフッと見える場所に留まってくれたのはツイてたね。





この秋のツツドリは9月の後半に姿を見ましたが、そいつは標準型のツツドリで知っている範囲ではもう抜けていると思います。
まさか今頃ツツドリに会えて、おまけに赤色型だったのですから、証拠写真でも写っていたことに満足しないといけませんね。



今シーズン初の鳥では、アトリの姿がありました。
こっちも証拠写真なんですけどね。





野鳥を探していて、予想通りの野鳥にきっちり会えるのは嬉しいことですが、予想もしていなかった野鳥が出てくれると一気にテンションが上がります。
まずはこれからやって来る冬鳥たちにきっちり会いたいですね。


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御朱印蒐集~長浜市 向源寺(渡岸寺観音堂)~

2016-10-14 18:31:30 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖北地方の長浜市の中でも旧伊香郡(2010年に市町村合併前の名称)は観音の里として知られています。
なぜ湖北地方に観音信仰が根強いのかは分かりませんが、国宝や重要文化財に指定されている仏像が多い土地の不思議さがあります。

7~8月にかけては東京藝術大学で『観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-』が開催されていたそうですから、湖北の観音信仰は全国的な知名度があるのかもしれませんね。
湖北の観音様で有名なのは十一面観音像で、中でも国宝の十一面観音像が祀られている向源寺(渡岸寺観音堂)へ参拝しました。



向源寺は寺伝によると、『736年都に疱瘡が流行したため、聖武天皇は泰澄(奈良時代の修験道の僧)に除災祈祷を命じた。
泰澄は十一面観世音を彫り光眼寺(後の向源寺)を建立したところ憂いは絶たれた。』とされています。

更に801年には比叡山延暦寺の最澄が勅を奉じて七堂伽藍を建立して、興生を極めた時期があったそうです。
しかし、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼失し、寺領を没収されて廃滅してしまったようです。
その後、住職巧円や近隣の住民は、浄土真宗の寺として向源寺を建立して現在に至ることになります。



このお寺は向源寺というより、渡岸寺の十一面観音像として名前が定着していますが、これは向源寺が浄土真宗に改宗したことの影響だそうです。
浄土真宗では阿弥陀如来以外の仏像を祀ることが出来ないのですが、本堂には祀らず、向源寺飛地境内観音堂(渡岸寺観音堂)に祀ったことで本山から許可されたそうです。



向源寺というお寺は実在するのですが、参拝に来られるのはこちらの通称:渡岸寺になります。
仁王門の金剛力士像を見ながら境内に入ると、外から見るより広い境内が広がっています。
竹林の前には井上靖の文学碑が置かれてありました。



本堂にも参拝しましたが、やはりこのお寺は慈雲閣という収蔵庫に収められた十一面観音と大日如来坐像ということになります。
自動ドアから中に入るとライティングに照らし出された2体の仏像が安置されています。



この十一面観音は194cmの一木掘成で平安時代後期の作ではないかといわれています。
“密教像特有の印度的な感じ”と専門家の説がありますが、横に並んでいるのは大日如来ですから、密教系の寺院のような趣があります。


(ポストカード)

この十一面観音は、浅井・織田の戦火の時に住職や近隣の住民によって土中に埋蔵して難を逃れたとの逸話があります。
ではなぜ湖北の観音信仰がこれほどまでに盛んになってのでしょうか?

一つの説として、長浜市木之本にある己高山(標高923m)はかつて近江国の鬼門にあたることから、いにしえより修行場であった。
また己高山は、奈良仏教と白山信仰の山岳信仰の影響があり、平安時代には天台宗の影響を受けて、己高山を中心とした湖北の寺々は独自の仏教文化が作られていった』という説があります。

しかし、室町時代から戦国時代にかけて天台寺院は衰退して廃寺となる寺が多くなってしまいます。
それにより、村人たちによって仏像を「村の守り・村の御本尊」として守り続けられてきたとされています。根本には土地に縛られた農(農民)の文化の一面もあるのかもしれません。


(ポストカード)

お寺の駐車場の横には「高月観音の里 歴史民俗資料館」があり、仏像の展示や考古資料・民俗文化財などが展示されているのですが、ここでどうしても見たかった仏像を見ることが出来ました。
飢餓と修行でやせ衰えた釈迦の像です。

「釈迦苦行僧」は山林にこもって約6年間にわたり断食と座禅の日々を送ったというお釈迦様の姿とされています。
「自分のやりたいことだけを楽しんで一生を過ごそうと思うことは、おろかなことだ。しかし自分を苦しめるような修行に夢中になることも同じではないか。」(「禅のこみち」より)
考えに考えた結果、「山も、川も、草も、木も、この世界にあるすべてのものは、みな大切な役割を与えられている。私の命にも何らかの役割が与えられているのではないか。」という心境に至ったとされています。


(ポストカード)

お寺の周囲の集落は、水量があり綺麗な水が流れる小川があります。
その横には樹齢300年といわれる巨木の欅があり、村人たちに守られているようでした。



観光バスなどで訪れる方の多いお寺ですが、地元の方の信仰によって守られてきたお寺の一つといえるかもしれません。
湖北には無住(むじゅう)のお寺もあるかと思いますが、地域の手で守り続けているのは凄いことだと思います。


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アサギマダラとノビタキをパチリ!

