僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

揖斐川支流 日坂川の「夫婦滝」~岐阜県揖斐川町西津汲~

2022-07-29 05:20:20 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 岐阜県揖斐郡は郡の境界近くを伊吹山・金糞岳・夜叉ヶ池・冠山・能郷白山などの山々に囲まれ、山から流れ出る豊かな水は徳山ダムや横山ダムに貯水される山岳が中心となる地域です。
また、山麓には西国三十三所満願霊場の「谷汲山華厳寺」や、美濃の正倉院と呼ばれる「両界山横蔵寺」などの寺院があり、信仰の篤い地域でもあります。

国道303号線を久瀬地区から西美濃もみじ街道を日坂川に沿って進んで行くと、「夫婦滝」という2本の滝が寄り添うように流れ落ちる名瀑がある。
この道のさらに先は「グランスノー奥伊吹」の東部の品又峠の近くまで伸びているそうで、おおまかに言うと伊吹山系のブンゲン(射能山)の岐阜側ということになります。



「西美濃もみじ街道」は道路が整備されていますので、奥地に向かってる感はありませんでしたが、峠近くになると酷道になるようです。
「夫婦滝」はそれほど奥地に入らずに到着出来る場所でしたが、入口付近に“クマ危険!”のやたらリアルな看板があり、急に怖くなってくる。



駐車場に車を停めて展望台のような所に向かうと辺りには水音が響き渡り、まずは滝を探すことになる。
ほどなく夫婦滝が見えてきて、夏とは思えないような冷気が肌寒く感じます。
この位置からだと雄滝と雌滝の右側に細い子供の滝が流れ落ちているのが見えますので、家族滝のような滝です。



滝の落差は10mとされており、外観からいうと左の太さのある滝が雄滝、右の細い滝が雌滝となるのでしょうか。
大きな滝壺はなく、直曝して下の岩に当たって、そのまま日坂川に流れ込んでいるようです。



滝の落下口は樹木が被っていて見にくいものの、雌滝の方は何とか木々の間から見える感じでした。
今の季節は緑が美しいですが、「夫婦滝」は秋には紅葉、冬には雪景色の中の滝が見られ、四季の景色が楽しめるという。



雄滝は黒々とした岩肌の上を流れ落ち、水量が多く勢いが感じられます。
落下する水が幅広く垂直に落ちた後、前方の岩を越えて日坂川に流れ込む。





雌滝の方は落下する水に雄滝ほどの幅はなく、そのせいか岩肌には苔が生え緑っぽい岩肌に見え、右には更に細い滝が分岐して流れ落ちている。
また、滝壺の横には達磨のような岩があり、滝行でもしているかの如く。





夫婦滝より上流になる日坂川の流れも激しく、水が激しく流れるところがあります。
冷たそうな水は透き通っっており、伊吹山系から流れ出る水の豊富さには驚くばかりです。



夫婦滝の下流部も川底が見渡せるような透明度があり、勢いのある流れの迫力がある。
日坂川の水流に勢いがあって水音がすることから、最初に滝はどこ?と思ってしまったのも納得してしまいます。



最後にもう一度「夫婦滝」の全景です。
水音の大きさと水量の多さに迫力を感じます。



動画で<揖斐川支流 日坂川の「夫婦滝」>


せっかくなので「西美濃もみじ街道」を少し山側へ進んでみると、柴田錬三郎の「美男城」のモデル地という場所に「一本杉」という巨樹があるというので立ち寄ってみました。
「美男城」は小説の他にも映画化されているということですが、映画化されたのは1959年では知る由もない。



「一本杉」は巨樹レベルだとはいえ、あっと驚くような幹周はないが、この場所の雰囲気がかくれ里のような趣があって、なぜか気持ちが安らぐ。
山と山のさほど広い場所ではない所に田圃があり、傾斜のある場所では段々畑になっている。



周囲を取り巻く山は、伊吹山系に連なる高い山が周囲から押し迫ってくるような切迫感があります。
昔は滋賀県側の甲津原から品又峠を越えて、揖斐川町日坂を経由して岐阜と滋賀を結び、物資などを運ぶルートがあったのでしょう。


