僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

【湖南アルプス】「堂山」は山高きが故に貴からず

2023-07-30 05:55:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖南地方には「湖南アルプス」や「金勝アルプス」と呼ばれるご当地アルプスがあり、「金勝アルプス」の風化した巨岩・奇岩に魅せられて何度か登っています。
「湖南アルプス」には「堂山」「 笹間ヶ岳」「太神山」「矢筈ケ岳」などのピークがあり、特に山頂に「太神山不動寺」のある「太神山」と「堂山」は一度は登ってみたい山と考えていました。

今回は「堂山」に登りましたが、標高384mの低山と侮るなかれ、沢登り・渡渉・岩場登り・ロープ場と多彩な魅力のあるこの山を登れば“山は標高じゃない!”が実感出来ます。
3時間少々で往復できるとはいえ、バリエーション豊かな山ゆえに疲労感はあるものの、隠れた名山と呼べる山ではないでしょうか。



最初は「 笹間ヶ岳」の登山口となる富川道と間違って登りそうにになりましたが、目印の「迎不動」さんがないし、方向も違う。
ウォーキングで歩いて来られた方に道を聞くと、登山口はもう少し先ということで、林道を進んで登山口のある「迎不動」に辿り着けました。



大津市側から信楽町へと向かうこの林道の先には、「太神山不動寺」が祀られており、この道は不動寺への参道と考えることができます。
「迎不動」の先には「中不動」「泣き不動」の石仏が祀られているといい、不動寺の山門には不動明王の脇侍の「制多迦童子」と「矜羯羅童子」の石仏が祀られているという。



登山口はいきなり天神川の渡渉から始まるのですが、登山を開始する前に周辺の散策をしてみると、山側の巨石を挟んだ両端から天神川に水が流れ込んでいる景観の美しい場所があった。
奥山へ分け入っているような景観ですが、距離的には都市部から離れた辺鄙な場所ではないにも関わらず、自然美に囲まれたこの山には“かくれ名山”の名前がしっくりきます。



前日激しい雨が降ったため水位が高めで、足の置ける飛び石の上を進みます。
この先何度か川を渡渉することになりますし、沢登りのような場所もあり、経験したことのないコースに新鮮さと深山にでも分け入ったかのような錯覚に陥ります。



登山道を進むとすぐに「迎不動堰堤(新オランダ堰堤)」があり、この堰堤は2000年3月に日本とオランダの交流400周年を記念して作られたのだといいます。
金勝アルプスにある「オランダ堰堤」や後述する「鎧堰堤」は、明治時代に政府に招かれたオランダ人土木技術者・ヨハネス・デ・レイケの指導によって作られたという。
そのためこの「迎不動堰堤」はオランダ堰堤風の石積みの構造となっているそうです。



登山道を進むと、大きな岩がゴロゴロした落差のある沢に出会い、圧倒的な景観美に心躍らされる。
流れる水は透明度が高い綺麗な水ですが、渓流というほどの水量がないため魚影の見える渓流ではないようです。



沢登りする場所も何ヶ所かあり、岩に矢印が書いてある場所では矢印の方向に従って進むことができます。
ただし踏み跡を追ってしまったり、ピンクのリボンから進む方向を間違うと見当はずれの方向へ進んでしまい、途中で戻ることになります。(体験談)



大津市界隈では前日の雨が夜まで降り続いていたのか道はドロドロで水滴が付いて濡れた草木に触れると体が濡れ、木の枝を払うと水飛沫に濡れてしまう。
しっとりとした景色の美しさには見惚れるものの、衣服が濡れるのはあまり気持ちのいいものではありませんね。



渓流沿いに水音を聞きながら登りますが、水音が一際大きく聞こえるようになってきた先には二筋の滝があった。
落差は5mほどの滝ですが、二筋の滝は雨で水量が増えて勢いがあり、滝の右側にある一枚岩はとても大きくて滴るような水の流れが見られました。





沢登りでは石が濡れて滑りやすくなっているので一歩一歩足元を確かめながら進みます。
山登りで多少の渡渉はしたことがありますが、こんなアドベンチャー的な沢登りや渡渉は初めてでしたので妙に感動する。



沢の終わりとなる場所まで登って来ると先述の「鎧堰堤」に到着します。

淀川上流域となるこの地域の山は、山林の豊富な場所でしたが、宮殿の造営や社寺仏閣の建立のため多量の木が伐採され、荒廃して土砂の流出が激しかったといいます。
そこで1889年にオランダ人技術者デ・レーケの指導のもと作られた切石空積堰堤(階段状)が「鎧堰堤」で、広大な堆砂地となっています。



堂山登山の最初の要素が“迎不動から沢を登ったり渡渉したりする「鎧堰堤」までの岩石の多い渓流沿いの急登”となり、「鎧堰堤」を越えると、「阿弥陀ヶ原」という広大な砂州の道に変わります。
吉田類さんの「にっぽん百名山」という番組の「堂山・滋賀」の回で“ここには元々「阿弥陀ヶ池」という池があったが、社寺仏閣の建立のための木材の伐採などでハゲ山になってしまった。”と説明されていた。

