「草野川」は、滋賀県と岐阜県の境界にある「金糞岳(1317m)」から流れ出る「東俣谷川」と「西俣谷川」を源流とし、長浜市高山町の辺りで合流した後、姉川と合流して琵琶湖に注ぎ込みます。
「金糞岳」と連なる「己高山(923m)」の西側には一大仏教圏が広がりますが、草野川流域にも歴史のある神社や寺院が今も残ります。
高山キャンプ場から下流に少し下ったところに「野瀬」集落はあり、そこには巨樹の寺院「大吉寺」があります。
草野川に流れ込む「天吉寺川」に沿って上流へ向かう道筋には植林された杉が林立し、また道の脇には幾つかの巨石が見られる。
「大吉寺」は、865年に創建された天台宗寺院だといい、「天吉寺山(918m)」の山頂付近に伽藍があったとされます。
また、平治の乱(1159年)の後、源頼朝が東国落ちした際、大吉寺にかくまわれて庇護を受けたとも伝わります。
室町時代には幕府の祈祷寺として保護を受けていたものの、戦国時代に入ると六角定頼の兵火(1525年)や織田信長の破却(1572年)などにより寺院は衰退してしまったといいます。
現在は、山麓の大吉寺(かつての子院)が遺存するのみとなり、山中に本堂跡・門跡・塔跡・鐘楼跡・入定窟・閼伽池・石階などが遺構として残されているようです。
山門から入山すると庫裡があり、苔の美しい「大吉寺庭園」がある。
山門の対面には句碑が刻まれた石と剥き出しの岩肌が見え、少し先には大吉寺の開山である安然上人を祀る「安然上人堂」の祠がある。
本堂へは更に石段を登っていくことになりますが、苔むして実に雰囲気のある石段です。
山麓のひとけのない場所にある寺院ですから、聞こえてくるのは天吉寺川の勢いのある水の音と野鳥の囀りのみ。
手水は山から流れ出る水を引き込んでいるのでしょう。とても勢いよく流れ出る水です。
手水鉢も苔むしており、山麓の古寺ならではの光景が見られる。
大吉寺の御本尊の「聖観音菩薩立像」は、60年に一度の御開帳とされ、次回は2049年になるそうです。
別名「浮木観音」と呼ばれる御本尊の他には、「御前立聖観音立像」「阿弥陀如来立像」「地蔵菩薩立像」「元三大師坐像」「源頼朝像」などが祀られているというが、拝観には事前予約が必要。
本堂エリアから庫裡のエリアに戻り、「大吉寺庭園」へ入る。
苔の絨毯の上を歩くのが惜しく思いますが、迂回しては進めず、止む無く苔の上を歩かせてもらう。
「大吉寺庭園」は江戸元禄期に築造された枯山水庭園だといい、庭園の中心には三尊石組が組まれている。
三尊石組を阿弥陀三尊と考えると、中央に阿弥陀如来(170cm)、左脇侍の観音菩薩(63cm)・右脇侍の勢至菩薩(57cm)が苔の絨毯の上に祀られる。
方丈池の中の島には宝篋印経が祀られ、後方の石垣にも苔がびっしりと生えている。
大きな庭園ではないとはいえ、山麓のわずかな平面を利用して造園された庭は、杉の木立に囲まれて美しい。
庭園は、庫裡の縁側に座って眺める造りとなっており、庫裡は開いていないものの、庫裡側から庭園を楽しむ。
この庭園のある高台から道を挟んだ向かい側の山の斜面には、2本のスギが合体した巨樹が見えます。
環境省の「巨樹・巨木林データベース」によると、大吉寺には幹周が335~860m・樹高が26~46mあるスギが16本あるといいます。
それ以外にもカウントされていないスギが数えきれない数ありますので、広大なスギの森に囲まれて...としか言いようがありません。
また、そのスギは山に向かってどこまでも続いているように見え、おそらくは三桁の数のスギが林立している。
どのスギが最大のスギなのか分かりませんが、下のスギ2本はこの山でも大きい部類に入るスギだと思います。
総幹周が5mを越えれば巨樹でも大きい部類になりますが、先述のデータベースには、幹周が5m以上のスギが7本あります。
川辺には天吉寺川の清流にずり落ちそうになりながらも、持ち直して上へと伸びるたくましいスギの姿。
水が流れる音がこれほどまで山の中に響き渡るのかと驚くほど、水の勢いと水音が凄い。
大吉寺の建つ高台の下にある石段を登っていくと、鎮守社である「上之森神社」が祀られています。
鳥居の前には二股に株立したスギの巨樹が社の結界として立ちます。
凄まじい数のスギの大吉寺から林道沿いに麓へ降りる途中にある巨石です。
幾つかの巨石がある中で一番大きなものですが、特にお祀りはされていないようです。
ところで、大吉寺の頂上近くにあるという「大吉寺跡」は、急坂の多い登山道らしいので、そちらは諦めて巨石と落差10mという「釋神の滝」がある方向へ向かってみる。