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大吉寺の「貞観の瀧」~湖北の天台宗寺院と源頼朝~

2022-07-25 06:09:09 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀の山麓には古くからの山岳信仰に始まり、平安時代には天台宗寺院として栄えたものの、衰退していった寺院が数多くあります。
特に湖北地方では比叡山天台宗系の寺院が数多くあったようであり、山頂近くに寺院跡を残し、山麓に観音さまや不動明王などを祀る寺院や祠が多いように思います。

下草野地方にある「大吉寺」は865年の草創と伝わる寺院で、かつては天吉寺山(標高918m)の中腹(標高750m)にあったとされますが、現在は本堂跡や門跡・塔跡・鐘楼跡などが残るのみという。
天吉寺山の300m地点にある現在の「大吉寺」は、もとの大吉寺の子院だったとされ、60年に一度開扉される本尊「聖観音像」を祀るとされます。



野瀬集落から大吉寺へ向かう道には石標が建てられ、“是より八丁(872m)”と彫られている。
草野川へ流れ込む支流に沿って道を進むが、道は多賀の林道のような雰囲気を感じます。



「大吉寺」への道や寺院の周辺にはスギが林立しており、環境省の「巨樹・巨木林データベース」によると、幹周が335~860m・樹高が26~46mあるスギが16本あるという。
以前にも巨樹を探しに「大吉寺」へ参拝したことがありましたが、幹周5m以上のスギだけでも7本ある場所ですので、同定するのが大変だった記憶があります。



苔むした石段のある参拝道まで来ると、“是より二丁”の石標がある。
石段を登れば「寂寥山 大吉寺」と鎮守社の「上之森神社」へと続いている。
2年前に参拝した時はアカショウビンの囀りがよく聞こえていましたが、今回はカワガラスの姿を見かけたのみ。



寺院の山門の前には巨石と共に句碑が置かれており、この先には大吉寺を開創した安然上人の御堂があるそうです。
巨石の左方向には天吉寺山(大吉寺跡)への道があるが、案内者がいないと入れない山だといい、クマが出そうなひとけのない寂寥な山なので怖ろしくて立ち入れない。



現在の「大吉寺」には建物としては大門・本堂・庫裡が残り、境内は江戸・元禄期に作庭された枯山水の庭園があります。
本堂には秘仏本尊の他にも御前立の聖観音立像、源頼朝坐像、 不動明王立像、地蔵菩薩、阿弥陀如来立像、役行者像、元三大師像が祀られているといい、いつか拝観してみたい寺院のひとつです。



大吉寺庭園から道の向こうに見えるスギは、2本のスギが合体したように見えるスギですが、幹はかなりの太さがありそうです。
1本の巨大スギの凄さというよりも、歩く先々に巨樹スギが見られる寺域だと思います。



苔の緑でカーペットのようになっている庭園には三尊石組があり、山側には方丈池があります。
山麓にあり訪れる人もいない寺院ですが、山の自然に融け込むような静けさに包まれつつも張り詰めた空気感を感じる寺院です。



ところで、大吉寺には“「平治の乱(1159年)」に敗れた源義朝(頼朝の父)が東国に逃れようとした時に、はぐれた源頼朝が大吉寺に匿われた。”との伝承が残ります。
頼朝は、鎌倉幕府になってから大吉寺を支援し、堂宇を再建や寺領を与えたと伝わり、山頂近くの大吉寺跡には頼朝供養の石造宝塔(1251年)が残るという。

大吉寺は室町時代にも幕府の庇護を受けたようですが、1525年の六角定頼の兵火、1572年に織田信長の攻撃により47坊が荒廃し、廃寺への道を歩んだそうです。
今回の大吉寺への参拝の目的は、「大吉寺史跡保存会」によって3年前に整備された「貞観の瀧(貞觀の瀧」を訪ねることです。



瀧は高さ約5mあるといい、地元の有志によって整備された滝とはいえ、この地の豊な自然環境にとけ込み、大岩から真っすぐに落下する見事な滝です。
滝の横には沢が流れ、近づくにつれヒンヤリとした冷たい空気に変わって、滝の前の道は水飛沫で濡れています。



さらに近づいてみると威圧されるような大岩と写真で見るより実際には水量のある滝に見惚れてしまいます。
滝に落ちた水が沢に落下していることもあり、周辺は水音しかしないような場所です。





滝を正面から見ると大岩の下部がやや内側に引っ込んでいるため、滝行をしながら座禅するのに最適な形になっています。
実際に滝行をされる方がいるのかどうかは不明ですけどね。