“乱伐によって大雨の度に土砂が流れ出して川底が高くなって、氾濫が頻発。被害は大阪よどがわにまで及び、大阪港も土砂により水深が高くなり大型船が入港できなくなったという。”
そこで土砂の流出を防ぐため「鎧堰堤」を作り、植樹事業を始めたのだとされ、植樹は100年の年月を越えて続けられているといいます。
砂州を歩いていて“背の低い松が多いな”と感じていたのは植樹された木々を見て抱いた感想だったのかと納得しました。



こんなにも大きな砂州はみたことがないなぁと思いつつ、せっかくなので砂州を独り占めするかのようにの真ん中を歩いていくと、登山道の入口を示すピンクのリボンが見えてくる。
登山道はしばらくはごく普通の登山道が続きますが、しばらくするとザレた道に変わり、堂山の山頂部が見えてきます。
“えっあそこまで行くの?いくつもピークがあるけどどれが山頂なんだろう?”と感じざるを得ませんが、ここからがザレ場と岩登りのアップダウン、ロープ場がいくつかある岩登りと堂山の本領になります。



ザレと岩登りの道を歩いていると、鈴鹿セブンマウンテンの鎌ヶ岳に登っているような気分になりますが、まったく見当違いでもないと思う。
岩登りは登るだけでなく、下りもあるアップダウンの激しい道が続くので、行きは心地よかったが下山の時のアップダウンはきつかったな。



道は傾斜がある上にザレて滑りやすいので、岩を掴み樹を掴みと二足歩行では登れない箇所が多数あり。
ロープが設置された場所があるとはいえ、劣化した感じのロープもあり、どこまで体を預けてよいか分からないが頼りにしないと登れない。



「新免」という場所への下山道は、新名神の道路工事で通行止めとなっており、大きな看板で封鎖されていました。
封鎖された道に巨石があったので確認だけしましたが、岩で行き止まりになっていてどこで登山道につながっているのか分からない場所でもありました。



岩場登りは延々と続き、標高384mの低山とは思えないような険しい道が続きます。
沢登り・渡渉・自然石の急登・広大な砂州・ザレ場と岩登り。通常の登山道以外のバリエーションに富んだ山です。
道標となるペンキの矢印を探して登って行きますが、登るだけではないアップダウンの多さにさすがに疲れがみえ始める。



そして山頂に到着!...と思いましたが、ここは偽山頂です。
景色は良いものの、山頂表示も三角点もない場所です。



すぐ隣に山頂らしき場所と人の姿が見えましたので“そちらが山頂ですか?”と声を掛けてみる。
少し大きな声なら会話ができる近さなので“こっちが山頂だよ~!”と教えてもらいましたが、どこから登られたのか分からない。
目の前の断崖絶壁はとてもじゃないけど下りることはできず、巻き道を探すしかありません。



止む無くこの偽の山頂から下りて、本当の山頂へ登る道を探すことにしていると、山頂に居られた方が下山してこられたのでルートが分かる。
とはいえ、相変わらずの岩登りが続き、何とも頼りないロープを握って垂直に近い岩を登ります。



登った先は間違いなく山頂で、山頂表示と三角点があり、やっと折り返し地点まで登れたことに安堵します。
当方は堂山はピストンで登りましたが、金属プレートに点字された「天神ダム」経由で下山される方も多いようですね。



偽山頂にいた時に会話した方々が今度は偽山頂に登られて、やっと本当の山頂に登った当方とが場所を入れ替えて断崖絶壁を挟んで再び会話することになりました。
“山頂あったでしょ!”はい!ありました。ありがとうございます!”。“お互い気を付けて下山しましょう!”といった会話です。



下山の岩場は登り返しが多いためゼイゼイと息を切らしながら早く阿弥陀ヶ原へ到着したいと願うばかり。
当方のようにヘロヘロになっている方と話すと“山は標高じゃないね。”、“低山だと甘く見たらいけないね。”と話した方みんなに共通した感想が多かった。



堂山は複数の山に登ったかのようなバリエーションに富んだ山ですが、その標高と大津市市街地からの近さに驚きが隠せません。
左は千頭岳や音羽山でしょうか。中央に比叡山が聳え、右には比良山系。琵琶湖に架かる近江大橋も見えます。



何度か道を間違えたり、道を間違えて戻ってきた人に出会ったり、道を聞かれたりすることがありましたが、確かに間違いやすい箇所がある山でした。
堂山の概要が分かりましたので、次に登る時は道間違いせず周回コースで登ろうと思いますが、次も偽山頂へはわざと登るんだろうと思いますね。


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蓮の花とトンボたち~空にはミサゴが4羽飛ぶ!~

2023-07-24 06:22:22 | 花と蝶とトンボと昆虫
 梅雨が明けて晴天の日が続いており、カラッとした天気ではあるものの日中の気温はグングンと上がりますので、暑さがきつくなってきました。
ハスや水連の花でも見れば少しは涼めるかと思ってハス池を見に行きましたが、複数個所のハス池でハスの群生が消えてしまったようです。

数年前に草津市の烏丸半島の琵琶湖岸一帯にあったハスの群生地帯が消えてしまったのがニュースになりましたが、同じようにハス池一面に咲いていたハスが消えています。
ハスは花が枯れても茎や果托が残るものですが、それもわずかにしか見られませんので、一体ハスの花はどこへ行ってしまったのかと首を傾けたくなります。
またそれはひとつのハス池だけではなく、3ヶ所のハス池で同じような状態になっていましたので不思議です。