しかし、途中の道が工事中で行き止まりとなっていて、滝への道が見つからず、諦めて引き返すことになりました。
<醍醐寺>
大吉寺から国道通りへ向かう途中に二股のスギの巨樹を見つけて立ち寄ってみる。
横に「醍醐寺」の石標がありましたので寺院の御霊木かと思ったのですが、実際の醍醐寺はここから車で数分はかかる集落の中にありますので、このスギと醍醐寺との関連は不明です。
このスギのサイズ等は不明ですが、目を引く巨樹であることは確かです。
太陽光がよく当たる側はスギらしい木肌をしており、日当たりのよくない側にはツタ属の葉がスギを覆うように生えていました。
「醍醐寺」は、役小角の開創と伝わり、1501年に根来寺の覚遍上人が真言宗新義の教風を宣し復興されたといいます。
往時は四十九坊を有した大寺院だったといい、伝 運慶作とされる「毘沙門天立像(鎌倉期・重文)」の他、「不動明王立像(伝 運慶作)」「大日如来坐像」などの仏像が伝わるといいます。
また、この醍醐寺の近くには縄文時代の「醍醐遺跡」があり、出土した土器からは他の地域の影響が伺えることから、縄文文化の東西の接点として栄えていたと言われています。
「醍醐遺跡」の付近には「塚原古墳群」が隣接しているといい、50基以上の古墳時代後期の群集墳が存在しているともいわれています。
余談ですが、大吉寺の林道を進む時にサンコウチョウの居そうな場所だと思っていた処、山の奥から微かに聞こえてきたのはアカショウビンの美しい声でした。
声のする山の方へと入って行ったのですが、声は遠いうえに、いつしか声は途絶えてしまい引き返すことに...。
先週は別の場所でサンコウチョウ。今週はアカショウビン。と声だけですが、夏の野鳥の声を聞けたのは嬉しく思います。
追記:アカショウビンには別の山で3回挑戦しましたが、撮影は叶わないままシーズンを終えることになりました。
第1回:上記動画。アカショウビンとの距離は近く、枝を移って飛ぶ姿は確認できたが、木の裏側に入ってしまい断念。
第2回:声はするが遠い。声がする方に行こうにも道が危なすぎて断念。
第3回:アカショウビンの声が聞こえない。 待っていたら出会いがしらに子熊に遭遇!距離は10mもありませんでした。
しばらく熊が姿を見せるのを待ったが、熊はすでに谷を下ってしまっており、姿は見えず。人と熊の活動範囲の近さに驚きます。
数年前に出会ったアカショウビン。
来シーズンに期待です...。
「金糞岳」と連なる「己高山(923m)」の西側には一大仏教圏が広がりますが、草野川流域にも歴史のある神社や寺院が今も残ります。
高山キャンプ場から下流に少し下ったところに「野瀬」集落はあり、そこには巨樹の寺院「大吉寺」があります。
草野川に流れ込む「天吉寺川」に沿って上流へ向かう道筋には植林された杉が林立し、また道の脇には幾つかの巨石が見られる。
「大吉寺」は、865年に創建された天台宗寺院だといい、「天吉寺山(918m)」の山頂付近に伽藍があったとされます。
また、平治の乱(1159年)の後、源頼朝が東国落ちした際、大吉寺にかくまわれて庇護を受けたとも伝わります。
室町時代には幕府の祈祷寺として保護を受けていたものの、戦国時代に入ると六角定頼の兵火(1525年)や織田信長の破却(1572年)などにより寺院は衰退してしまったといいます。
現在は、山麓の大吉寺(かつての子院)が遺存するのみとなり、山中に本堂跡・門跡・塔跡・鐘楼跡・入定窟・閼伽池・石階などが遺構として残されているようです。
山門から入山すると庫裡があり、苔の美しい「大吉寺庭園」がある。
山門の対面には句碑が刻まれた石と剥き出しの岩肌が見え、少し先には大吉寺の開山である安然上人を祀る「安然上人堂」の祠がある。
本堂へは更に石段を登っていくことになりますが、苔むして実に雰囲気のある石段です。
山麓のひとけのない場所にある寺院ですから、聞こえてくるのは天吉寺川の勢いのある水の音と野鳥の囀りのみ。
手水は山から流れ出る水を引き込んでいるのでしょう。とても勢いよく流れ出る水です。
手水鉢も苔むしており、山麓の古寺ならではの光景が見られる。
大吉寺の御本尊の「聖観音菩薩立像」は、60年に一度の御開帳とされ、次回は2049年になるそうです。
別名「浮木観音」と呼ばれる御本尊の他には、「御前立聖観音立像」「阿弥陀如来立像」「地蔵菩薩立像」「元三大師坐像」「源頼朝像」などが祀られているというが、拝観には事前予約が必要。
本堂エリアから庫裡のエリアに戻り、「大吉寺庭園」へ入る。
苔の絨毯の上を歩くのが惜しく思いますが、迂回しては進めず、止む無く苔の上を歩かせてもらう。