大吉寺に「貞観の瀧」の滝が整備されましたが、庫裡側から「釈神の滝」や「立岩」「平岩」と呼ばれる巨石があると案内板にありましたので、林道を登ってみることにします。
車1台しか通れない急坂を進むものの、林道の上には異常なまでに落石が多い。

舗装されていない空き地までたどり着いたが、木材が積まれていて進む道が分からず「釈神の滝」へはたどり着けず。
林道で唯一琵琶湖が見える場所があったので写真1枚撮って落石だらけの林道を下っていきました。




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「青龍の滝」と不動明王~鎌刃城跡~

2022-07-20 05:50:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 米原市と多賀町にまたがり東は岐阜県まで続く霊仙山系には、自然信仰や修験道や神道の影響が色濃い場所が多く残り、秘境感が漂う山中には古来からの信仰の痕跡が見られます。
ただ、たどり着くまでの道中には険しい林道や荒れた道も多く、落石などの怖さ、クマやイノシシなどの獣や毒蛇や山ヒルなど二の足を踏みたくなるような危険も伴います。

「青龍の滝」は以前から訪れたかった場所で、林道は特に問題ないものの少し怖い印象を持っている場所でした。
とにかく林道を進んで行くしかないと「林道滝谷武奈線」に入り、鎌刃城跡の登り口までの約6キロを進んで行きます。



舗装された林道は落石は多いとはいえ、多賀の山中の林道よりも遥かにましな道ではありましたが、土地勘がないので恐る恐る進んで行きます。
林道では行きに軽トラ1台、帰りにも軽トラ1台すれ違う。
林業関係の方かと思いましたが、通る車があるので道に倒木が倒れていたり土砂崩れ跡はないのが助かります。



「鎌刃城跡」の看板があるところまで来ると、山道に入ることになる。
“クマ出没注意”の看板もありましたが、こんな山の中で一人で何を注意したらよいのか。と怖いので熊鈴を鳴らしながら進みます。
道ははっきりとしているので迷うことはなさそうで、どこからか水音が聞こえてくるので方向の誤りもなさそうです。



途中まで進むと、鎌刃城跡と青龍の滝の分岐があったので滝を目指して進む。
木の間から水量の豊富な滝の姿が見え隠れしていたが、ぐるっと迂回しながら滝の下へと道が続いている。
前日の雨と当日は小雨がパラついていた日でしたので山の中の足場はかなり悪く、下りの道は滑りそうで少し怖い。



このルートは「青龍の滝」が最終地点になっているが、青龍の滝の下流にも幾つかの滝が連なっている。
写真を撮った位置も足場が悪いので下りていくことは出来ませんが、雨の影響もあってか水量は多い。



その下流には怖ろしいほど大きな巨石の下を滝になって流れ落ちている場所があった。
滝壺の下から巨石と滝を見上げたらさぞや壮観なことでしょう。



そしていよいよ「青龍の滝」と対面する。
山の中にあってこの神秘的な滝。何年も前から訪れたいと願っていた青龍の滝にやっとたどり着くことが出来ました。



「青龍の滝」は、龍の名が付くことから分かる通り水の神として祀られてきたといい、旱魃があっても滝の水は枯れることなく、かつては滝修行をされる方もおられたといいます。
滝の前に鳥居があることから、那智滝のように滝を御神体として祀る自然崇拝から信仰は始まったのかと思われます。



案内板では7月24日に滝祭りが地元の番場の人々によって取り行われているといいますから、滝への信仰は今も続いているということになります。
確かにこの滝には神秘性と共に圧倒的な力の源のようなものを感じます。



鳥居を抜けて滝に近づくと大きな一枚岩の上から勢いよく滝が落ちてきている姿を目の当たりにすることができます。
滝壺はそれほど大きくはありませんが、滝壺の下流側に並ぶ岩が苔むしているのも実に雰囲気があります。





滝の落下口には左に注連縄を巻いた岩、右には不動明王像が祀られています。
まるでここにおいでになる御神体の神を迎え入れるかの如く。





滝を仰ぎ見て拝みながら、滝の上に祀られた不動明王にも手を合わす。
「青龍の滝」は上部斜めから眺めると、一旦斜めに落ちて岩が垂直になっている辺りから直瀑になっているのが見えます。



