西国三十三所第五番札所の葛井寺は、昔ながらの商店がアーケードに並ぶ庶民的な街の一角に馴染むようにして建てられている寺院でした。
西国札所寺院は山中に潜むように建てられている寺院や街中の寺院など、それぞれの寺院によって有り様 は様々なんだと感じます。
葛井寺は7世紀に百済からの渡来人である葛井氏の氏寺として建立されたと伝えられています。
725年には聖武天皇の勅願によって「十一面千手千眼観世音菩薩像」を祀り、行基が葛井寺を創建したといわれます。
当時の葛井寺は、東西に2つの三重塔を有する薬師寺式伽藍配置を持ち、非常に栄えた寺院だったようです。
しかしその後、1493年の兵火と1510年の地震で堂塔を失ってしまい、現在の堂宇は江戸期に再建されたものだといいます。
入母屋造の楼門「南大門」は1790年に再興されたもので、金剛力士像が安置されています。
南大門は住宅街と続く門前町にあり、アーケードの入口付近にある西門と共に、繁華な街中に忽然と現れる門といった感があります。
仁王門には阿吽の金剛力士像が安置されていますが、やはり金網越しの仁王様になります。
南大門が完成した時に仁王像が安置されたとすると、200年以上は風雨にさらされながらも寺院を守護してきたことになります。
南大門から見る境内は本堂を正面に幾つかの堂宇が並びますが、街の中のこじんまりとした寺院の印象を強く受けます。
ただし、近隣の方らしき方が絶えず参拝に来られていましたので、西国巡礼札所寺院である以上に地域の方に親しまれている寺院のような印象を受けます。
南大門から入山した左側には巨木があり、その後方には西国三十三所の本尊を彫った石碑が並びます。
石碑に本尊が彫られ、文字は御詠歌でしょうか。これほど手の込んだお砂踏みは葛井寺だけかもしれません。
本堂の前には「紫雲石灯篭」があり、「聖武天皇御寄附 寫紫雲石燈篭」の石碑が建てられています。
この石灯篭には“花山法皇が本尊を参拝した時、本尊の眉間から光が射し、灯籠から紫雲がたなびいた”という伝承があるようですが、残念ながらこれはレプリカで本物(鎌倉期)は本堂裏の庭園に保管されているそうです。
石灯篭の右手には「旗掛けの松(三鈷の松)」があり、この松は南北朝の時代に楠木正成が息子の正行・正時・正儀と共に葛井寺の境内に陣を敷いた際に非理法権天の菊水旗を掛けた木だとされます。
細川顕軍に勝利した後、この松からは三人の息子にちなみ三葉の松ができるようになったといい、三葉の松からは不思議な力が授かることが出来るといいます。
現地には落ちた三葉の松の葉を熱心に探している方がおられましたので、有名な松なのかと思います。
旗掛けの松の後方には「弘法大師堂」が建てられ、横に大岩の上に乗った「弘法大師修行像」があります。
真言宗系の寺院ではよく見る弘法大師像ですが、大岩に乗っている弘法大師は岸壁に立つというより、雲の上に乗って空を飛んでいるような印象さえ受ける御姿です。
本堂の西には「護摩堂」があり、「不動明王」「千手観音」「役行者」が祀られていました。
葛井寺の護摩堂は、大峰山入峯の最初に行場として修験者の信仰を集めてきたといい、地図で見ると確かに吉野から熊野へと続く道の入口に藤井寺は位置するように見えます。
「本堂」は1744年に起首し、30余年に及ぶ難事業の末に完成されたとされる建築物で、堂内には御本尊の国宝「十一面千手千眼観世音菩薩像」と脇侍に「地蔵菩薩像」「聖観音像」が祀られているといいます。
御本尊は秘仏ではあるものの、毎月18日に開扉されているといい、一度はこの目で観てみたいが、縁がないのかどうしても日程が合わない。
やむなく外陣から閉じられた扉に向かって手を合わせる。
葛井寺の「十一面千手千眼観世音菩薩像」は現存する千手観音の中で最古のものとされ、1041本の手を持つ仏像だといいます。
千手観音は数多くありますが、一般的には42本の手の仏像が多く、実際に千本以上の手を持つのはこの極めて珍しいと聞きます。
昨年は東京国立博物館で公開されたそうですが、仏像公開が東京一極集中となっているのが残念なところです。
ところで、南大門の裏側には御本尊を描いた絵と地獄絵図が展示されていました。
御本尊はいつか拝観するとして今回は額絵を見て納得することにいたしましょう。
参拝が終わり寺院から出たのは重要文化財となっている「四脚門」からでした。
「四脚門(西門)」は1601年に豊臣秀頼によって南大門として建てられたものだとされます。
四脚門を出た右方向には昭和の匂いがプンプンと漂う葛井寺一番街のアーケードが続いており、雑多な大阪の街に寺院が溶け込んでいるのが面白い。
西国三十三所札所寺院の巡礼は、2016年3月に第三十一番札所の長命寺に参拝したのが始まりで、西国巡礼に特別にこだわって参拝してきたわけではありませんが、満願まではあとわずか。