一般的にハスの代表格とされるような花弁が大きいピンク色の花のハスは、一部に咲いているだけであれだけポピュラーだった花の数が極端に少ない。
ハスの花が減少する現象が琵琶湖近くの池で次々と発生しているのか?琵琶湖から離れた池でもハスの花が減っているのだが...。



ハス池はダメになっていましたので、ここならハスの花が見られるだろうというハス田まで行きましたが、花の状態の良いのがなくてタイミングは悪かったようです。
仕方がないのでハスの花は諦めて、ハスの近くの池や湿地を飛び交っているトンボを手あたり次第にパチリ!に切り替えます。



金属光沢の特徴的な翅を持つチョウトンボは最盛期だったのでしょう。もの凄い数のチョウトンボが乱舞していました。
後から来られた方がその様子を見られた瞬間、思わず声を上げておられたほど数は多かった。



数ではチョウトンボに押されていましたが、その間を真っ赤なショウジョウトンボも数個体飛んでいました。
♀のショウジョウトンボもいた筈ですが、やはり真っ赤な♂の個体に目がいってしまいますね。



コシアキトンボの♂は腰の部分が白い色をしており、♀はその白い部分が黄色をしている。
♂は目立つところに留まっていることが多いので撮りやすいですが、♀は取りにくい印象があります。



他のトンボを蹴散らすかのように縄張りを巡回していたのはヤマサナエでしょうか?
一瞬留まって飛んで行ってしまいもう戻ってはきませんでしたので確認不足ですが、トンボの識別もなかなか難しい。
同じようにギンヤンマが縄張りを巡回している場所がありましたが、ギンヤンマはいつも飛び続けていますね。



シオカラトンボが大多数の場所で数個体見られたのはオオシオカラトンボ。
街中の寺院の方丈池や山麓の池など生息範囲はかなり広いようです。



シオカラトンボばっかりやんと思うような場所でしたが、♂のシオカラがハスの蕾に留まってくれました。
花の状態のいい時にもう一度訪れてみたいですね。



♀のシオカラトンボもハスの蕾に留まる。
トンボも野鳥や蝶と同じく、♂の方が特徴的な色合いのトンボが多いように思います。



写真を見て気付いたのですが、このシオカラトンボの♀はイトトンボを捕まえて食べています。
トンボは肉食性の昆虫ですから、飛翔速度が遅く小さなイトトンボは中型のシオカラトンボにとって恰好のエサなのかもしれませんね。



食べられたイトトンボはこの個体ではありませんが、シオカラトンボ多数の場所でしたのでもっと隠れないとやばいかも?
イトトンボは写真では大きく見えますが、実際は目を凝らしていないと見落とすような細さのトンボです。



驚いたのはふと空を見上げた時に見つけたミサゴの姿です!
ミサゴは時間差で計4羽が飛んできており、山中の奥地にある塒から遠くの琵琶湖や大きな河川まで狩りに出かけるところだったのでしょう。



ハス田の向こうは山が続いていて、奥の方には霊仙山や鈴鹿山系の山々があります。
ミサゴの塒は山の奥地にあるといいますので、山奥の道なき道を彷徨い歩けばミサゴの巣に辿り着くかもしれませんが、探し当てるまでにまず遭難しますね。




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太郎坊山~箕作山~小脇山~岩戸山を縦走する!

2023-07-21 07:07:07 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 山の中腹や山頂にある神社や寺院の中で、特に回数多く参拝した神社仏閣のひとつに赤神山(太郎坊山)に祀られた「太郎坊宮」があります。
初詣に訪れることが多かったのですが、最近は参拝とハイキングを兼ねて行ける山ということで、太郎坊山から箕作山を歩いて登ることもがありました。

この山に登られる方は太郎坊山・箕作山・小脇山・岩戸山を縦走されますが、これまでは太郎坊山~箕作山のピストンか岩戸山ピストンで登っていました。
その理由は後ほど記載しますが、山全体をパノラマで見ると、右のピークが「赤神山(太郎坊山)」、左にあるピークがそれぞれ「箕作山」「小脇山」「岩戸山」になります。



当初は箕作山で折り返すつもりでしたので参集殿からのスタートとし、全部で740段あまりの石段の途中から登り始めます。
結果的に4つの山を縦走して、ロード歩きで戻ってきましたので参集殿までの石段を登ることになり、石段のショートカットとはなりませんでしたけどね。



石段を少し登ったところにある「龍神舎」の横がハイキングコースのスタートとなり、手水で身を清めてから登り始めます。
「御霊水」とも書かれている湧水は、初詣に参拝した時などはポリタンクに水を詰める方が多く渋滞しますが、霊水を沸かして飲まれるのか?そのまま飲まれるのか?