滝の近くにある鎌刃城跡は鎌倉時代から戦国時代に山城があったといい、滝の上には城内に水を引くたけの「水の手」が造られていたとされます。
滝口の両岸に掘り込みを設けて板状のものをはめ込み、あふれさせた水を溝に流し込み、木桶を繋いで城内に水を引き込んだと伝承されている。



林道から見えるのは米原市から長浜市の田園や街並み。
霞んでいたので見にくいですが、奥に見えるお椀を伏せたような山は山本山でしょうか。



林道滝谷武奈線を多賀方向へ少し進んでみると竜宮山の登山口に1台の車が停まっており、誰か登山をされているようでした。
途中で折り返しましたが、この道を進めば「大杉神社(北原竜宮)」や男鬼の「比婆神社」まで行けるのだろうか。
霊仙山系には山岳信仰の霊的な神社が実に多い。


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枝折の「天神水」と「林蔵坊」~米原町枝折~

2022-07-15 06:32:55 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 米原市の醒井宿の中山道沿いに流れる地蔵川は、夏には梅花藻という水中花が咲いて観光客の目を和ませており、地蔵川には「十王水」と「西行水」という湧き水があります。
醒井集落の近くには、山裾の裂けめに食い込むかのような立地の場所に枝折集落があり、ここにも湧き水があるといいます。

枝折集落の背後にある山々は石灰岩でできているとされ、雨水の浸食作用を受けた空洞に多量の地下水が流れ込み、その一部が湧き出しているのだといいます。
枝折川の源流となる場所の水量の多さには驚くばかりで、集落内を歩くと絶えずどこからか水音が聞こえてきて、静かな集落の中でよく響いている。



天神水(天神宮湧水池)は左下の部分から湧き出して池のように水面を満たしており、水源からかなり勢いよく水が湧き出ているのが分かる。
この水は、集落の人にとっては生活用水や農業用水として生活を支えてきた水であり、清水は枯れることなく湧いているという。



水は山からの湧き水で冷たい清流でハリヨが生息しているといい、夏には冷蔵庫代わりとしても重宝されたといいます。
天神水は山の直下にあり、観光地となっている醒井の湧き水とは違い訪れる人はいないが、「NHK鶴瓶の家族に乾杯」で国村準さんと笑福亭鶴瓶さんが訪問されてプチ有名になったのだとか。



池の中に建つ灯籠には「灌田水」と刻まれているといい、“田に水を引く”ことへの感謝の気持が表わされているようです。
天神池の中では数匹の錦鯉が泳ぎ、三色のものや真っ白に紅の斑点、白に墨模様など模様も多様な錦鯉がいます。





天神水の枝折山側には岩の上に天神さんが祀られており、この湧き水の名前の由来となっているようです。
岩の下には絵馬掛けがあり、何枚かの絵馬が掛けられていたが、おそらくは地元の子供たちが祈願したものなのでしょう。



天神さんの祠の下にはゴツゴツとした巨石があり、祠の上にも岩肌が剥き出しになっているため、山や巨石への信仰が感じられる祠と言えます。
岩のすぐ前には清流が勢いよく流れ、山側の巨石の間に祠が祀られていることから、訪れた側も神聖な場所に来ていると実感します。



豊富な水量の湧き水はそのまま集落内を流れていくが、この水量の多さは冬の大雪が影響しているのかもしれません。
住居前に川から水を引いている家ではゴボゴボと音を立てて水が噴いており、夜寝る際に音が気にならないかと心配になるくらい。



ここで同じ集落内にある林蔵坊へと向かいますが、集落内の道は細く寺院には車を停める場所がなかったため、集落の入口に車を停めて集落内を歩く。
集落の中を歩いていて目に飛び込んできたのは「枝折八幡神社」の巨樹スギでした。



このスギは幹周が5.5mあり、樹高は28mとされる立派な巨樹で、地上10m近くまでは枝が全て切られているため巨大さは感じられないが、根の部分から数mの幹の太さには圧倒される。
八幡神社は正中年中(1324~1326年)、京極氏の旗下で土肥六郎兵衛尉正光が足利尊氏の命により、鎌倉八幡宮より分霊を枝折迎山に勧請したものといいます。



