琵琶湖には100余りの湖底遺跡があるといわれます。
また村や集落が琵琶湖に沈んだという伝承が多く伝わり、土器などが発見されているようです。
西野水道でつながる琵琶湖湖畔にもかつて「阿曽津千軒」と呼ばれる大きな集落がありましたが、琵琶湖に大津波(地震)が起こって湖中に沈んでしまったと伝わります。
阿曽津の村人たちは山を超えて「西野・松野(松尾)・熊野・東柳野・柳野中・西柳野・磯野」の七ヶ村に移り住んだとされ、これを「阿曽津伝説」というようです。
その七ヶ村の一つの松尾集落には美しい「十一面観音立像」を安置する松尾寺があります。
松尾寺は、行基(奈良仏教)・泰澄大師(白山信仰)が己高山 鶏足時を建立後、歳月とともに衰微しましたが、伝教大師・最澄が再興し、己高山七ヶ時を建立した中のひとつだとされています。
「己高山 覚念寺」は己高山松尾寺の後身の寺院でしたが、浄土真宗の寺院に改宗しており、境内に松尾寺観音堂を置く寺院です。
湖北には浄土真宗の寺院の横に観音堂があることが多々あり、浄土真宗信仰と観音信仰の並立が見られます。
最初の石段を登ったところには鐘楼と石碑があり、山号・寺号と共に「親鸞上人御遺跡」と彫られてあります。
滋賀の湖北地方は浄土真宗信仰が根強い地域といわれますが、何故そうなったのかはよく分かりません。
終日天気の悪い日で、この松尾寺まで来ると雨足が強くなってきました。
傘がなかったので諦めて引き返そうかとも思いましたが、石段が見たら急に気持ちが盛り上がり、石段を駆け登ってしまいました。
段数は少ないけど味わいのある石段を登ると観音堂があり、お世話の方が拝観者の対応に追われておられます。
肌寒い雨の日曜に終日お世話にあたられご苦労さまなことだと思います。
山を背にした観音堂にさっそく上がらせて頂くと、光を放つかのような「十一面観音立像」が目に入ります。
雨の中を傘もなくここまできた甲斐があったと思わず表情が柔らかくなったのが分かりました。
須弥壇の右には脇侍の「不動明王立像」が安置されています。
製作年代等は書かれていなかったため詳細は分からないものの、憤怒の表情に激しいものがあります。
須弥壇の左には「毘沙門天立像」が脇侍として安置され、天台宗系の三尊形式になっています。
毘沙門天も憤怒の表情は激しく、本尊の「十一面観音」を守護しています。
御本尊の「十一面観音立像」は宝冠をかぶられておりますので頭上の化仏は見ることが出来ませんでしたが、寺の縁起では高僧(最澄?)が余呉川の深い川底に住む龍の霊言を受け、霊木を彫って造ったのが観音の三尊像だとされます。
像高は約103cm、本尊の両隣りには伝教大師・最澄と慈覚大師・円仁の坐像が安置されています。
この十一面観は仏像に使われることの少ない杉材で製作されており、杉の木目が独特の模様を描き出しています。
参拝時には杉を使っていることは知りませんでしたが、ひと目で惹きつけられたのは杉の木目の美しさだったのかもしれません。
こうしてみると長浜市北部(高月町・木之本町)は観音信仰が非常に盛んな地域だということが分かります。
今回は高月町琵琶湖側の寺院を巡りましたが、まだ拝観したことのない観音様が多数安置されています。
次に御開帳される機会を心待ちしております。
また村や集落が琵琶湖に沈んだという伝承が多く伝わり、土器などが発見されているようです。
西野水道でつながる琵琶湖湖畔にもかつて「阿曽津千軒」と呼ばれる大きな集落がありましたが、琵琶湖に大津波(地震)が起こって湖中に沈んでしまったと伝わります。
阿曽津の村人たちは山を超えて「西野・松野(松尾)・熊野・東柳野・柳野中・西柳野・磯野」の七ヶ村に移り住んだとされ、これを「阿曽津伝説」というようです。
その七ヶ村の一つの松尾集落には美しい「十一面観音立像」を安置する松尾寺があります。
松尾寺は、行基(奈良仏教)・泰澄大師(白山信仰)が己高山 鶏足時を建立後、歳月とともに衰微しましたが、伝教大師・最澄が再興し、己高山七ヶ時を建立した中のひとつだとされています。
「己高山 覚念寺」は己高山松尾寺の後身の寺院でしたが、浄土真宗の寺院に改宗しており、境内に松尾寺観音堂を置く寺院です。
湖北には浄土真宗の寺院の横に観音堂があることが多々あり、浄土真宗信仰と観音信仰の並立が見られます。
最初の石段を登ったところには鐘楼と石碑があり、山号・寺号と共に「親鸞上人御遺跡」と彫られてあります。
滋賀の湖北地方は浄土真宗信仰が根強い地域といわれますが、何故そうなったのかはよく分かりません。
終日天気の悪い日で、この松尾寺まで来ると雨足が強くなってきました。
傘がなかったので諦めて引き返そうかとも思いましたが、石段が見たら急に気持ちが盛り上がり、石段を駆け登ってしまいました。
段数は少ないけど味わいのある石段を登ると観音堂があり、お世話の方が拝観者の対応に追われておられます。
肌寒い雨の日曜に終日お世話にあたられご苦労さまなことだと思います。
山を背にした観音堂にさっそく上がらせて頂くと、光を放つかのような「十一面観音立像」が目に入ります。
雨の中を傘もなくここまできた甲斐があったと思わず表情が柔らかくなったのが分かりました。
須弥壇の右には脇侍の「不動明王立像」が安置されています。
製作年代等は書かれていなかったため詳細は分からないものの、憤怒の表情に激しいものがあります。
須弥壇の左には「毘沙門天立像」が脇侍として安置され、天台宗系の三尊形式になっています。
毘沙門天も憤怒の表情は激しく、本尊の「十一面観音」を守護しています。
御本尊の「十一面観音立像」は宝冠をかぶられておりますので頭上の化仏は見ることが出来ませんでしたが、寺の縁起では高僧(最澄?)が余呉川の深い川底に住む龍の霊言を受け、霊木を彫って造ったのが観音の三尊像だとされます。
像高は約103cm、本尊の両隣りには伝教大師・最澄と慈覚大師・円仁の坐像が安置されています。
この十一面観は仏像に使われることの少ない杉材で製作されており、杉の木目が独特の模様を描き出しています。
参拝時には杉を使っていることは知りませんでしたが、ひと目で惹きつけられたのは杉の木目の美しさだったのかもしれません。
こうしてみると長浜市北部(高月町・木之本町)は観音信仰が非常に盛んな地域だということが分かります。
今回は高月町琵琶湖側の寺院を巡りましたが、まだ拝観したことのない観音様が多数安置されています。
次に御開帳される機会を心待ちしております。