登山道は太郎坊山までは草も刈られて整備されていますが、傾斜はそこそこなものの、前夜の雨でぬかるんでいたのは想定外でした。
最近、晴れたと思って山へ行っても道が雨で濡れていることが多いのは、やはり雨の多い季節柄なのでしょう。



赤神山(太郎坊山)と箕作山の分岐まで来ましたので、最初に赤神山(太郎坊山)の山頂まで登ります。
赤神山の南峰は下に夫婦岩や本殿が祀られていることから禁足地となっているため、立ち入ることが出来ませんので北峰にだけ登ることになります。



山頂が近づいてくると傾斜がきつくなり、もう少しもう少しと思いながら登ることになります。
岩場を登ると大きな岩があるスペースまで登ればもう山頂寸前で、山頂には磐座が祀られ、絶景が広がります。



山頂には岩が多く、一番奥にある巨石群が赤神山(太郎坊山)の山頂です。
この山の各ピークには山頂表示はあるものの、分かりにくい所に掛けられていたりしますので探さないと見落としてしまうことがあります。





山頂では目の前に蒲生野の平野が広がり、目の前にある緑に覆われたピークが赤神山(太郎坊山)の御神体の南峰になります。
奥には布施山や布引丘陵でしょうか。綿向山や飯道山、鈴鹿山脈の雨乞岳などの山々も見えてはいますが、識別は不能です。



山頂から下りる途中には山頂の磐座の側面が見えますが、夫婦岩と同じくらいとは言えないまでも聳え立つ巨石であることには違いはありません。
湖東地方の山は湖東流紋岩で形成されているといい、湖東の山にはこの山以外にも流紋岩が剥き出しになっていたりする場所が多く見られます。



太郎坊山の山頂にはあっという間で到着しましたので、次は箕作山の山頂を目指します。
すぐに“みつくり君休憩所”に到着するのですが、まだ休憩したくなるほど歩いてはいませんので、そのままスルーします。



箕作山の山頂へは以前も登ったことがあったのですが、今回は大誤算で道に膝上の高さの草が茂っている箇所が何ヶ所がありました。
しかも前夜の雨で水滴が付いているのでズボンは濡れるし、藪漕ぎとまではいかないものの草で足元が見えないような大の苦手とする道が続きます。

なので、箕作山の山頂まで来たものの、またあの草丈の高い道を戻るのは嫌な感じですので、コース変更で小脇山~岩戸山へ縦走することにします。
小脇山の前後に笹が多い茂っているところがあって、あまり通りたくない道ではあるのですが、濡れた草か笹かの二択で笹の方が丈が低いからというすごく単純な理由です。



気になるのは「箕作山」の箕作という名称で、「箕作(みつくり)」はサンカを連想させるような名称だなと不思議に思っていました。
しかし、山の民が暮らすには低山過ぎるし、開けてしまっているため関係なさそうと思っていると、実は戦国武将の六角氏に由来するとのことでした。

戦国時代に六角定頼が近江国箕作城に住んで箕作弾正を称したのに始まるといい、後に美作国に移った箕作家は著名な学者を輩出している学者一族として知られているといいます。
六角氏の観音寺城の支城の一つだった箕作山城は、織田信長の六角攻めの際にまず箕作城を落城させたことにより、六角氏は甲賀に脱出して、歴史の表舞台から遠ざかっていきます。



箕作山の4つのピークはみな景色が良く、見降ろす景色は縦走すると共に少しづつ姿を変えていきます。
右側の山に2つピークが見えますが、そのピークはこれから行く小脇山と岩戸山だと思います。



さて、箕作山の山頂から小脇山の山頂への道には笹がよく茂った道が何ヶ所かあり、苦手なエリアに入ります。
イワ・ザレ・ガレの道は好きなのに、クサ・ササ・シダの道は好きじゃない。なら山なんぞ登るなと言われてしまいそうですが...。



速足で笹原を抜けたので間もなく小脇山の山頂へ到着です。
赤神山:350m、箕作山:372m、小脇山373.4m、岩戸山175mですので、小脇山がわずかの差で一番高いということになります。



山頂のスペースの真ん中辺りには三等三角点があり、写真右にある岩に腰かけると景色がよく見える場所があります。
ここから先は岩戸山までの下り道と岩戸山からは石段下りですので、ここで少し休憩してから進むことにします。





山頂の広場から眺めると最初に登った赤神山(太郎坊山)の北峰と南峰が見えますが、この角度の赤神山はここまでこないと見えない姿です。
ただ、これからまだ赤神山から離れる方向へ縦走していく訳ですから、下山してからのロード歩きが長くなりそうですね。



ところで縦走中に思いもしていなかったササユリに劇的に遭遇です。
しかもたった1輪だけが当方の到着を待つかのように咲いていて、日陰だったこともあって雨の雫が花弁に付いています。



花弁に水滴が付いているくらいですから、足元の下草は濡れていたものの、ササユリを撮るのに夢中になってズボンの裾はベチャベチャになってしまいました。
しかし、一輪だけがひっそりと咲いていたササユリに出会えたのは、この日一番のラッキーだったと思います。



そして最後の岩戸山になりますが、ここは先日登ったばかりの山です。
その時は一旦は小脇山へ向かったものの、笹原が嫌になって折り返してしまったので、小脇山~小脇山城遺跡の石垣の間は初めて通った道です。



岩戸山の山頂にも巨石があり、こちらは紅白の布が巻かれています。
山頂から少し下ると「岩戸神明」という太郎坊宮の夫婦岩にも匹敵する磐座があり、麓まで約800段あるとされる石段の横に祀られる石仏群にも紅白の布が巻かれている。



岩戸山は江戸時代から大正時代まで大阪堂島の米相場を旗振り通信で知らせる中継点であったといい、野洲の相場振山(田中山)の旗振りを確認して彦根の荒神山へ中継していたという。
湖東地方は平野にある単立の山上に櫓を組んで幅1m・長さ1.7mの旗の振り方で受信したようですが、合図を読み取るには望遠鏡が必要だったようです。