「大吉寺庭園」は江戸元禄期に築造された枯山水庭園だといい、庭園の中心には三尊石組が組まれている。
三尊石組を阿弥陀三尊と考えると、中央に阿弥陀如来(170cm)、左脇侍の観音菩薩(63cm)・右脇侍の勢至菩薩(57cm)が苔の絨毯の上に祀られる。
方丈池の中の島には宝篋印経が祀られ、後方の石垣にも苔がびっしりと生えている。
大きな庭園ではないとはいえ、山麓のわずかな平面を利用して造園された庭は、杉の木立に囲まれて美しい。
庭園は、庫裡の縁側に座って眺める造りとなっており、庫裡は開いていないものの、庫裡側から庭園を楽しむ。
この庭園のある高台から道を挟んだ向かい側の山の斜面には、2本のスギが合体した巨樹が見えます。
環境省の「巨樹・巨木林データベース」によると、大吉寺には幹周が335~860m・樹高が26~46mあるスギが16本あるといいます。
それ以外にもカウントされていないスギが数えきれない数ありますので、広大なスギの森に囲まれて...としか言いようがありません。
また、そのスギは山に向かってどこまでも続いているように見え、おそらくは三桁の数のスギが林立している。
どのスギが最大のスギなのか分かりませんが、下のスギ2本はこの山でも大きい部類に入るスギだと思います。
総幹周が5mを越えれば巨樹でも大きい部類になりますが、先述のデータベースには、幹周が5m以上のスギが7本あります。
川辺には天吉寺川の清流にずり落ちそうになりながらも、持ち直して上へと伸びるたくましいスギの姿。
水が流れる音がこれほどまで山の中に響き渡るのかと驚くほど、水の勢いと水音が凄い。
大吉寺の建つ高台の下にある石段を登っていくと、鎮守社である「上之森神社」が祀られています。
鳥居の前には二股に株立したスギの巨樹が社の結界として立ちます。
凄まじい数のスギの大吉寺から林道沿いに麓へ降りる途中にある巨石です。
幾つかの巨石がある中で一番大きなものですが、特にお祀りはされていないようです。
ところで、大吉寺の頂上近くにあるという「大吉寺跡」は、急坂の多い登山道らしいので、そちらは諦めて巨石と落差10mという「釋神の滝」がある方向へ向かってみる。
しかし、途中の道が工事中で行き止まりとなっていて、滝への道が見つからず、諦めて引き返すことになりました。
<醍醐寺>
大吉寺から国道通りへ向かう途中に二股のスギの巨樹を見つけて立ち寄ってみる。
横に「醍醐寺」の石標がありましたので寺院の御霊木かと思ったのですが、実際の醍醐寺はここから車で数分はかかる集落の中にありますので、このスギと醍醐寺との関連は不明です。
このスギのサイズ等は不明ですが、目を引く巨樹であることは確かです。
太陽光がよく当たる側はスギらしい木肌をしており、日当たりのよくない側にはツタ属の葉がスギを覆うように生えていました。
「醍醐寺」は、役小角の開創と伝わり、1501年に根来寺の覚遍上人が真言宗新義の教風を宣し復興されたといいます。
往時は四十九坊を有した大寺院だったといい、伝 運慶作とされる「毘沙門天立像(鎌倉期・重文)」の他、「不動明王立像(伝 運慶作)」「大日如来坐像」などの仏像が伝わるといいます。
また、この醍醐寺の近くには縄文時代の「醍醐遺跡」があり、出土した土器からは他の地域の影響が伺えることから、縄文文化の東西の接点として栄えていたと言われています。
「醍醐遺跡」の付近には「塚原古墳群」が隣接しているといい、50基以上の古墳時代後期の群集墳が存在しているともいわれています。
余談ですが、大吉寺の林道を進む時にサンコウチョウの居そうな場所だと思っていた処、山の奥から微かに聞こえてきたのはアカショウビンの美しい声でした。
声のする山の方へと入って行ったのですが、声は遠いうえに、いつしか声は途絶えてしまい引き返すことに...。
先週は別の場所でサンコウチョウ。今週はアカショウビン。と声だけですが、夏の野鳥の声を聞けたのは嬉しく思います。
追記:アカショウビンには別の山で3回挑戦しましたが、撮影は叶わないままシーズンを終えることになりました。
第1回:上記動画。アカショウビンとの距離は近く、枝を移って飛ぶ姿は確認できたが、木の裏側に入ってしまい断念。
第2回:声はするが遠い。声がする方に行こうにも道が危なすぎて断念。
第3回:アカショウビンの声が聞こえない。 待っていたら出会いがしらに子熊に遭遇!距離は10mもありませんでした。
しばらく熊が姿を見せるのを待ったが、熊はすでに谷を下ってしまっており、姿は見えず。人と熊の活動範囲の近さに驚きます。
数年前に出会ったアカショウビン。
来シーズンに期待です...。