僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

湖東の紅葉!~リフレクションと水晶玉の世界~

2024-12-13 06:30:00 | 風景・イベント・グルメ
 今年の紅葉は色づきが遅れているようでしたが、そろそろ見頃かな?と紅葉狩りに行ってみたらジャスト・タイミングで見頃を迎えていました。
紅葉は、色づき具合・天気の光加減や太陽の位置、落葉の状態など条件がいろいろある中で、色づきと光の加減は丁度良い時に恵まれたのではないでしょうか。

近年は、紅葉に限らず青紅葉や庭園のリフレクションが写せるようにされている所が多く、床や机の上には鏡面のシートが準備されていました。
みなさん机の上にカメラを載せたり、床に転がってリフレクションの出る位置を探したりします。



今回はリフレクションの紅葉を水晶玉に写し込むという技を教えて頂き、撮影することが出来ました。
紅葉はリフレクションで撮影するとスマホでも雰囲気が出るものなんですが、さらに水晶玉に写し込めば景色は反転する。
教えて頂いた上に撮影までさせて頂いた方には大大大感謝!です。



社務所の間での外にある大きな紅モミジの木はまさに今が見頃。襖絵のように見える艶やかな色づきです。
黄色く色づいたモミジと黒い幹や障子の枠との対比があり、グラディエーションも楽しめます。



障子4枚をリフレクションで撮ってみました。
額縁の中に描かれた絵画のような雰囲気がありますが、ガラス障子の上の部分が摺りガラスなのも雰囲気を出しています。



紅く色づいた方のモミジのリフレクションを社務所の方に教えてもらって、寝転がって撮ってみる。
順番を待ってカメラを持った方々が次々に寝転がって撮影している面白い時間でした。





次は部屋の中で寝転がる方向を変えて黄色いモミジを撮ります。
その場に居た人は状況が分かっているから良いものの、後から来た人は人が交互に寝転がって撮影しているのを見てさぞや驚かれたことでしょう。



犬上川は水量もそこそこあって、削れた川岸の岩々に迫力があります。
安全のためか、川岸へ下りることが出来なくなっていましたのは少し残念でした。



せっかくなのでもう一カ所、紅葉スポットに立ち寄ってみます。
この位置から見える木々は紅葉しているのですが、この角度からは日陰になって色合いが出ないのが惜しい。



長閑な参道には紅いモミジが覆いかぶさり、奥には黄色や橙色の紅葉の奥に銀杏の大木が見えます。
神社や寺院の境内に銀杏があることが多いのは、銀杏は貯水性が高い樹木なため防火の役割があって多いのだとされます。



石段の上には紅や黄色や橙色に緑の葉がグラディエーションを作り、カラフル!と声に出しそうになるような美しさです。
真上を見上げてみたら絵の具で描いたような色彩ですが、これは人が絵の具で描くより美しいのでは?と感じてしまいます。





鐘楼の周辺のモミジは横にある石段にある紅葉共々、色鮮やかな紅葉に囲まれています。
まだほとんど落葉していないので、次は落葉した紅葉の時期へと変わって行くのでしょう。





2躰のお地蔵さんの後方には銀杏の木。
境内奥にある銀杏の大木より樹齢は若いと思いますが、地蔵と銀杏の黄色い葉の組み合わせは今だけ見られる光景です。



寺院へとつながる舗装道は彩りの道。
自然が醸し出すカラフルさは人為的には作り出せないものだと思います。



次の週末は天気が崩れる気配ですので、今年の紅葉はこれが最後かな!?
とはいえ、今年の紅葉にジャスト・タイミングだったようで運が良かったな。


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駆け抜けろ、秋の水郷「水郷の里マラソン」を走る!~近江八幡市~

2024-11-10 17:22:22 | 風景・イベント・グルメ
 真似事程度でマラソンを初めて1年足らず。
ゴールデンウィークに初めて出場した「奥びわ湖健康マラソン」から半年、近江八幡市で開催された「水郷の里マラソン」を走ってきました。

秋のマラソン・シーズンを目指して夏の間に走ったりしてきて、秋の彦根市と近江八幡市の大会を目標にしてきたにも関わらず、なんと2つのレースが同日開催。
泣く泣く彦根市の「彦根シティマラソン」を諦めて、近江八幡市の「水郷の里マラソン」にエントリーしました。



マラソンとはいってもフルマラソンでもハーフマラソンでもない短いコースですが、何十年も運動らしい運動をしていない体には苦しくて苦しくて息も絶え絶えです。
とにかく止まらず足を動かし続けたら、いつかゴールの半円のエアーアーチをくぐり抜けられると極端にペースダウンしないよう粘りながら走ります。



コースは近江八幡市立運動公園からスタートして畑や田圃の広がる平野をグルッと周回するコースでした。
周辺にいた早いランナーは先に行ってしまい、近いペースを刻んでくれる人に付いて走ります。
最後の頑張りどころとラストスパートをかけて少し先を走る人を追い抜こうと思いましたが、残念ながらもうその余力は残ってはいませんでした。



で、タイムはどうだったかというと...練習も含めてこれまでの最高タイムだったGWの「奥びわ湖健康マラソン」から約3分縮めることが出来ました。
ゴールしてタイムを見た時に“早く走れた~!”と嬉しく思うのと同時に“このペースで走ったこと無いし、シンドイはずや。”と納得。


ゴール後にBODY MAINTEというコンディショニング ドリンクをもらってやっと一息。
ランの途中にあるエイドでドリンクを取りましたが、今回もうまく飲めず。走りながらの給水は練習が必要ですね。
「水郷の里マラソン」の参加賞はオリジナルタオルです。



さぁでは駐車場に戻ります。目の前には長命寺山。
これでしばらくはランニングは休もうかと思いきや、帰りにスポーツ用品量販店に寄ってナイキのランニングシューズ「ペガサス41」を衝動買い。
今使っているONの「クラウドモンスター」と比べて走り心地はどう違うでしょうね。では試しがてらに走りに行こう!