枝折の集落の最奥、枝折山の山麓には「林蔵坊」という寺院があり、参拝に訪れます。
林蔵坊は真言宗長谷寺派の総持寺(長浜市宮司町)の末寺にあたるといい、室町期の不動明王立像を祀る寺院とされます。



不動明王立像には脇侍である制多迦童子と矜羯羅童子を従えた檜の一木造りの像高40cmの仏像で、米原市の市指定文化財に指定されています。
御堂は開かれて灯りが灯されていたので不動明王の姿を拝観することが出来ました。シルエットですが火焔光背の様子は分かると思います。



山に回り込んだ場所には五輪塔や石仏がまとめて祀られています。
室町期か戦国期か、その後の時代に造られたのかは分かりませんが、一旦バラバラになったものを集めて祀られているのでしょう。



後方には枝折山(標高205m)が控えており、かつてはハイキング道が整備されていたようですが、今は荒れてしまっている。
途中に耳が折れたウサギの看板があり、ウサギが道しるべの役を果たしていたのかと思います。



上には何もなさそうに思いつつ少し登ってみたものの、前日の雨で滑りやすくなっており、道もはっきりしないので途中で折り返して戻ってきました。
寺院の境内は静寂に包まれていて人の姿はなく、花期を終えた早春の花たちが丁寧に育てられています。


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庚申山 広徳寺の磐座と表参道の大岩・不老の瀧~甲賀市水口町~

2022-07-08 05:30:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 甲賀市というと大抵の人がまず思い浮かべるのは「甲賀忍者」だろうと思いますが、それは戦国時代~江戸時代を描いたドラマや時代小説に頻繁に忍者が登場することにあるのでしょう。
昔懐かしい子供ドラマの「仮面の忍者 赤影」の第1部と2部にも祈祷師・甲賀幻妖斎が率いる甲賀流忍者七人衆が暗躍する金目教や卍党が登場したのがある年代層の方には記憶に残ります。

甲賀地方は古来より巨石信仰や山岳信仰が盛んだった地とされ、修験道の山中修行の山ともなっていたといい、奈良の大峰山と関わりが深いといいます。
甲賀忍者は甲賀の山中で修行した修験道者が、忍者のもとになっていったともされていて、甲賀の山は現在も修験道の痕跡が残る神仏習合の霊山となっています。



甲賀には「甲賀三霊山」と呼ばれる霊山があり、「岩尾山(息障寺)」「飯道山(飯道神社)」「庚申山(広徳寺)」の3つの山を指すという。
巨石と巨大な屏風岩に彫られた摩崖不動明王立像のある「岩尾山(息障寺)」へは既に参拝済みですので、今回は2つ目の霊山「庚申山(広徳寺)」へ参拝に訪れました。



庚申山は飯道山の南東の尾根につながる山の頂上にあり、ハイキングコースがありますが、舗装された林道(広徳寺)がつながっているためショートカットして広徳寺の近くまで車で登りました。
広徳寺は783年、伝教大師・最澄がこの地に庚申尊を祀られたのが始まりとされる天台宗寺院になります。

庚申信仰は道教の「三尸説」をもとに密教・神道・修験道・呪術的な医学や民間信仰・習俗が混合した信仰とされ、広徳寺の御本尊は「青面金剛童子」であるといいます。
正式名「瑞応山 竜華院 広徳寺」は、複数の信仰が混合した寺院であることが影響しているためなのか、寺院であるにも関わらず、本堂への石段前には鳥居があり、庚申尊の扁額が掛けられている。



本堂の横には歴史を経ていそうな宝篋印塔が祀られていたので裏側に回って刻印を確認すると、明和7年(1770年)とあり、干支は「庚申」ではなく「庚寅」。
江戸時代中期の宝篋印塔ですから石塔の世界ではそれほど古くはないものの、約250年前に造られた石塔です。



本堂はかなり新しい印象を受けるが、それもそのはずで本堂は2013年に漏電とみられる火災で全焼。現在の本堂は2017年に落慶されたといいます。
本堂には庚申の申(猿)と縁のある“さるぼぼ”がたくさん吊るされていて、信仰の篤さが感じられます。。

