京都市左京区岡崎の京セラ美術館で開催されている「キュビスム展」の終了日が近づいてきましたので、平安神宮の大鳥居の横にある京セラ美術館を訪れました。
「京セラ美術館」は元は「京都市美術館」の名で知られており、2020年のリニューアルに伴って京セラが命名権を取得して現在の名前になったようです。
訪れるのは「京セラ美術館」になってからは初めてで、「京都市美術館」時代の「ルネ・マグリット展」以来になります。
今回のキュビスム展は、全14章に構成された約112点の作品が展示され、日本では50年ぶりとなる大規模なキュビズム展と紹介されています。
京セラ美術館は、1933年に開館したという現存する日本の公立美術館では最古の建築物で、帝冠様式という和洋折衷の建築様式の建物です。
外装はクラシックな造りとなっており、内装は西洋のお城の内装ような見事さです。
「キュビズム以前 その源流」ではポール・セザンヌの「4人の水浴の女たち」などキュビズムに影響を与えたとされる作家の作品が展示されている。
セザンヌはモネやルノワールと印象派で活動していたとされますが、グループを離れて伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求したとされます。
そういったセザンヌの試みはブラックやピカソに影響を与え、後に「セザンヌ的キュビズム」と呼びいる作品につながっていくという。
ポール・セザンヌ「4人の水浴の女たち」
新しい表現の可能性を見出そうとしたパブロ・ピカソやアンドレ・ドランはアフリカやオセアニアの造形物に美的価値観を見出したといいます。
この時代の前衛芸術家たちが伝統的な規範に挑戦するための拠り所として「プリミティヴィスム」に影響を受けたというのは実に興味深い話です。
ヨンベあるいはウォヨの呪物(コンゴ民主共和国)
ダンの競走用の仮面(コートジボワール)
アフリカやオセアニアの造形物に影響を受けたピカソがプリミティヴィスムに影響を受けたとされる作品が「女性の胸像」とされます。
仮面のような顔のラインと突き出した鼻。
伝統的な西洋画の域を逸脱した作品ですが、ピカソにしてはまだ青青の時代や薔薇色の時代からキュビズムに移行し始めた頃の作品のようです。
ピカソ「女性の胸像」
ピカソと共にキュビズムを牽引したというジョルジュ・ブラックは“私たちはザイルで結ばれた登山者のようでした”と結びつきの深さを語ったといいます。
初期キュビズムと呼ばれる時代は、セザンヌやプリミティヴィスムの影響を受けていたといい、ブラックも「大きな裸婦」という作品を残しています。
ジョルジュ・ブラック「大きな裸婦」
キュビズムはこの後、「分析的キュビスム」や「総合的キュビスム」と呼ばれる時代に入ります。
作品はどんどんと抽象画化していき実験的な手法へと変わっていきますが、その時代のピカソとブラックの作品は見分けが付かない状態になります。
パブロ・ピカソ「肘掛け椅子に座る女性」
ジョルジュ・ブラック「ギターを持つ男性」
キュビズムは、新しい表現を求める若いっ芸術家たちの間に瞬く間に広がり、多くの追随者を生んだといいます。
その中からフェルナン・レジェとフアン・グリスの二人はキュビズムの発展に欠かすことのできない芸術家とされます。
フェルナン・レジェ「形態のコントラスト」
フアン・グリス「ヴァイオリンとグラス」
アポリネールによって「オルフェウス的(詩的)キュビズム」の発明者と呼ばれたのはロベール・ドローネーとソニア・ドローネーの夫妻。
異質な要素を同一画面に統合する「同時主義」という手法は、古代(三美神)と現代(エッフェル塔)が同一画面に登場する「パリ市」に顕著に表れています。
ロベール・ドローネー「パリ市」
第8章の「デュシャン兄弟とピュトー・グループ」ではニューヨーク・ダダの中心人物のマルセル・デュシャンの作品が出てきます。
ダダは、既成の秩序や常識に対する否定・攻撃・破壊といった思想を特徴とし、同時多発的かつ相互影響を受けながら発生した芸術運動です。
ダダイズムはヨーロッパやアメリカではっせいしますが、根底には意味のない芸術とするのは第一次世界大戦によるニヒリズムがあるといいます。
マルセル・デュシャン「チェスをする人たち」
同じ章にフランシス・ピカビアの作品があり、聞いたことのある名前だなぁと思っていたが、この方は横尾忠則さんが「芸術の父」として憧れてきた作家でした。
おそらくは横尾忠則関係の本かなんかで読んで記憶の片隅に残っていたのだと思います。
フランシス・ピカビア「赤い木」
この辺りから黄金比・非ユークリッド幾何学・四次元の概念・運動の生理学分析とキュビズムを理論的に結び付けようとする理論が出てきます。
理論や概念的に観る近代美術には正直ついていけない部分があり、その難解さに悩まされますが、美術は結局はその作品が好きか嫌いかの判断でいいのだと思います。
マルク・シャガール「ロシアとロバとその他のものに」
モンパルナスの習合アトリエ「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」にはフランス以外の国から若く貧しい芸術家が集い、キュビズムを吸収しながら独自の前衛的表現を確立していったとされます。
その中には当時のロシア(ベラルーシ)から来たマルク・シャガールやイタリア人のアメデオ・モディリアーニなどがいたといいます。
アメデオ・モディリアーニ「女性の頭部」
20世紀初頭のロシアにはフランスのキュビズムとイタリア未来派が同時期に紹介され「立体未来主義」として展開したといいます。
ロシア・アヴァンギャルドの画家ミハイル・ラリオーノフの「散歩:大通りのヴィーナス」は最近見たアールブリュットの作家の作品のように見えて驚きました。
ミハイル・ラリオーノフ「散歩:大通りのヴィーナス」
第一次世界大戦によってダダイズムが芽生えたのと同様に、フランス人芸術家の多くが前線に送られ、キュビズムに大きな影響を与えます。
ピカソは非交戦国のスペイン出身だったため戦地には行かず、大戦中のキュビズムを担ったといいます。
パブロ・ピカソ「若い女性の肖像」
キュビズムを代表する作家は大戦後、「秩序への回帰」と呼ばれる保守的風潮によって、複雑で実験的な試みを避け、伝統的な技法の絵画に変わっていったようです。
ピカソも同様に「新古典主義の時代」に移行していったといい、その後「シュルレアリスムの時代」を経て、ナチスドイツを非難する「ゲルニカ」へと続いて行きます。
下は写実的な人物像と並行して制作が続けられたピカソのキュビズム絵画の1点だという。
パブロ・ピカソ「輪を持つ少女」
新しい表現方法を見出そうとする考えと、その時代の時代背景や世相などに影響を受けながらアートが発展してきた系譜が垣間見えるような美術展でした。
湧き出るように同時多発的にムーヴメントが発生するなんてことは、今後も有り得るのか何てことを考えてしまいます。