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「豆腐田楽発祥の地」目川立場と歌川広重の石部宿~東海道五十三次の街道~

2024-09-29 15:00:00 | 風景・イベント・グルメ
 「豆腐」は平安時代末期に中国より伝わり、その後串刺しにして焼いたり、焼いた豆腐に味噌を付けたりして「田楽」として親しまれるようになったといいます。
子供の頃には祭りの日などハレの日におもてなしの料理のひとつとして食べた記憶があり、豆腐の上に乗っている味噌の甘辛さが今も好きです。

滋賀県の栗東市の目川は「田楽発祥の地」とされており、東海道沿いに面した街道筋には江戸時代には3軒の田楽茶屋があったといいます。
目川にあった「京いせや」「こじまや」「元いせや」という田楽茶屋は今は跡形もありませんが、「田楽発祥の地」という石碑が残っていました。



歌川広重の「東海道五十三次」の五十一番目の宿場・石部宿の田楽茶屋の様子が描かれており、店の暖簾には「いせや」の文字が見えます。
前を流れるのは野洲川と思われ、後方に連なる山は比良山系になるのでしょうか。

広重の浮世絵は、実際の光景を描写したものではなく、その地をより抒情的で風情のあるように描きます。
実際にその地を訪れてみると現実的ではない場面に出くわしますので、絵は伝聞と広重の想像力の産物ともいえます。
また浮世絵に登場する旅人や宿場の人物からも、それぞれの人のドラマを感じさせてくれて見る方が楽しめるようにもなっています。



広重は目川の田楽茶屋を石部宿として描いていますが、実際の目川は石部宿と草津宿の間にある立場(宿場と宿場の間に設けられた茶屋)になります。
東海道を実際に移動して見ると、石部宿から目川まではかなり距離があり、目川はむしろ草津宿に近い場所にあります。



石部宿にはかつての田楽茶屋が再現されていて、田楽や郷土料理が食べられるお食事処があり、ここでの食事を楽しみにしてやって来ました。
このところ豆腐田楽の食べ歩きをしておりますので、石部宿の豆腐田楽のお味はいかが?といったところです。



田楽茶屋は平成14年に旧石部制百周年記念事業として再現されたそうで、東海道沿いの曲がり角の一角にありました。
お店は一見観光茶屋に見えるのですが、この日は観光の客は当方たちだけで、地元のお年寄りが次々に訪れて食事しながらの社交の場になっているような感じです。



食事は「自然薯蒲焼き」の丼に「豆腐とコンニャクの田楽」郷土料理だという「芋つぶし」を注文。
すりおろして焼いた自然薯はミョウガ・大葉・ネギで丼になっていて、あっさりとして食べやすく滋養強壮食の自然薯と一緒に食べられますので夏に最適な料理です。



「豆腐とコンニャクの田楽」は赤味噌ベースの味で、豆腐は厚みがあって柔らかくて箸の間から零れ落ちそうな感じ。
「芋つぶし」は、里芋とご飯を一緒に炊いてつぶしてお団子にしたもので、この土地の郷土料理だそうです。
味噌だれと醤油だれの2個がセットになっていて五平餅をもっちりさせたような食感でした。(もうお腹いっぱい)



宿場内に石部宿と書かれた灯籠があるのは「西縄手」という場所で、石部宿に入る前に参勤交代の為の大名行列を整列した場所とされます。
縄手とは立場(休憩所)と立場の間の道の事だといい、石部宿の西にあることから西縄手と呼ばれるようになったそうです。





東海道を草津に向かって進んで行くと「旧和中散本舗」という豪商の店舗が見えてきます。
「和中散」は漢方薬の胃薬とされ、徳川家康が腹痛を起こした時にこの薬を飲んで治ったことから和中散と名付けられ、道中薬として重宝されたそうです。
店頭には暑気あたりなど夏の諸病に効くという「ぜざい(是斎)」の看板が掲げられ、東海道の両端に並ぶ建物の3棟は国の重要文化財に指定されているという。





東海道を草津方面に下ってきたのは「田楽発祥の地」の碑を探すためですが、いつまでたっても到着しません。
そうこうしているうちに梅ノ木立場の一里塚に来てしまったのですが、食事した田楽茶屋の近くにも一里塚があるので少なくとも4㌔は移動してきています。



一里塚からさらに下ったところに「田楽発祥の地」の碑(1枚目の写真)はありましたが、石部宿から梅ノ木立場・目川立場と距離がありました。
その後、やっと「田楽発祥の地」の碑(元伊勢屋跡)に到着しましたが、今は普通の民家ですので、余分な物を写さないよう気を使いながら写真を撮ります。