ということで下山しましたが、車のある太郎坊宮の参集殿までは結構な距離がありました。
まず赤神山が見えてくるまで延々と歩かなけらばならず、やっと見えてきた赤神山の横側から正面に回り込むまでに一息かかり、疲れた体で参集殿までの石段登り。
鳥居の前に駐車しておけばよかったな。


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竜王山から鏡山を登る!(鳴谷渓谷ルート)~山にはササユリが咲いていた!~

2023-07-14 12:36:36 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の湖東地方には標高は低いけれど自然の造形や古い信仰の姿が見られる山が多く、そのほとんどの山は2~3時間程度で歩けることから何度も登りにきてしまいます。
竜王町には「東の竜王山・雪野山」と「西の竜王山・鏡山」と『竜王』の名で呼ばれる山が2山あり、蒲生野に住む人々からは神力を持つ竜族の支配者が住む山として信仰されてきたといいます。

先日は「雪野山(東の竜王山)」に登りましたので、今回は「鏡山(西の竜王山」を登りました。
竜王(龍王)と名の付く山は、この一帯だけでなく各地にありますので、竜王への雨乞いの神・水の神としての信仰の篤さは全国共通のものなのでしょう。
生きていくために水が必要なのはもとより、食べていくために必要な農耕は水が無ければ成り立たず、日照りが続けば雨乞いを、川が氾濫すれば鎮めるための祈りを奉げてきたのかと思います。



「鏡山・竜王山」へ登るのは3度目になり、今回は幾つかあるルートの中から「鳴谷渓谷ルート」で登り、山の反対側にある「竜王宮・貴船神社」まで行って折り返してきます。
このルートは三井アウトレットパーク滋賀竜王からスタートすることになり、広大な駐車場と道1本隔てただけの登山口に入ると、景色はすぐに一変します。
まずはやたらと案内板の多いザレ地からです。これだけ案内板があると道を間違うことはありえませんね。



しばらくは沢沿いの道を歩くことになり、流れる水音の清々しさを感じながら、ヒンヤリとした空気の中を歩ける。
沢に下りられる所から眺める「鳴谷渓谷・鳴谷の石床」は圧巻の光景で、この日は雨降りの翌日とあって水量が多く水に勢いがあります。



この川の少し上流には戦前まで石切り場があったといい、かつての石を切り出したトンネルの一部が残っているようで、この山からは良質の石が採取できたそうです。
そういった歴史を持つ石の山であることから、この見事な岩の渓谷が出来たのだと思われ、さらには渓谷の山側も岩の壁のような姿となっています。





登山道はゆるやかな上り坂になっていますが、雨の影響もあって道が川のようになって水が流れ落ちています。
靴が浸かるほどの流れではありませんが、心配なのはこの先にある「鳴谷池」が通れるかどうかです。
鳴谷池の周囲の道は増水するとが通れなくなり、迂回路を通らざるを得ないのですが、迂回路は人が通ることが少なく草が茂って気持ち悪い道なので何とか避けたい。



と、心配しながら「鳴谷池」へ着くと、水量は多いものの道は水没はしておらず、迂回の必要はなさそうなので一安心する。
池の向こうに見えるのは鏡山・竜王山でしょうか。山頂が近くなれば木段の急勾配を登ることになります。



道は迂回しなくても行けそうではあるものの、橋に足が届かないので片足はドボンになります。
靴の防水性能を信じて片足ドボンで橋の上に乗りますが、微妙に靴下が湿ったように感じつつも浸水はありませんでした。
橋の上から降りる時は、砂地までジャンプやね。



鳴谷池から先は沢や水場から離れて登山道に入ることになり、途中に「石切り場」への分岐、争いによって焼かれた経文の灰を運んだ薬師「経塚」という小山がある。
「石の広場」と名付けられてはいるが、シダに覆われて入るのも躊躇われるようなシダの広場を越えると、聖徳太子が598年に推古天皇の勅願所として創建したとされる「雲冠寺跡」があります。



「雲冠寺」には聖徳太子自らが刻んだ観世音菩薩を本尊としたという伝承があり、817年には嵯峨天皇の綸旨によって伝教大師・最澄が再興して天台宗寺院となったという。
滋賀県では比叡山延暦寺を中心として天台宗寺院が栄え、最澄を聖徳太子の生まれ変わりとして喧伝したことから聖徳太子伝説が数多く残ります。
しかし、雲冠寺も歴史の例にもれず天台宗の寺院だったがゆえに、織田信長の兵火によって全焼して廃寺となってしまったようです。



雲冠寺跡には崩れた石垣でしょうか、跡地には加工されたような岩がゴロゴロと転がっているが、廃寺になってからの長い年月を考えると、いつの時代かに整備や発掘が行われたのでしょう。
寺院跡の片隅には、苔むして腐葉土に半分埋もれかけている地蔵石仏があり、年代は不明なものの廃寺になった古寺の佇まいを伝える。



さらに上へ登って行くと「三尊石仏」の摩崖仏が祀られている。
「三尊石仏」は中央に阿弥陀如来立像を祀り、両端に脇侍の観音菩薩・勢至菩薩が祀られていて中世以前の摩崖仏だとされています。



雲冠寺跡からは急勾配の木段が続き、風通しが悪い道で湿度も高いこともあって汗が吹き出してくる。
当方はあまり汗をかく体質ではないので、サウナへ行っても汗が出るまで時間がかかるのですが、山歩きしていると吹き出すように汗がかけてしまいます。