広徳寺には地元の百姓・藤左衛門が断食修行中に現れた童子から、銅と亜鉛を配合する合金製法を授かったと伝えられたという伝承が残り、真鍮精錬の始まりになった場所とされます。
真鍮精錬で財を成した藤左衛門が1616年に謝恩のため再建したとされる本堂は先述の火災で存在していませんが、再建にあたっては地元の方以外にも伸銅メーカーの尽力があったといいます。



本堂の裏側には磐座があり、磐座は石垣によって支えられ、転倒防止のための金属ネットが取り付けられています。
磐座の一部には火災によって焼かれた跡が残り、業火の激しさを岩肌に伝えています。

磐座は「丈余の岩」といい783年に、最澄が延暦寺建立の際に用材を求めて訪れたところ、紫雲たなびくのを見て頂上に登ると、「丈余の岩」に稲妻が発し、忽然と童子が現れ、お告げがあったという。
最澄は、大青面金剛の霊姿を感得され、像を自作して祀ったのが寺院の始まりと伝わる。



山頂の寺院ということもあって境内は限られた場所にとどまりますが、鐘撞堂の奥には見晴らしの良い展望台が設けられています。
庚申山や飯道山の連なる山塊は、緑に覆われ、あちこちから聞こえるウグイスの囀りが心地よい。





直下の平野には水を張った水田が鏡のように空を写し出し、かなたには鈴鹿山脈が連なるのが影のように見えます。
案内板には鈴鹿山脈のピークが十座ほど書かれていたが、どこがピークかは分からず、鈴鹿山脈の連山だけが印象に残る。
ここからは霊仙山や伊吹山が見えるとあったものの、こちらも霞んでしまって識別不能。



東側の逆光方向には谷合いにまで水田が伸びてきていて平地を無駄なく田圃にしている様子が分かる。
鈴鹿山脈はこの方向まで続いており、登山好きの間では「鈴鹿十座」とか「鈴鹿セブンマウンテン」とか呼ばれてトレッキングを楽しまれている方が多いとか。



展望台の横には庚申山の三等三角点。
周辺には大峰山三十三度記念碑が複数建てられていて、庚申山や飯道山と大峰山との修験のつながりの深さが伺われます。





庚申山の山頂からの景色を楽しみ、広徳寺への参拝を終えた後、表参道を下ってみることにする。
急勾配の木段を下っていく道は登山道そのもので、降りてしまったことを後悔しつつも道を進みます。



木段が終わると今度は巨石がゴロゴロとした荒れた道になってくる。
なんか忍者か修験者が歩くような道やねと思いつつ下っていきますが、全くひとけのない山ですので少し薄気味のが悪さを感じます。



その時に見えてきたのは壁のような巨石「祈りの双巌」です。
広徳寺の本堂の裏の磐座「丈余の岩」よりも大きいのではと思われるこの大岩と巨石の道では、修験道の儀式が行われていたのではないかと考えてしまうような神秘的な場所です。



巨大な1枚岩の祈りの双巌から道を下っていっても荒れ気味の岩の道が続きますが、この道は2013年の豪雨による土石流の道となってしまい、まだ復興途中ということです。
標高406.9mの低山ですが、登山口から登ると結構大変かもしれませんね。



もう少し下ると「神降 不老の瀧」の石碑が見えてくる。
“神降”は神霊を祭場に招き迎えることの意味だと思いますので、参道の大岩では祭事が行われていたと考えてよいのではないかと思います。
もしくはこれより上が神が宿る神体山となる結界の一部なのかもしれません。



ただし、滝と名は付いていても水は岩陰を流れるのみで、何本もの倒木があり荒れ果てています。
かつて滝行が出来る場所だったのかは、今となっては分からなくなっています。



表参道はどこかで周回コースと交差するはずでしたが、そのまま下りが続いているように見え、あまり降りてしまうと登り返しで苦労しそうなので、迷った末にここから来た道を登り返します。
山頂までたいした距離はないとはいえ、旧勾配のため、ふくらはぎに負担がかかっているのを感じながらの登り返しでした。

甲賀地方では所々で見かける「忍びの里 甲賀 伊賀」の看板の上には忍者の姿。
忍者ものは今の時代でもドラマや映画、小説やアニメに登場する忍者は、決して表舞台には出ないミステリアスな存在として暗躍する姿を描かれることが多く、その存在は謎ゆえに人を魅了するのでしょう。




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長浜別院・大通寺「夏中法要・山門上層特別拝観」~夏中さんは露店なし~