写真一枚目の「田楽発祥の地」の碑は「元いせや」跡にありますが、もう一つ「京いせや」跡にも碑が立てられていました。
「こじま屋」を含む3軒の田楽茶屋の田楽と菜飯は街道を通じて、西は京都北野天満宮、東は江戸の浅草寺など各地に広がっていったといいます。
田楽と菜飯のセットは「目川」と呼ばれて親しまれ、目川は田楽発祥の地として全国にその名を知られていったといいます。



目川は栗東市ですが、草津市と隣接していますのですぐに草津市の「うばがもちや本店」の前を通ることになります。
「うばがもち」は草津宿の茶屋で出された「あんころ餅」で、広重の東海道五十三次「草津宿」でも「うばがもちや」が描かれています。
草津宿は東海道と中山道の合する交通の要衝ということもあって人の往来はにぎやかで、これから江戸へ向かう人、京都まであと僅かな人、ここで会うのも一期一会。



誰もが長旅に出ることは出来なかった時代、広重の東海道五十三次を見て、旅やグルメへの想いを馳せた庶民が多かったことでしょう。
食べてばっかりですが、うばがもちや本店で「うばがもち」を購入。



草津は東海道と中仙道の交わる交通の要衝ですので、街道を行き来する多くの人たちが名物の餅を食べて旅路を進んだのでしょう。
「姥が餅」は、信長に滅ぼされた六角義賢の曾孫を養うため、乳母が餅を作って往来の人に売って質素に暮らしていた姿が名の由来となっているようです。


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バンテリンドーム中日vs阪神戦~乱打戦にて阪神敗れる~

2024-07-14 17:55:55 | 風景・イベント・グルメ
 バンテリンドームでの中日vs阪神を観戦に行きましたが、貧打線とされる中日も阪神も両軍共に安打が飛び交う試合となりました。
何度か“これでもう勝った!”と確信したにも関わらず、最後は祈るような気持ちも通じず敗戦となり、ガックリと肩を落として帰ることに...。
この試合では打てない阪神の姿はなかったものの、自慢の投手力が崩れて最後は打ち負けたというよりも投壊で負けたような試合です。



観衆は発表によると36294人とあり、総客席数が36,398席ですので超満員の観客動員数です。
従って入場チェックも長蛇の列となり、中日が攻撃時の三塁側のトイレには長い列が出来ていました。



阪神のオーダーは中日の先発が右の涌井(初回だけ投げてアクシデントで退場)だったこともあって阪神打線には左バッターがずらりと並びます。
1番はライトの島田。5打数1安打で打点1なのでまぁまぁかな。



2番はセカンド中野で3番はセンター近本。
二人とも四球は1個づつ選んだもののヒットはなしで、少しバットは湿っておりましたが、守備は手堅い。





三者凡退に初回を抑えられて、阪神の先発は伊藤将司。
好投を期待しておりましたが、結果は3回6安打自責点5と残念な結果となりました。



5対2とリードされた4回の阪神の攻撃では、ヒットで出た島田の後、2アウトを取られたが前川・大山が連続四球で満塁。
この日は前川も大山もマルチ安打で調子が良さそう。若い前川は将来が楽しみですね。





2アウト満塁から坂本の会心のレフト前安打で1点追加。
ここで代打は直球破壊王子こと渡邉諒が登場。打ち返した打球はセンター前ヒットになり2者生還。
これで5対5の同点に追い付いて逆転ムードが高まってきます。





4回裏から登板した富田は13球で三者凡退。
流れは確実に阪神にきていますよ。



5回表の阪神の攻撃は近本が四球で出塁したところで4番の佐藤輝。
長打を期待して動画を回していたが、結果はセカンドゴロでゲッツー。



しかし諦めるのはまだ早い。前川の内野安打に続いて大山が申告敬遠で2アウト満塁のチャンス。
ここで打席には小幡。中日のピッチャーは左の斎藤ですが、ここは小幡に頑張ってもらうしかない。



小幡は期待に応えて右中間を破る3ベースヒット!
この時は偶然動画を撮っていましたのでバッティグと1塁からの坂本の激走とスライディング。
内野外野の大盛り上がりの六甲おろしまで撮れました。



試合は8対5で阪神リード。
得意の継投でつないで9回まで抑えられると誰もが思い始めた5回裏、漆原が大乱調。
続いてマウンドにあがった浜地も打たれて一挙5失点で10対8と逆転されてしまいます。

6回は猛虎打線が鳴りを潜めて3者凡退。7回は前川のヒット以外は3三振と意気消沈。
7回から登板した及川と8回の石井が好投して押さえてくれましたので、9回の攻撃に期待です。





9回表、先頭のサトテル三振の後、前川がエラーで出塁。続く大山のライト前で1アウト2・3塁。
さぁ~ここで切り札の原口が登場です。
原口はライトフライでタッチアップで1点かと思いきや...3塁コーチャーの判断はストップです。



殊勲の3塁打を含むマルチ安打の小幡はあえなく三振でゲームセット。
点の取り合いで面白い試合でしたが、両軍合わせて24安打で阪神も11安打の8点ですから珍しく打つ方は良かった試合でした。
途中までアルコールは飲まなかったのですが、最後はさすがに売り子さんを呼び止めて飲まずにはいられなくなる。



翌14日の試合は9回まで1対1の同点で、その1点は両チーム共にピッチャーのヒットで得点したようです。
延長戦となった10回表、猛虎打線が爆発して一挙5点をあげる大爆発です。