そして最初のピークである「竜王山(標高384.8m)」の山頂へと到着。
竜王山の山頂は周囲が木に囲まれているため展望はなく、山頂は通り抜けるだけになりますが、ここで道の駅「竜王かがみの里」からの「大谷池ルート」と合流します。





間違いやすいのですが、この山には「竜王山の山頂標識のある場所」と「二等三角点のある鏡山山頂」の2つがあり、ピークは別々です。
竜王山の山頂より鏡山の三角点山頂の方が20cm低くなっていますので最高地点は竜王山ですが、眺望があるのは鏡山三角点山頂です。



山頂付近で景色を眺めたりしてウロウロしていると、まだ登山道はその先に続いているようであり、「立石山」方面を示す看板がありました。
帰りに鳴谷池の東屋で会った方に教えてもらったのですが、この山は鏡山~立石山~タムシバ山~古城山~城山~吉祥寺山へと縦走できるコースになっているようです。





目の前に見えるのは三上山。三上山の近くまで緑に覆われた樹林が続く。
琵琶湖ははっきりと確認出来ませんが、奥に見える峰々は琵琶湖の向こうにある比叡山でしょうか。





ピストンの折り返しは鏡山の山頂となりますが、足を延ばして竜王山から下山方向とは反対側にある「貴船神社(龍王宮)」まで下って参拝します。
「貴船神社(龍王宮)」は八大竜王のひとつ摩耶斯竜神が竜王宮として祀られ、八大竜王は雨の神・水の神とされますから雨乞いの神として信仰されてきたようです。



貴船神社(龍王宮)ではかつて「雨乞い踊り」が奉納されていたそうですが、人手不足や後継者不足によって現在は神事のみが執り行われているといいます。
山の上部で樹木に囲まれながら祀られている巨大な磐座は、まさに龍神が宿る巌と言えるような壮観さと圧倒的な迫力があります。



磐座の下部には結界が張られた祠が祀られているが、龍王宮直下の祠の位置からだと磐座が聳え立ってしまって見上げても全体が見えなくなる。
直下の場所は狭いのでかつて奉納されたという「雨乞い踊り」は、下に建てられた拝殿のような建物の前のスペースで奉納されたのではないかと思う。



貴船神社(龍王宮)には龍神を祀る磐座の他、左に巨大な磐座があるのですが、ふっと思ったのは左の磐座は見方によれば舟のようにも見えます。
京都の貴船神社は御祭神に「高龗神」と「闇龗神」の2柱の水の神を祀りますが、玉依姫の御神霊が「黄色の船」に乗って現れたとの由緒からして舟=水と捉えられます。



ところで、登山道でササユリが咲いているのを発見!
今年のササユリはどこに見に行こうかと迷っていた中、想像をしていなかった場所での発見は嬉しい限りです。



花が数個咲いている小さな群生では、少し見頃を過ぎた花もあったものの、充分に鑑賞できるササユリも3つくらい咲いていました。
雄しべの色が紅色の花と黄味を帯びた花がありましたが、種類の差なのか開花時期の微妙な違いなのか。





鏡山・竜王山は峡谷あり、池あり、古寺の廃寺跡や摩崖仏あり、巨大な磐座ありと低いながらも盛りだくさんに楽しめる山です。
鳴谷池の東屋で近隣の山のことを教えてもらった方は“この辺りの山は全て制覇した”とおっしゃっておられました。
湖東・湖南地方の周辺には数多くの低山があり、登り切れないほどの数の山のピークがあるようですね。


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雪野山(龍王山)周回~「東の竜王山・雪野山」と「西の竜王山・鏡山」~

2023-07-07 07:08:08 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県の竜王町には「東の竜王山」と呼ばれる雪野山と、「西の竜王山」と呼ばれる鏡山の2つの山があり、地名も竜王町と竜王にゆかりのある地です。
西の雪野山には山頂にある「雪野山古墳」を含めて、4世紀から7世紀にかけて200以上の古墳が築かれていたのが確認されており、古代からの歴史の深い地でもあります。

また、竜王町を含む蒲生郡はその名の通り、万葉ロマンのあふれる「蒲生野」に由来し、歌に詠まれる額田王と大海人皇子の相聞歌でも語られる場所です。
雪野山や鏡山は平野にある単立の低山として人々に馴染まれている山で、これまでにも登ったことがありますが、今回は前回とは別コースで雪野山に登ってみました。



前回は雪野山歴史公園の八幡社古墳群からのルートで登り、今回は山の西側の「龍王寺」「天神社」の横から登り始めます。
滋賀の低山の例にもれず、まずはイノシシ除けの鉄柵を開けて山に入ります。すなわちイノシシの檻の中でこれからの一時を過ごすということになります。



登山口になる龍王寺や天神社の建つ場所は、奈良時代の始まる701年に元明天皇の勅願で行基により雪野寺として創建され、平安期中期頃から「龍王寺」となったという。
現在残る雪野寺跡は石積み基壇の塔跡のみだとされていますが、寺跡からは童子像や菩薩形・神王形など塑像片が大量に出土されているといいます。

雪野寺跡を越えると「龍王寺北古墳群」の看板が左右に矢印を向けて表示されているが、登山道の横はジャングル状態となっていて、どこに古墳があるのか全く分かりませんでした。
龍王寺北古墳群には石室が開口している古墳があるというのだけど、草木に埋まってしまっていた。



