
一言で山の本と言っても、遭難や生還のリアルなノンフィクションや小説仕立てのもの、山での事故や不可解な現象、怪奇譚など幅広い分野に及びます。
どの分野も興味深い内容が多いのですが、ひとつのジャンルとして、山は生活圏の延長ではなく異界と捉えて書かれた本も数多くあるようです。
前回「山に関する本を乱読する!~山の危険・リスク・遭難・遭難・山のバケモノ~」の最後に上げた「山怪 山人が語る不思議な話」(田中康弘著)の続編からの話です。


「山怪」の壱は発行当時、書評などで話題になっていたので読んでいましたが、その後「弐」「参」「朱」が出版されており、「弐」と「参」を読む。
話に落ちも科学的な解釈もない、山で体験した奇妙な経験の語りを記録した本であるが、同じような奇妙な体験でも地域による特徴があるのが興味深いところ。
山の不可思議な体験をマタギや山里に暮らす人から聞き取った民俗学的な本が「山怪」とすれば、「山の不思議事件簿」(上村信太郎著)は国内外の事件を取り上げています。
実際に国内外の山で起こった不思議な事件には聞いたことのある事件(大雪山に残されたSOS文字)などの謎の事件を取り上げています。
また、登山者を寄せ付けないような遭難の多い山、エベレストより高いと長く思われていた山や近代になるまで人に知られていなかった高山などは興味深い。
話は埋蔵金伝説や猫又やサスカッチなど雪男伝説、絶滅動物にまで及び、山の不思議についていろんな視点から綴られています。

13人の作家による名文を集めた「山は輝いていた-登る表現者たち十三人の断章」(神永幹雄編)は、取り上げられたそれぞれの作家の山に対する想いが綴られる。
山の紀行文であったり山岳文学、一緒に芽ヶ岳を登山していた深田久弥さんが脳出血で帰らぬ人となってしまった状況を伝える作などが前半を占めます。
後半では小西政継さん・長谷川恒夫さん・加藤慶信さん・中嶋正宏さん・山野井泰史さんの山との栄光と惨敗の紙一重の闘いが書かれている。
最終話の「生還 ギャチュン・カン北壁」は山野井泰史さんの「垂直の記憶」の7章からの抜粋で、極限状態に置かれた山野井夫妻の闘いの記録。
興味深いのは山野井さんに本を書くことを薦めた編集者が沢木耕太郎と山野井さんを結びつけ、「凍」と「垂直の記憶」の2冊の本が生まれた出会いの妙でしょうか。

孤高の天才・江夏豊の序文から始まる「残された山靴」(佐瀬稔著)は、8人のアルピニストや冒険家の人物像を描いている。
登場する冒険者たちの中には組織や集団での登攀を望まず、単独行または最小人員で登攀するスタイルを好みます。
読み進めていくうちにこの本(特に5章まで)がなぜ江夏豊の序文から始まっているかに納得していきます。
森田勝・加藤保男・植村直己・鈴木紀夫・長谷川恒男・難波康子・山崎彰人・小西政継...。
登場する人の中には他の山の本にも描かれている方も多く含まれますが、全員が山で亡くなっています。
何年か後に登山家を取り上げる本に平出和也さんや中島健郎さんが名を連ねるのかもしれませんが、映像等での露出が多く親しみを感じていたので残念です。

2024年の芥川賞を「バリ山行」(松永K三蔵 著)が受賞したは記憶に新しいが、純文学の世界にも山の奇譚を書いた小説があるようです。
宮沢賢治、菊池寛、泉鏡花、太宰治、柳田國男などが書いた「文豪山怪奇譚-山の階段名作選-」(東雅夫著)ではオドロオドロシくも奇怪な話が集められています。
12人の文豪の大半は1800年代後半の生まれで、もっとも若いのが1909年生まれの太宰ということで、すんなり話に入れない作品もありました。
通常なら見かけても手に取ろうとは思わない話や作家を読む機会が出来るのは、アンソロジーならではのことであり、知らない世界への入口にもつながります。

軽妙な文章で主にスポーツ・ノンフィクションライターの山際淳司さんの「みんな山が大好きだった」はある時代のアルピニストたちを描き出します。
登場するのは、加藤保男、森田勝、長谷川恒男、ヘルマン・ブール、モーリス・ウィルソン・加藤文太郎など。
山を愛し山に眠る彼らのドラマはテーマとして取り上げられることが多く、同時代に影響を与え合いながら研鑽して散っていった人の人生はドラマティックゆえなのでしょう。
滑落してザイルでつながれたパートナーのザイルを切れるか?...切れると言い切る人もいれば、一緒に最後の時を瀕死のパートナーと共にする人もいる。

短期間で山に関する本を乱読しましたが、まだ積読本が何冊かあります。
本の中で自分には絶対に体験出来ないような過酷な挑戦の疑似体験や山の不可思議を楽しんでいました。
すっかり体力が落ちてしまったと思いますので、少しづづ体をアウトドア・モードに切り替えていきたい処です。
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