これで決まったと誰もが思った10回裏、1点返されて尚ランナー2・3塁で、最後は岩崎まで投入しての勝ち。
今年の阪神は相手チームの粘りもあって簡単には勝たせてもらえないですね。


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初マラソンを快走!?~奥びわ湖健康マラソン~

2024-05-20 17:25:25 | 風景・イベント・グルメ
 人の趣味趣向というのは時に信じられないような変化があるようで、ランニングを始めることになろうとは1年前の自分が知ったらさぞやビックリすることでしょう。
一定の距離を走るなんてのは高校の体育の時間以来だし、山登りを始めるまでは歩くのもあまり好きではなかったのにも関わらず走り出したのです。

走り始めた頃は数百mも走れずの状態でしたが、少しづつ走れる距離を伸ばしていって、5㌔とか3㌔のコースを設定して週に何度か走っています。
5㌔なら安定して走れるようになりましたので、5㌔コースが設定されている「奥びわ湖健康マラソン」が初マラソンのデビュー戦です。



「奥びわ湖健康マラソン」は3コースあり、15㌔コースに約1500名・5㌔コースに400名少々・1.5㌔に200名弱の方、計2000名以上がエントリーされています。
当方がエントリーしたのは5㌔コースで、これが今の実力レベルでは精一杯です。

開催場所はJR永原駅の近くの長浜市役所西浅井支所で、とってもローカルな駅近くの施設からのスタートとなります。
JRの運行本数がとても少ないので車で現地に向かいましたが、会場が近くなると道路が渋滞してきて他府県ナンバーの車も多い。



会場に到着すると初めてのマラソン大会の雰囲気に緊張感とワクワク感を感じつつ、スタートとゴールを確認します。
このところ夏日が続いていたので暑さとも戦わなけらばならないかと思っていましたが、幸い曇り空で気温が上がらずコンデションはまぁまぁです。



フィニッシュはゴールと書かれたエアアーチを通り抜け、両脇に人がが並ぶ直線コースを駆抜けることになる。
タイムとか順位とかは関係のないレースなので、自分の力を試しつつ走ることを楽しみたいな。



開会式での浅見長浜市長の挨拶と、横に並ぶは「スポレク滋賀2008」のマスコットのキャッフィーと2025年に滋賀県で開催される国体のマスコット「チャッフィー」。
開会式が始まる前は出場前のランナーたちが列を作って、ビワコオオナマズのマスコット・キャラクターたちと記念撮影をされていましたよ。



発走はまず15㌔レースからですが、1500名ものランナーが走るとスタートラインに並ぶまでが大変です。
15㌔レースだけスタートが別の場所になっているので1500名のランナー大移動が始まります。



ところで、当方が走ろうと思った一つの要因は、山行をしている時にトレイルランニングの人を何度か見かけ、カッコ良いなと思ったことが始まりです。
トレランをするにはまず平地で10Km走れる事が必要と言われますので、走り始めたのが最初です。

決めた距離を走れるようになってくると、次は時間を縮めることに関心が移ってきて購入したのが「オン(ON)」のシューズのクラウドモンスターです。
ホカオネオネのシューズかONのシューズかで迷いましたが、履き心地が良かったONの方を購入。(価格は2つとも同じくらい)
ONはスイスのシューズメーカーで、この靴を履き始めてから1Kmあたり30~45秒くらい早く走れるようになりましたよ。



...ということで当方が走った5㌔コースは、序盤は人の渦に囲まれてスローペースでしたが徐々にペースを上げていく。
ペースの上下はあったものの、最終的には練習での最高タイムに1秒及ばなかったものの、たいへん満足できる結果となりました。

初経験で困ったのはエイドでの給水で、走りながら飲み物を飲むのはなかなか難しく、これは慣れが必要ですね。
ただ途中の集落内では、家の前で観戦して励ましの声を掛けて下さる方々(主におばぁちゃんたち)が多数おられ、これは心強かった。
下は参加賞のタオルです。



記念に購入したのは奥びわ湖健康マラソンのオリジナルTシャツです。
スピードは遅いながらもとても気持ち良く楽しく走ることが出来ました。
来年の大会にはこのTシャツを着て走ろう!

 


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東近江市五個荘「商家に伝わるひな人形巡めぐり」~雛匠 東之湖 清湖雛物語~

2024-03-03 15:03:03 | 風景・イベント・グルメ
 近江商人は、大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人とされ、天秤棒で担いで行商の旅をする姿でよく知られています。
なかでも「てんびんの里」をキャッチコピーとする五個荘は、行商から大商人になった近江商人が多いとされます。
重要伝統的建造物群保存地区には、近江商人屋敷の白壁の屋敷や蔵、舟板塀のある町並みが残ります。

五個荘ではひな祭りの前後1カ月に「商家に伝わるひな人形めぐり」が開催され、近江商人屋敷と風情ある町並みと豪華な雛人形が公開されます。
また、近江商人屋敷の中江準五郎邸では雛匠「東之湖」さんが製作した「清湖雛物語」が開催され、新作の人形を見るのも楽しみのひとつになります。



東之湖さんは近江新之助上布(本麻ちぢみ上布)を使い、伝統的な手法で雛人形や創作人形を作られている方です。
「清湖雛」は2004年に始まり、「清湖雛物語」に展開され、2013年からは「近江八景シリーズ」が始まり、今回遂に近江八景は完成しています。