登山口から265mの所に注連縄を掛けられた「山の神」の石碑があり、ここから雪野山の神に向かって祭事が行われていたことが伺われます。
「山の神」は山麓や山麓から少し山に入ったところに祀られることが多く、祭事以外は人の入らない場所もありますが、この「山の神」は登山道の途中にある。





「山の神」が祀られている場所より先は、低山に必ずと言っていいほどある木段登りが始まり、木段は傾斜を増しながら山頂まで続くことになります。
背の高い樹木がないので直射日光にさらされて、風も通らないので汗が吹き出してきて、何度も水分を補給しながら登ります。



途中で山頂が見えてくる場所があり目的地が明確になる。
山頂まで直線距離はそれほど長くはないように思いますが、標高差がありますので急登の木段が続く。

後続の方が登ってこられたので一旦道を譲りますが、少し先で道を譲られて先を行くことになる。
暑い中の木段の連続はお互い足に堪えたようです。



とはいえ、雪野山は標高308.8mの低山でシンプルな登り道ですので30分少々で山頂に到着します。
山頂の広場にはいくつかベンチがありますので、なるべく風があたって涼し気なベンチに腰かけて、どこから下山するか考える。





山頂表示や三角点のある山頂は「雪野山古墳」のある場所であり、前方後円墳の後円にあたる部分が山頂の広場になっている。
古墳は全長70mで、後円部が径40m・高さ4.5m以上、前方部が長さ30m・高さ2.5m以上の大きさを誇り、4世紀前半の古墳であったとされている。
また雪野山古墳は未盗掘の古墳で石室内の保存状態が良かったことから、出土した副葬品は重要文化財に指定されているということです。



山頂から見えるのは鏡山・十二坊などと思われ、後方には三上山や金勝アルプスの山々でしょうか。
水を張った水田の間にポツリポツリと麦畑の黄色がアクセントのようになっています。



方向を変えると手前に布施山、霞んでしまっていますが連なっている山は鈴鹿山系でしょうか。
見慣れた近江の風景ではありますが、季節や天候や眺める場所によって表情は様々ですね。



東近江観光振興協議会のガイドマップには7つのコースが記載されていますが、東西を逆に下りるとロード歩きが長くなりそうですので、縦走しながら西へ下りるルートを探します。
途中で巨石群がありましたが、特に信仰の形跡は見られず。
前回もこの巨石群には出会っていますが、山頂より北にルートを取れば必ず遭遇する場所です。



山頂より北のコースの面白いのは、道中の何ヶ所かに休憩場があり、現在地の示されたマップやベンチが備えられており、時には今時珍しく灰皿まで用意されている。
縦走路なのでアップダウンもほとんどない歩きやすい道で、心地よい快晴でしたので歩いていくのが何とも楽しい。
ただし蜘蛛の巣が多いのでトラッキングポールで蜘蛛の糸を払いながら進むことになる。



最初の分岐にやってきたが、そのまま下山するのが勿体なくてもう少し進んで、雪野山歴史公園方面と安妃山方面と西への下山道の分岐があったのでそこから下山することにします。
分岐には鉄塔があり、西にある鏡山方向が目印。登山口まで下りてからのロード歩きはどれくらいになるのでしょうね。



下りはひたすらプラ段を下るだけで単調なことになりますが、稜線にいた時に樹木の合間から見える蒲生野の風景は長閑で心が解放されていく気分です。
単立の低山を好きなように気ままに歩くのも低山登山のひとつの魅力かと思います。



プラ段を下って竹林の横にある鉄柵まで来ると、今日の山登りは終了です。
適当に道を進んで下りてきたのでどこに下りたか分かりませんでしたが、看板には「いにしえの小路」とあり、この登山口から龍王寺や天神社から妹背の里へのロード歩きになります。





「いにしえの小路登山口」から天神社の登山口まで2キロ程度だったでしょうか。
陽射しの良い集落横の道をのんびりと歩いて戻ります。




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岩戸山十三仏と山之神・野神

2023-07-01 06:06:36 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 近江八幡市と東近江市に跨る「岩戸山・小脇山・箕作山、赤神山(太郎坊)」の山系は「阿賀神社(太郎坊宮)」や「瓦屋禅寺」「岩戸山十三仏」などが祀られる信仰の山です。
特に「瓦屋禅寺」や「岩戸山十三仏」は聖徳太子ゆかりの伝承が残り、同じ地域にある西国三十三所札所の「観音正寺」や「長命寺」とともに聖徳太子信仰の盛んな山となっています。

また、湖東地方の山は「湖東流紋岩類」という地質で出来ているといい、その影響によるものか巨岩が多く見られます。
この山系でも太郎坊宮が祀られる赤神山の巨岩や岩戸山の巨岩など磐座信仰が色濃く残り、甲賀や大津の巨岩信仰とは少し違った形での信仰の姿が見られるように思います。



大きな竹林の間を進むと「新四國八十八箇所霊場」の石碑があり、岩戸山の登山道(石段)が始まります。
岩戸山には全部で百六十躰の石仏が安置されているといい、山頂近くの巨石まで石仏が並ぶ道を進むことになります。