2022-07-02 15:33:03 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 湖北地方の子供たちの夏は、7月上旬の大通寺「夏中さん」に始まり、8月下旬の「木之本地蔵大縁日」で名残り惜しい夏休みを終えるというのが定番でした。
夏中さんと木之本の縁日は、コロナ前は数多くの露店が店を並べ、かつては「見世物小屋」や「お化け屋敷」なども開かれて、おどろおどろしい世界を体験したものです。

夏中さんも木之本の縁日も本来は寺院の法要ではあるものの、子供にとっては射的やスマートボールなど日常とはかけ離れた遊びに心をときめかした経験は誰しもあるかと思います。
昔はカラーヒヨコなどというペンキで色を付けたヒヨコなども売っていましたが、記憶に残るのは見世物小屋の蛇女や亀男・蛸女・人間ポンプなど子供の好奇心を刺戟する猥雑な出し物の記憶です。



さて夏中さんということで縁日の屋台が出ているかと思い、黒壁ストリートから大通寺まで歩いて行きましたが、露店は気配もない。
大通寺で世話方の方に聞いてみると、コロナの影響で露店は出ないとのことで、メインは法要なんだけど露店が出ていないので活気がなくて人が集まらないと嘆きの言葉もお聞きしました。



大通寺は正式には「真宗大谷派 長浜別院 大通寺」といい、山号を「無礙智山」として東本願寺を本山と仰ぐ別院となります。
1602年に徳川家康の本願寺分立の許可により、旧長浜城内に創建され、1606年に現在地に移されたといいます。
現在の大門は、1808年に起工され1841年に33年かけての工事により完成された建築物だとされます。



大門の中にある階段は急で、軒が低い所では頭をぶつけそうになるような造りで、登り降りする時は世話方が上層と下層で連絡を取りながら人が交差するのを防いでいます。
この大門の上層には、須弥壇に「釈迦如来座像」を中心にして、右に「弥勒菩薩立像」左に「阿難尊者立像」が祀られていて、東本願寺の御影堂門と同じ3尊となっているとのこと。



内部は以前は撮影が可能でしたが、現在は撮影が禁止されていますので、チラシを切り取っています。
天井に描かれているのは、京狩野派の画人・山縣岐鳳の「天女奏楽図」の美しい天井画です。
山縣岐鳳は京都から長浜に移住して、曳山まつりの高砂山や鳳凰山の舞台障子絵を始めとして幅広い作品を描いた絵師として活躍された方です。



板間の周りは回廊となっていて、風通しのいい回廊を歩くと汗もひいて酷暑から解放されます。
本堂は、浄土真宗の寺院らしい長い屋根の建物で、寺伝では東本願寺の御影堂として用いたものを1600年代中頃に移建したものとされています。
ちょうど本堂では勤行の時間でしたので、離れていても読経が聞こえており、参拝されている方も多かったようです。



御坊さんの大門から続く「ながはま御坊表参道」を見渡しても、露店は見当たらず、酷暑で出歩く人の姿もわずかな状態です。
コロナ前だと夏中さんの時は、露店が並びイベントが各所で開催されていたのに、まだまだ寂しいアフターコロナの街です。



大通寺には方丈池があり、何種類かの蓮とヒツジグサが咲いていましたが、あまりの暑さが続いているためか花の状態の良いものは少なく感じました。
蓮の花は種類が多いので花の名称までは分かりませんが、撮ったのは比較的花の状態の良いものです。
最初の蓮の花は白花で花弁の先端だけが紫がかった色をしています。



次は濃いピンク色の美しい花の蓮です。
あっという間にアジサイの季節が通り過ぎ、合歓木の花が咲いているのを見かけることの多くなったこの時期、これからしばらくは蓮の花の季節になるのでしょうか。



やたらと花弁の多い蓮の花もあります。
この方丈池に咲く蓮は、琵琶湖湖岸などで見る蓮とは随分と雰囲気が違います。
トンボも飛んでいましたが、コシアキトンボ・オオシオカラトンボ・ショウジョウトンボといった連中です。



夏中さんなのに露店が出ていないのは何か買ったりするわけでもないのですが、少し寂しいものです。
おまけは別の日に偶然見かけた「秀吉くん」と「光成くん」です。
きっちりポーズを決めてくれましたよ。




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