2023年に製作された「石山秋月」は、石山寺に七日間の参籠をして「源氏物語」を書き出した紫式部をイメージしたものでしょうか。
中央が「石山秋月」で、両隣には同じく近江八景の「堅田落雁」と「瀬田の夕照」が並びます。



「清湖雛」は、湖国の自然をモチーフにして作られていますので、琵琶湖を配して四季の折々の湖国を演じています。
白砂の琵琶湖を取り囲むように「六人官女」「三井晩鐘」「矢橋帰帆」「比良の暮雪」「堅田落雁」が湖周を取り囲みます。



「比良の暮雪」は、雪に覆われた冬の終わりから春の訪れをイメージできる作品で、今頃の季節を象徴するような人形です。
湖西の比良山系を琵琶湖越しに眺めると、蓬莱山を中心にまだ標高の高い所には積雪した白い山肌が見えます



中央左には春の桜をイメージさせる十人囃子が並びます。
十人囃子の後方には「清湖雛物語」の四方の守り神の一人の「湖北の水の神」が展示。



五個荘の「商家に伝わるひな人形巡めぐり」はコロナ渦で緊急事態宣言が発令された年の3月に訪れたのが最後になります。
4年振りに訪れた人形巡めぐりで変わったなぁと感じたのは各商人屋敷に「吊るし雛」の展示が多かったことでした。

江戸時代の頃は、雛人形はとても高価なものだったため、一部の裕福な家庭で飾られるのみで一般家庭ではなかなか手にはいらないものだったといいます。
「吊るし雛」は生まれてきた子供の成長を祝うため、祖母や親戚・近所の人が人形を布で作って持ち寄り、ひな祭りの時に吊るしたものだそうです。



庶民的な「吊るし雛」とは対照的に、平安時代の京都の寝殿(天皇が居住していた宮殿)を模したのが「御殿飾り」の雛人形です。
「御殿飾り」は明治・大正から戦後にかけて流行したとされますが、こんな豪華絢爛なお雛様を飾ることが出来た家庭は限られていたのではないでしょうか。



「御殿飾り」が作り始められた頃には、屋根のない「源氏枠飾り」と呼ばれる雛人形もあったそうです。
この雛人形は明治45年生まれの方の雛人形だそうで、109年経ち昔は高価なものだったので大切に受け継がれているとありました。



中江準五郎邸の蔵には五個荘小幡町で江戸時代から明治時代にかけて作られた郷土玩具「小幡でこ」が展示されています。
五個荘は中山道に面していたことから、往来する人の土産や玩具として伏見人形の製法を工夫して「小幡でこ」を考案したそうです。



「小幡でこ」は300年の歴史があるとされ、明治初期までは4~5軒のお店があったものの、現在は本家九代目の細居家だたひとりになったそうです。
人形の種類は、節句人形や十二支などの縁起物など約400種類あるようですが、需要が減ってきて後継者問題も抱えているようです。



「御殿飾り」や「源氏枠飾り」が展示されていたのは「外村繁邸」ですが、ここにもたくさんの「吊るし雛」が飾られていました。
「吊るし雛」には“うさぎ”“鶴・亀・這い子・去るボボ・羽子板・独楽など縁起の良い飾りが吊るされ、女子の生まれた家の初節句のお祝いをしたようです。





近江商人屋敷の3つ目はスキー毛糸で一代にして財を成した藤井彦四郎邸を訪れます。
総面積8155.3平方メートルの中に総ヒノキ造りの客殿や主屋に土蔵、ログハウス風の洋館など豪商ゆえの豪邸です。

公開されている近江商人屋敷は庭園も見事なのですが、藤井彦四郎邸の池泉回遊式庭園は約25mプール8個分という広大な庭園です。
この御屋敷は、皇族方や貴賓客を迎える為の迎賓館として造営されたのですが、そこには地元の雇用促進の意味合いもあったようです。
変わり種の雛人形は、花(絞り布)のお雛さまで、内裏雛はボタン・三人官女は八重クレマチス・七人囃子はパンジーで下2段を含めて5段の雛人形となっている。



もうひとつ珍しい雛人形は、打掛の前の「狆引き官女」の人形です。
狆(ちん)は、日本原産の愛玩犬で5代将軍・徳川綱吉の時代には江戸城で座敷犬・抱き犬として飼育された改良犬だという。

昔はお産で命を亡くしたり、乳児の死亡率の高かったため、お産が軽く育ちやすい犬に安産と子供の健やかな成長を願って飾られたそうです。
「狆引き官女」は昭和初期まで雛飾りのひとつとして飾られていたそうですが、見るのは初めて。
官女がひいている座敷犬の狆(ちん)は、白黒の可愛らしい小さな犬です。



客間には大正から昭和にかけて制作された段飾りのお雛様が並び、七段飾り(「十五人飾り」)はよく見たオーソドックスな雛人形です。
市松人形が飾られていますが、姉妹に一人一対のお雛様を飾れない場合、二人目からは市松人形を贈ったりしたようです。



「節句」は年に5日あり、人日(七草)上巳(桃)端午(菖蒲)七夕(星まつり)重陽(菊)が定められています。
五節句は季節の変わり目でその邪気を払い、無病息災や子孫繁栄を願う伝統行事で、それぞれの節句に意味があるようですね。