急ぐ旅ではありませんが、いつの日か満願して谷汲山 華厳寺へもう一度お参りしたいと思います。
西国札所寺院は山中に潜むように建てられている寺院や街中の寺院など、それぞれの寺院によって有り様 は様々なんだと感じます。
葛井寺は7世紀に百済からの渡来人である葛井氏の氏寺として建立されたと伝えられています。
725年には聖武天皇の勅願によって「十一面千手千眼観世音菩薩像」を祀り、行基が葛井寺を創建したといわれます。
当時の葛井寺は、東西に2つの三重塔を有する薬師寺式伽藍配置を持ち、非常に栄えた寺院だったようです。
しかしその後、1493年の兵火と1510年の地震で堂塔を失ってしまい、現在の堂宇は江戸期に再建されたものだといいます。
入母屋造の楼門「南大門」は1790年に再興されたもので、金剛力士像が安置されています。
南大門は住宅街と続く門前町にあり、アーケードの入口付近にある西門と共に、繁華な街中に忽然と現れる門といった感があります。
仁王門には阿吽の金剛力士像が安置されていますが、やはり金網越しの仁王様になります。
南大門が完成した時に仁王像が安置されたとすると、200年以上は風雨にさらされながらも寺院を守護してきたことになります。
南大門から見る境内は本堂を正面に幾つかの堂宇が並びますが、街の中のこじんまりとした寺院の印象を強く受けます。
ただし、近隣の方らしき方が絶えず参拝に来られていましたので、西国巡礼札所寺院である以上に地域の方に親しまれている寺院のような印象を受けます。
南大門から入山した左側には巨木があり、その後方には西国三十三所の本尊を彫った石碑が並びます。
石碑に本尊が彫られ、文字は御詠歌でしょうか。これほど手の込んだお砂踏みは葛井寺だけかもしれません。
本堂の前には「紫雲石灯篭」があり、「聖武天皇御寄附 寫紫雲石燈篭」の石碑が建てられています。
この石灯篭には“花山法皇が本尊を参拝した時、本尊の眉間から光が射し、灯籠から紫雲がたなびいた”という伝承があるようですが、残念ながらこれはレプリカで本物(鎌倉期)は本堂裏の庭園に保管されているそうです。
石灯篭の右手には「旗掛けの松(三鈷の松)」があり、この松は南北朝の時代に楠木正成が息子の正行・正時・正儀と共に葛井寺の境内に陣を敷いた際に非理法権天の菊水旗を掛けた木だとされます。
細川顕軍に勝利した後、この松からは三人の息子にちなみ三葉の松ができるようになったといい、三葉の松からは不思議な力が授かることが出来るといいます。
現地には落ちた三葉の松の葉を熱心に探している方がおられましたので、有名な松なのかと思います。
旗掛けの松の後方には「弘法大師堂」が建てられ、横に大岩の上に乗った「弘法大師修行像」があります。
真言宗系の寺院ではよく見る弘法大師像ですが、大岩に乗っている弘法大師は岸壁に立つというより、雲の上に乗って空を飛んでいるような印象さえ受ける御姿です。
本堂の西には「護摩堂」があり、「不動明王」「千手観音」「役行者」が祀られていました。
葛井寺の護摩堂は、大峰山入峯の最初に行場として修験者の信仰を集めてきたといい、地図で見ると確かに吉野から熊野へと続く道の入口に藤井寺は位置するように見えます。
「本堂」は1744年に起首し、30余年に及ぶ難事業の末に完成されたとされる建築物で、堂内には御本尊の国宝「十一面千手千眼観世音菩薩像」と脇侍に「地蔵菩薩像」「聖観音像」が祀られているといいます。
御本尊は秘仏ではあるものの、毎月18日に開扉されているといい、一度はこの目で観てみたいが、縁がないのかどうしても日程が合わない。
やむなく外陣から閉じられた扉に向かって手を合わせる。
葛井寺の「十一面千手千眼観世音菩薩像」は現存する千手観音の中で最古のものとされ、1041本の手を持つ仏像だといいます。
千手観音は数多くありますが、一般的には42本の手の仏像が多く、実際に千本以上の手を持つのはこの極めて珍しいと聞きます。
昨年は東京国立博物館で公開されたそうですが、仏像公開が東京一極集中となっているのが残念なところです。
ところで、南大門の裏側には御本尊を描いた絵と地獄絵図が展示されていました。
御本尊はいつか拝観するとして今回は額絵を見て納得することにいたしましょう。
参拝が終わり寺院から出たのは重要文化財となっている「四脚門」からでした。
「四脚門(西門)」は1601年に豊臣秀頼によって南大門として建てられたものだとされます。
四脚門を出た右方向には昭和の匂いがプンプンと漂う葛井寺一番街のアーケードが続いており、雑多な大阪の街に寺院が溶け込んでいるのが面白い。
西国三十三所札所寺院の巡礼は、2016年3月に第三十一番札所の長命寺に参拝したのが始まりで、西国巡礼に特別にこだわって参拝してきたわけではありませんが、満願まではあとわずか。
急ぐ旅ではありませんが、いつの日か満願して谷汲山 華厳寺へもう一度お参りしたいと思います。