2016-10-13 07:12:12 | 野鳥
 いつまで暑いんだろう?と思ってはいても、日本の四季は正直なものでなもので、朝夕ヒンヤリとしてきましたね。
通勤も半袖シャツでは寒くなってきて、今週は長袖シャツにジャケットを羽織ってということになりました。

気候の影響か?やや遅い飛来でアサギマダラがやってきました。
アサギマダラは渡りをする蝶ですので、春に身近な場所で会って・初夏の夏山で会って・秋に再び身近な場所で会って、と季節ごとに楽しませてくれます。



今だと、北の高原から飛んできて南への長距離飛行の途中といったところでしょうね。
彼岸花の季節には間に合わなかったようですが、セイタカアワダチソウの開花には間に合ったようです。





さて、渡りの野鳥のノビタキは数が激増していました。行く先々で姿を見ることが出来ました。
場所が違うので番(つがい)ではありませんが、冬羽の♂と♀をパチリ!





先週末の琵琶湖にはカモの姿が多くなってきましたし、やや沖にはユリカモメの大集団の姿が見えます。
これからは1週ごとに新入りの野鳥が増えてきそうですね。


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没後20年 特別展~星野道夫の旅~

2016-10-10 18:33:55 | アート・ライブ・読書
 星野道夫さんというネイチャー・フォトグラファーの名前を聞かれたことのあるかと思います。
アラスカを中心として動物や自然を撮影されてきた写真家として有名ですが、随筆家・旅人として多くの方に影響を与えてきた人でもあります。

NHKの番組で星野さんの「旅する本(旅する木)」という本が、バックパッカー・南極の湖に潜る女性研究者・単独無補給で北極点を目指す冒険家などの人々によってリレーされていき、世界各所12万キロを旅していったというドキュメンタリーが報道されていましたのでご覧になった方もおられると思います。なぜ「旅する木」が「旅する本」になったのかは、「木」の字に横棒を書き込んで「本」という字にして“旅(を)する本”のリレーをスタートしたことが始まりという洒落た話があるみたいですね。
アラスカの極北の大自然を愛し、多くの方を魅了してきた星野さんの『没後20年 特別展 星野道夫の旅』が東京・大阪・京都・横浜で開催されていますので、京都開催の写真展を見てきました。



星野さんのことは野鳥の会発行の「Toriino(トリーノ)」という季刊誌で知り、エッセイを読み始めてからすっかりファンになってしまいました。
文章を書く写真家としては今森光彦・藤原新也などがおられますが、言葉と写真で表現される写真家って好きなんですよ。



特に今年は我が家にとって特別な年で、カナダ人の留学生(イヌイット)が何度か遊びにきていましたので、ますます極北の自然に愛着が深まっていったしだいです。
カナダの北部では、カリブーやムースなどが普通に見られ(普通に食材としても食卓にのぼる)、自分で撮影したオーロラの写真なども見せていただいたり、アザラシの毛皮の一部をもらったりして、極北の自然に想いを募らせていました。


(図録)

特別展の構成は「アラスカとの出会い」・「大いなるアラスカ」・「生命のつながり」・「神話の世界」・「星野道夫の部屋」と構成されて展示写真数は約250点の回顧展になっていました。
また実際に星野さんが使用していたカメラやスノーシュー・バニーブーツが「星野道夫の部屋」に展示されており、旅する星野さんの姿の想像を巡らせられるコーナーもありました。


「滝を越え遡上してきたサケとグリズリー」(ポストカード)


「ムース」(ポストカード)


「夜空に舞うオーロラと満月」(ポストカード)

会場の出口近くの壁には星野さんの素晴らしい言葉が書かれてありました。

『短い一生で
心魅かれることに多くは出会わない
もし 見つけたら
大切に・・・大切に・・・』  - 星野道夫 -



星野さんはロシアでの取材時に、地元TV局の社長によって餌付けされたヒグマに襲われて享年43才で亡くなられてしまいました。
ヒグマは日本にも生息していて毎年被害に遭われる方がおられますが、ヒグマの恐ろしさを書いたノンフィクションと小説があります。

 

「慟哭の谷」は1915年に発生した“三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)”を中心に、ヒグマによる事故を書いたノンフィクションで星野さんのロシアでの事故についても書かれています。
吉村昭の「羆嵐」は三毛別羆事件を小説化したもので、人の味や人間の食べ物の味を覚えたヒグマの恐ろしさには背筋が凍るような震えがきますよ。


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