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2024年「長浜盆梅展」✖早川鉄平さんの切り絵コラボ

2024-02-25 16:08:08 | 風景・イベント・グルメ
 「長浜盆梅展」は今年で第73回目の開催を迎えて、梅の香りを届ける湖北の春の風物詩となっています。
昨年に続いて今年も雪が降ったのは一度だけで、雪に埋もれることはなく、厳冬の季節を実感する事が減ってきています。

田舎道を歩いていると、薹が立ったフキノトウが花を咲かせているのに気付いたりしますから、季節が巡るのは早いものです。
ウォーキングをしていても梅の花が咲いているのを見かけますので、そろそろ見頃かと思い長浜盆梅展に訪れました。



盆梅展は、今年で4年連続となる米原の切り絵作家・早川鉄平さんとのコラボと夜間特別企画「盆梅と竹灯り」が開催されています。
会場となる「慶雲館」は、明治天皇皇后両陛下が京都行幸啓の帰路に滞留されるために建てられた建物で、国の名勝の指定を受けています。



門から前庭に入ると道の両端に竹灯りが灯されており、幻想的な雰囲気で迎い入れてくれます。
盆梅も幾つか配置されていて、梅の花と竹灯りのやさしい光と大きな大灯籠や巨石の庭石など前庭にして見ごたえのある庭です。



慶雲館は元からあった本館と新館があり、まず「玉座の間」のある本館の2階へ上がります。
竹灯りが並ぶ階段を登っていくと、盆梅と竹灯りの饗宴の間となっており、後方の書は犬養毅の「天行健」の書。



部屋から池泉回遊式庭園の主庭を見降ろすと、竹灯りのライトアップと円錐状に雪吊りした庭木の対比が面白い。
かつてはこの庭の向こうに琵琶湖を眺望することが出来たといいますので、琵琶湖を借景とした見事な庭だったと想像されます。



盆梅展のハイライトは本館の一階の間で、壁側と縁側に沿って大きな盆梅が並びます。
長浜盆梅展で最も歳を重ねた梅が「不老」で樹齢は伝400年、高さ240cm・直径60cmの大きな古木です。
まだ蕾がありますが、係の人の話だと“咲くのが早すぎて盆梅展終了までもたないかも”と心配しておられました。



リフレクションに照らし出される人気の撮影スポットには、その樹形が不老長寿を感じさせるという蓬莱の白梅が見頃です。
左右下後ろの4面が鏡面になっているので写り込みが面白いのですが、人の姿までもが影のように写ってしまうのが難点です。



下は実物の蓬莱を写した写真。



次はリフレクションの蓬莱。



館内に展示された盆梅の開花状態には差がかなりありましたが、部屋にはほのかな梅の香りが漂っていました。
もう春近しということで、これからの季節は里山を出歩くたびにスプリング・エフェメラルに出会えるかもしれませんね。



1階の縁側から見た主庭の竹灯りです。
庭を歩いて見たかったけど、夜間は安全のため庭に出ることは出来ないのが残念。



主庭には2匹の鯉の竹灯りのモニュメントがあります。
中国の黄河にある「竜門」という滝を登った魚は竜になると伝えられており、登り切った魚は鯉だけだったという故事があるという。

この「竜門」のことを「登竜門」といい、登り切った鯉は立身出世のシンボルとして「鯉の滝登り」という言葉になったという。
そんな故事にちなんで、夫婦の鯉が竜になるイメージを描いたとされ、その竜は今年の干支になる。



渡り廊下を通って新館にはいるとまずは早川鉄平さんの鯉の切り絵と盆梅のコラボが展示されています。
竹灯りも切り絵も竜になる鯉をメインにしているのが面白いですが、鯉が竜になるのがテーマになっているのはヒネリが効いている。



新館の盆梅は蕾が多かったのが残念でしたが、琵琶湖をイメージしたと思われる湖面にある盆梅は開花まであと僅か。
屏風の上には宙を舞う竜の姿が垣間見えています。



反対側の壁には宙を舞う竜の姿がアニメーションで映し出されます。
今年の盆梅展は干支の辰を主題に置いて、鯉と龍の故事とうまくつなげていて面白い展示でした。



最後は、空を飛んでいく竜の姿の動画です。




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「あのベンチ」を探して!~彦根市 琵琶湖の畔~

2024-01-14 16:55:55 | 風景・イベント・グルメ
 NHKの『ドキュメント72時間』という番組で、彦根市の琵琶湖の湖畔のベンチが「琵琶湖畔 あのベンチで」というタイトルで取り上げられていました。
SNSなどでは有名なスポットだそうで、「あのベンチ」と呼ばれるベンチのある場所へ訪れる人が多いそうです。

番組では72時間の間に訪れる人の話を聞いて番組が構成されていましたが、たった一つのベンチを巡っていろいろな人のドラマが語られていました。
訪れる人は犬の散歩がてら立ち寄った人や週または月に何度か訪れる人。ビワイチの方やツーリングの方、遠方からわざわざや訪れる人など様々。



ベンチは琵琶湖を前にしたセンダンの木の下にある何の変哲もないベンチです。
しかし、訪れる人の想いや背景にあるものは様々で、琵琶湖を前に自分を見つめ直したり、癒されたりの場所としても描かれる。