登山口には竹林が広がっており、その一角に「山之神」が祀られているのを見つけました。
同じ地域の近江八幡市安土町内野では年頭行事として村の外れに「勧請縄」を吊るす習慣が残り、その形態は道切り本来の形とされています。
岩戸山の山麓に山之神、田園地帯には野神が祀られ、山頂には磐座を祀りと古い民俗信仰が残されている地なのが実感出来ます。



「山之神」は石の正面に御幣が置かれ、横には祠の中に男女を模した木像が祀られています。
山之神は春から秋にかけて山から平地に下り、野に豊穣をもたらす野神となるとされ、山之神には子孫繁栄を願う男体と女体の御神体を祀ることがあります。



御神体は男女を模した枝を祀ることが多いように思いますが、この山之神はコケシのような木像に烏帽子をかぶった神職のような凛々しい顔が描かれています。
木像は木の枝のようなオッタイ(男)とメッタイ(女)の股木とは違い、「のし(熨斗)」が付けられていて御祝のような形式になっている。



「岩戸山十三仏」は、飛鳥時代に聖徳太子が瓦屋寺を建立した際、同じ山並みの岩戸山に金色の光を発する岩を見つけられて、自らの爪で十三体の仏を刻まれたと伝わります。
参道には年代を問わず百六十体の石仏が安置されていることから、不気味に感じてしまうくらい寂寥とした道が続きます。



賽の河原が近づいてきたのかと感じてしまうような場所には「岩戸不動明王・三界神霊・火神・金神・外廻不動尊」などの石碑が立つ岩が祀られている。
紅白の布は岩戸山の各所に吊るされており、中央の岩の下には大量の塩が盛られていることから、聖地としての信仰の篤さが伺われる。



参道の山側には「八滝大龍王」の石碑が立つ岩があり、龍王を祀っているようである。
山で水場には出会わなかったが、山麓には田園が広がっていることから、水の神への信仰も強いものだったのではないかと思われます。



岩戸山十三仏への石段は約800段あるといいますが、不揃いな石段のため登りにくく感じます。
駐車場には2~3台の車が停まっていましたが、石段で出会ったのは一家族のみ。
岩戸山から小脇山、箕作山、赤神山(太郎坊山)へ縦走されている方がおられるのかと思います。



弘法大師の石像を越えていくと「大黒天」の岩があり、パックリと岩の割れた所に引っ掛けるように紅白の布が巻かれています。
紅白の布は何ヶ所かの巨石と樹木に巻かれているのが気になりますが、ハレの祭祀の遺跡という捉え方なのかもしれません。



登りにくい石段はこの石垣が見えてくると終わりになります。
正面い見えてくるのが磐座信仰の対象となる「岩戸山十三仏」になります。



同じ山系の阿賀神社の夫婦岩に優るとも劣らない巨石は、信仰の対象となるに相応しい迫力があります。
山頂に近いこの場所には、この巨石だけではなく巨石の集合体のようになっており、石仏や注連縄があちこちに祀られています。



大岩を右に回り込むと「岩戸神明」の扁額が掛けられた鳥居があり、やや窟状になった場所には大量の盛塩があります。
「神明」は天照大神の称ともされますので、窟の中に神隠れした太陽神(農耕神)の意味合いがあるのでしょうか。





石段を登り切ったばしょには2つの巨石が扇状に開きます。
扇の要の部分には「霊場 岩窟」への入口があり、巨巌 神明岩の中には岩窟八畳有余の空間があって、聖徳太子が窟内で御修行遊されたとの伝承が伝わります。





さてそれでは登ってきた石段の反対側にある道を進んで岩戸山の山頂を目指します。
霊山には必ずといってあるような岩門から山頂へと進みます。



山頂へはすぐに到着することが出来、山頂標識を確認。
岩戸山の標高は325m。連なる山系のピークは小脇山373.4m・箕作山372m・赤神山360mと低山が連なっている。



山頂部の岩には↑のマークが彫られているが、これは江戸時代中期から明治中期まで旗振山として利用されていた名残りなのだといいます。
大阪の堂島に集められた米の相場を早く知るため、山と山で旗振り通信で知らせたといいます。

一説によると、大阪堂島から湖東の山を使って相場を知らせるのに彦根(荒神山)まで10分ほどで伝達したとされます。
このネットワークにはインターネットを駆使する現代の投資家や相場師も口あんぐりでしょう。



この後、岩戸山から小脇山へ向けて歩き出しましたが、笹の群生の間の細い道を通らないと縦走ができないため、モチベーションを無くしてしまって引き返しました。
随分と克服はしてきたものの、草木の多い道はまだ苦手です。

岩戸山からの風景は、水を張って田植えが進んでいる田圃と、麦が実ってきて黄色くなっている田圃やまだこれから植え付けがされる田圃が入り混じっています。
平野に単立しているのは繖山でしょうか。東近江の低山は何となく登れてしまう山ですが楽しめる山が多い。



琵琶湖はガスって霞んでいますが、湖西の山々まで確認出来ます。
近江では田圃で麦を育ててるのをよく見かけますが、この麦って収穫された後どうなっているのか興味があります。



山を下って田園地帯に入ると「野神さん」がお祀りされています。
湖東地方では「山之神」「野神」の信仰や「勧請縄」の民俗信仰が色濃く残り、甲賀地方まで行くと滋賀県の湖北地方に見られる「オコナイ」があるといいます。
形式化・簡略化されつつも興味深い民俗行事は数多く残っているようです。




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