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ところが何と、湖東にある多賀町では“明智光秀 多賀出身説”が持ち上がり、光秀のルーツは多賀にあり!との説があるようです。
光秀の前半生は謎に包まれているとはいいますが、多賀出身というのは聞いたことがありませんでした。
ただし多賀では“出身説”としており、“誕生説”ではないところが微妙なところとはいえ、説は文献や伝承を元にした大真面目な説です。
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十兵衛屋敷跡がある多賀町佐目の集落は、三重県と滋賀県の県境に位置し、伊勢神宮と多賀大社の参拝の通り道にあたる地だったとされています。
戦国時代には近隣武将や土豪の勢力争いの最前線になる地であったこともあって、周囲を山に囲まれたこの地には山城が幾つかあったといいます。
屋敷跡の後方に見えるのは高室山でしょうか。ここにもかつて山城があったと聞きます。
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佐目が光秀の出身地とするには幾つかの理由があり、一つは17世紀後半に編纂された『近江温故録』という地誌に書かれた内容と佐目の口伝が一致すること。
“光秀の2~3代前の美濃出身で土岐氏に仕えていた先祖が明智十左衛門と名乗って佐目に住んでいた。”
“十兵衛は六角高頼に仕官し、2~3代後の十兵衛光秀は越前朝倉家に仕えた。”と書かれてあるという。
“山崎の戦いで光秀の家来ではなかった犬上衆が昔の旧き(ふる)好み(よし)で応戦した”という伝承もあるようです。
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(多賀観光協会チラシ)
佐目には光秀の「ミツ」の字をもらい、「見津(ミツ)」と書いて「けんつ」と読む一族がいるといい、実際に表札が確認出来ました。
明智の一族が佐目に住んでいた話がどこまで光秀につながっているかは分かりませんが、興味深い話です。
ところで、十兵衛屋敷跡のすぐ山側には佐目の鎮守社である「十二相神社」があり、参拝に向かいます。
主祭神は「少彦名命」とされ、少彦名命は大国主命と協力して国土の経営にあたり「医薬・禁厭」などの法を創めたとされています。
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境内から背後の山にかけて杉の巨木が多いが、何といっても社殿両側にある4本の杉の巨木の迫力と神秘的に魅入られる。
樹齢は500~1000年といい、下段の2本の杉は胸高周囲4.9mと4.5mの巨木。
上段には6.5mと6.15mと更に太い杉がある。
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これだけの巨木があると圧倒されるしかないが、境内にある木はどれも几帳面に枝打ちされており、よく整備されていることが分かる。
佐目は多賀町でも三重県いなべ市と隣接したかなり奥地にある集落という印象を受けましたが、なぜ明智十兵衛は美濃から佐目へ来たのでしょうか?
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明智十兵衛屋敷跡で世話方の話を聞いている時に“道路に車が何台も停まっているところがあっただろう。あそこの山でミツマタが満開だから寄っていったらどうか。”と教えて頂きました。
現地へ行って山から出てこられた人に聞くと“20分くらい登ったら群生があるよ。凄く綺麗だよ。”と教えてもらって砂利道の登り坂を登っていく。
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ミツマタの群生は山の斜面一帯に広がり、道の反対側の谷側にも群生が広がっている。
まさに周囲全てがミツマタの花に埋め尽くされていて、ミツマタの群生地というよりミツマタの花の森と呼んだ方がしっくりくる。
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ミツマタは中国産の落葉低木で江戸時代から製紙に使われていたといい、枝が必ず三叉に分かれることからミツマタの名が付いたそうです。
山へ入られる人も多く、ここが有名なミツマタ群生地とは知らなかったにも関わらず、満開の時期に教えていただけたのは運が良かったですね。
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ツマタの群生地への入口付近にはエメラルドグリーンのため池があります。
なかなかに神秘的な場所です。
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『麒麟がくる』での光秀は美濃を舞台に活躍していますが、実は多賀町佐目の出身だったと別のストーリーを思う浮かべるのも面白いかもしれません。
山々に囲まれた佐目の周辺は自然が多く、十二相神社の杉やミツマタの群生地などを見ながら心が満たされていくのを感じます。