放送では多くの方々が訪れている様子が映し出されており、放送の翌日ということもあって人で溢れているかと思いきや、到着した時は当方だけでした。
小雨で人が動きにくかったこともあったと思いますが、運よく太陽の光が差してきた時間帯でもありました。



琵琶湖の北の方には琵琶湖沿いに車を停めて座れるベンチが何ヶ所かありますが、孤独感が強すぎて寂しくなる場所がよくあります。
その点、ここは琵琶湖横の集落の間を通る旧道沿いにありながらも、一人になれる場所で、人とのほど良い距離感が感じられる場所です。



冬の夕日は南側に沈むということでこの方向に夕日は沈みますが、この曇り空では夕日は期待できそうにないですね。
「あのベンチ」の正面やや右には多景島、左には沖島があり、霞む対岸は天気が良ければ高島市や比良山系が望めそう。



湖岸には「近江湖の辺の道」の標柱が立てられており、「近江湖の辺の道」は湖西の近江舞子から近江八幡国民休暇村までの遊歩道だといいます。
全長140㌔の道は湖辺の自然や文化遺産を効率的に結ぶ遊歩道で、「環びわ湖周遊自然歩道」とも呼ばれているようです。



ところで、湖周道路には以前から気になっていた看板があり、ちょうどいい位置で信号待ちとなりましたので記念にパチリ!
『めっちゃ おもろい動物園』は甲賀市水口町にある室内動物園ですが、《近江八幡駅から徒歩3時間52分》って、歩いて行く人いるのでしょうか?



話を戻すと、以前は「あのベンチ」は琵琶湖岸を走るライダーたちの間で秘密の場所だったそうです。
今は“映えスポット”として有名になっていますが、「あのベンチ」に訪れる人にはいろいろな想いがあるようです。
言い方を変えると、人それぞれが抱える背景や想いを「あのベンチ」から垣間見たようにも感じます。

<追記>
翌朝、雲一つない青空に導かれて、もう一度「あのベンチ」へ行ってみました。
朝の琵琶湖の美しさには、いろいろなことから救われる気分になりますね。






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紅葉に包まれた池はモネの『睡蓮』を思わせる美しさだった!

2023-12-08 06:16:16 | 風景・イベント・グルメ
 今年の秋は何度か紅葉の名所と呼ばれる場所に訪れたのですが、紅葉の進み具合・色彩・時間・光などベストな状態の紅葉に出会うのに苦心しました。
紅葉の出来栄えは、夏の暑さ・晴れ日と雨の日のバランスがいいと綺麗な紅葉になるといいますが、自然のものゆえに人間の力ではコントロールできない領域になります。

紅葉のシーズンもそろそろ終わりかと思って向かった寺院では、最後に今年最高の紅葉を楽しむことが出来て大いに満足致しました。
寺院は山麓にひっそりと佇んでおり、近くの山々はスギなどの植林が少ないこともあり、落葉広葉樹が色づいて山々もとても綺麗でした。



総門から入ると参道には黄~橙~赤の紅葉が見られ、竹林との対比も美しい参道でした。
緩い石段や道の脇の石組の苔も実に風情があっていい雰囲気の寺院です。



御堂のある境内までの道は逆光になってしまいますが、竹林の間から光が差し込んできて、青空が広がってくれている。
この日は朝のうち曇っていたので心配したものの、到着する前に晴れ間が出てきて助かりました。



石段を登って境内地に入ると、鐘楼の周りには黄色や橙色や赤の紅葉の競演です。
まさに見頃の紅葉狩りとなり、カメラで撮影中の人が2~3名いるだけの紅葉の隠れスポットです。



落葉した葉もありましたが、境内は掃き清められて何ヶ所かに落葉がまとめられていて整備の良さを感じます。
集めた落葉は燃やされるのかどうかは分かりませんが、落ち葉で焚き火をして焼き芋を焼いてみるなんてのは風情がありますね。



境内にいくつも点在する紅葉はこの辺りが一番見頃となっており、紅いカエデも美しかったと思いますが、黄色い銀杏も綺麗に色づいていて美しい。
紅葉の名所とされる場所では、どうしても人が写り込んでしまいますが、ここではほぼ人がいないので気遣い不要でゆっくり出来ます。



大きな銀杏の木はフレームに納まりきらない大きさでしたが、見事に色づいています。
このサイズの大きな樹だと銀杏の実もたくさん収穫できるのでしょう。



あっと驚いたのと、ここへ来れたことの運の良さを感じたのは、銀杏の木が放生池にリフレクションで写り込んでいたこと。
合わせて睡蓮の葉の上に散らしたかのように紅いカエデの葉が落葉していたことです。



池の周囲は落葉した紅いカエデが絨毯のように色取り、水面には銀杏の木や睡蓮の葉や落葉したカエデの葉が浮かぶ奇跡のような光景が広がります。
また青空と空に漂うような雲も写り込んでおり、実際にある睡蓮や落葉と写り込んだ銀杏や青空がうまく融け込んでくれました。



これはクロード・モネの「睡蓮」の紅葉版だなとつぶやきたくなるような光景。
何年の何月/何日の何時/何分にしか見ることの出来ないベストなタイミングに恵まれて来訪できたことに大いに感謝します。



睡蓮の葉の上に散らしたように紅葉した落ち葉が浮かび、水面には青空と雲が写っています。
意図的に作った光景ではなく、自然にこういう光景となったと考えると、自然の面白さに感動を憶えます。



広角レンズを付けた一眼レフかミラーレスのカメラで撮ったらもっと綺麗な画像になったのでしょうね。
今年の紅葉を堪能できたひと時でした。



最後に石段横に会ったグラディエーションの綺麗なカエデを眺めて終わりとします。
晩秋の景色が終わると雪の季節。



昨冬は降雪量が少なかったと記憶していますが、今年の雪はどうなるのでしょうか。
降らないのも困りますし、降り過ぎるのも困る。ほどほどにお願いしたいところです。


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鶏足寺(旧飯福寺)・石道寺の紅葉~木之本町古橋~

2023-11-28 12:33:33 | 風景・イベント・グルメ
 紅葉は、色づき具合や日光の加減など“その年のその日の何時何分”にしか見られない光景があり、最高の瞬間は宝くじに当たるが如くと言われます。
「鶏足寺(旧飯福寺)・石道寺」はコロナ渦を経て、4年ぶりの受入再開となった鶏足寺の紅葉狩りに十数年ぶりに訪れてみました。

今年は紅葉の状態が悪いとあちこちで聞きますが、鶏足寺も例に洩れずレッドカーペットは見られず、本来なら参道に覆いかぶさっているはずの紅葉も少ない。
もっとも良かった年の鶏足寺と比較したらという話で、赤色を中心として美しく色づいたカエデは多く、観光客の方からは感嘆の声があがっていました。



駐車場から集落内を歩いていくと「亀山の茶畑」という茶畑があり、この茶畑は平安期に最澄が己高山鶏足寺を再興した際に茶の木を植えさせたことに始まるという。
古橋は三成の母の故郷とされ、三成が幼少の頃過ごした寺院があり、関ヶ原合戦に敗れた後に光成が隠れた「大蛇の洞穴」など三成にまつわる伝承の多い地です。
この「亀山の茶畑」で産出されたお茶は石田三成ゆかりの「三献茶」として販売されているそうです。



「鶏足寺(旧飯福寺)」の柱の後方の参道はレッドカーペットになるため通行禁止ですが、落葉した紅葉はすでに変色してしまっている。
もう少し早い時期にくれば良かったのかな?と世話役の方に聞いてみると、今年は落葉が始まったのが早く落葉も少なかったので少し残念な年になりましたとのこと。



紅葉は急な寒暖差がある日が続くことや、日中に秋晴れが続きながらも適度な降水量があって乾燥しないことが条件だといいます。
観光情報では鶏足寺の紅葉は今が見頃となっていましたので、今年の紅葉のベストタイミングではあったようですけどね。



鶏足寺の歴史について触れると、鶏足寺のあった己高山は古来よりの山岳信仰の山であり、鶏足寺は行基によって724年に己高山の山上に創建されたという。
「己高山仏教文化圏」は、修験道・白山信仰・天台密教の影響を受けながら仏教圏として発展していき、湖北の観音信仰に大きな影響を与えたとされます。
鶏足寺の境内地には「己高閣」「世代閣」という文化財収蔵庫があり、己高山仏教圏にまつわる数多くの仏像等が収納されています。



紅葉は赤く焼けた葉が中心になり、黄色や橙色などの紅葉が見られてバリエーション豊かな紅葉が楽しめます。
訪れる方も本格的なレンズを付けたデジイチからデジカメ、スマホまで幅はあるものの、熱心に撮影されておられました。



鶏足寺から石道寺へ行く道の途中にも茶畑があり、この辺りのカエデが一番見頃だったと思います。
このカエデはこんもりとした樹冠に葉が茂っていて、ちょうどいい感じに色づいた紅葉でした。



石道寺には素朴ながら気品のある「木造十一面観音立像 (平安時代中期・重要文化財)」や藤原時代の「十一面観音立像」(旧高尾寺)が祀らています。
寺の池の横にあったカエデも紅葉の状態が良く、時間帯が良ければリフレクションが綺麗なのではないでしょうか。



現在ある鶏足寺は、己高山の山の上にあった寺院を山麓の旧飯福寺跡へ移したものですが、同じ領域内には鶏足寺の鎮守社だったとされる「与志漏神社」があります。
与志漏神社の二之鳥居への参道のカエデも見頃に色づいていて、こちらにはあまり人は流れてきませんのでゆっくり紅葉見物が出来る場所です。



「観音堂」のある場所への石段を登って行くと「己高山」がよく見える場所がありました。
写真中央からやや左奥の山が己高山(標高923m)です。
熊に遭遇する危険があるので一人での登山は控えて下さいと注意事項のある山なので怖ろしくて登ったことはありませんが、いつか登ってみたい山です。



鶏足寺は紅葉スポットとしてあまりにも有名になってしまい、4年ぶりの受入とあって、オーバーツーリズム対策がされて極端な人の集中はありませんでした。
ゆったりめに紅葉見物が出来ましたので、帰りに五平餅を食べて、お土産に「丁稚ようかん」2種を購入。



古橋の集落はや山麓に近く、普段は静まり返っているような集落ですが、紅葉の期間はお店を出して地元の物産を売られたりしてにぎわいます。
甘酒や五平餅の販売、お茶や柚子や里芋に薩摩芋や唐辛子など、地元の方の声高く売られており、紅葉期間は古橋の集落にお祭りがやってきたようです。


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