僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

近江八幡市(西の湖の水郷)の勧請縄を巡る!~白王町「若宮神社」・中之島町「天之御中主命神社」~

2024-01-28 18:50:50 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 勧請縄とは村境や神社の参道や鳥居に呪物を付した縄を張る伝統行事で、道切りと呼ばれることもあります。
滋賀県では一部の例外を除いては湖東・湖南地方にのみ見られ、地域による傾向はあるものの2つとして同じものがない個性豊かなものとなっています。

年初に勧請縄を掛けるのは、村内安全・五穀豊穣・疫病退散・子孫繁栄などを祈念してのものですが、高齢化による廃止や簡略化で勧請縄が減ってきています。
資料では確認出来た勧請縄や前回訪れた時にはあった勧請縄がなくなっているケースは多々あり、探し始めてからたった4年の間でも大きな変化があります。



白王町白部の「若宮神社」は集落の外れの山側にある神社で、この神社を含む西の湖の水郷近くには5カ所の勧請縄が存在していたという。
2カ所は見つけ、1カ所は廃止になったことを確認、場所が分からなかったのが2カ所です。



神社の勧請縄は正面の鳥居に掛けられている場合もありますが、石段の上の高い場所に掛けられている場合があります。
石段の上の高いに吊るされている場合だと、視界から外れてしまいますので普通に歩いていると見落しまいます。

トリクグラズはヒノキの枝で円を形どり、3本の御幣を立てて、主縄の中央部の下に7本の小縄を下げている。
勧請縄は1月の前半までに吊るされることが多いので、まだ葉が青々しく御幣の紙も綺麗な状態です。



近江八幡市白王町には「若宮神社」が2つあり、訪れたのは白部村の若宮神社で御祭神に大國主神を祀ります。
もうひとつの若宮神社は王浜村にあるといい、そちらの若宮神社は御祭神に「惟喬親王」を祀っているのだといいます。
惟喬親王は「木地師の祖」とされ、東近江市の小椋谷(君ヶ畑・蛭谷・箕川・黄和田・九居瀬・政所)や愛知川沿いや多賀町に伝説が残ります。

近江八幡での伝説は、『当時この辺りは葦原で寂しい孤島であったが、惟喬親王の船が京から遁れてきてこの地に隠れ住んだ。
岩屋に住まわれた親王は郁子(むべ)を常食として過ごされていたといい、村人に手芸や細工などを教えられた。』(近江八幡ふるさとの昔ばなし)
奇しくも同じ地域にある「大嶋奥津島神社」には天智天皇と郁子(むべ)の伝説が残り、「むべなるかな」の由来となっているのは実に興味深い。



次も西の湖水郷近くの「圓山神社」ですが、ここは2年前に訪れた時に既に勧請縄はなくなっていた神社です。
この日は祭典の日で、正装した氏子の方が続々とお見えになり、やや堅苦しく感じるなか目立たないように参拝しました。



長い石段は最初は緩やかながら段々と急になっていきます。
途中で休憩されていた氏子の方に“もう勧請縄はないのですか?”と聞くと、“材料の藁が集めにくくなり、そもそも人手が集められない。”
と他村でもある悩ましい問題によって行事が維持出来なくなってしまい、3年前に勧請縄は廃止して化学繊維の注連縄に変えたとのことでした。



石段の中段には「寶珠寺」の本堂があり、重要文化財の「毘沙門天立像」が祀られており、御堂は景観重要建造物に指定されているそうです。
天台宗の寺院とありますので、かつてこの山は圓山神社の磐座を中心とする神仏習合の山だったと思われます。



「圓山神社」は御祭神に農耕の神である「天津彦火瓊瓊杵尊」を祀り、境内社として「祇園神社」「津島神社」「愛宕神社」「行事神社」を祀る。
驚くのは本殿の後方にある巨大な磐座で、この磐座を中心として信仰されてきたのが伺われます。



氏子の方に近くに勧請縄を吊るしているところはないか聞いてみたところ“「大嶋奥津島神社」へ行ってみたらどうか”と教えてもらいました。
「大嶋奥津島神社」は、大国主神を御祭神とする「大嶋神社」と奥津比賣命を御祭神とする「奥津島神社」が合祀された神社です。



拝殿・本殿は有名な神社に参拝したような立派な造りとなっていて驚くような大きな規模の神社です。
境内に「むべ」を育てている一画があり不思議に思っていましたが、これには天智天皇と郁子(むべ)の伝説があります。

天智天皇が蒲生野へ狩猟に訪れた際に奥津嶋神社に立ち寄った際、健康的な老夫婦に会ったという。
天智天皇はこの夫婦に長寿の秘訣をお尋ねになると「これを食べているからです。」と答えられ、郁子を手渡される。

その果物を一口お召し上がりになった天智天皇は「むべなるかな(もっともであるな)」と仰せになり、この果実の名前となったと伝わります。
近江八幡の郁子の皇室献上は天智天皇に始まり、一時中断したものの2002年から大嶋奥津嶋神社の郁子は皇室に献上されているとのことです。



次に西の湖水郷近くの勧請縄の2つ目を探しに「天之御中主尊神社」へ参拝します。
天之御中主尊は後方にある長命寺山や津田山の山頂付近に磐座(神社の奥宮)があり、この山は何度も登りに来た山で別の意味で馴染み深い。

長命寺山~空奏テラス~津田山は巨石群や磐座が多く、お気に入りの山登りコースですが、里宮は一度参拝したのみでした。
鳥居の付近は普通の村社といった感じですが、途中にある石段から先は立派な造りの神社となっています。



石段を登り切って本殿まで行ったものの、勧請縄が見つからないと思いきや、石段の上の高い所に吊るされているのを発見。
石段の途中で立ち止まって写真を撮っている当方を、後から降りてきた人が不思議がっていましたが、勧請縄を発見して“あっ天狗!”と驚いておられました。





トリクグラズは樫の木で大きな四角形を作り、中に✖を入れて真ん中に天狗の鼻のように突き出した部分を造っています。
“あっ天狗!”と声を上げられた方の感じ方が理解できますね。
小縄は下げられていないのですが、境内の灯籠などすべてに小縄が付けられています。



龍の吐水で身を清めて本殿に参拝します。
社務所や拝殿には由緒書きや絵馬、龍の描かれた色紙や御朱印が並びます。
色紙は手書きと思われますが、宮司さんの手書きのようですので、絵心たっぷりの宮司さんのようです。



本殿はやや小ぶりな造りとなっており、境内社は伊勢神宮・多賀大社・大嶋神社の3社。
これで山麓の里宮・山頂の奥宮の両方に参拝することができました。



拝殿の横では世話方の方が何やら準備中で、葦を組んで蔓で固定した板状のところに的を取り付けられています。
1月7日にあった古式弓取り式があったが的が穴だらけになったので張り替えているとのことでした。
手作りの弓矢が置いてあり、まずは世話方の方にお手本を見せて頂きます。



では今年の開運を祈念して弓を射りますが、凄くプレッシャーを感じます。
おみくじなんかだと何が出るか他力本願の部分がありますが、これは自分の手で弓を射りますので自力本願で、外れた時のショックは大きい。



エイ!とばかりに矢を射ると、一番外側の黒いエリア(下側やや右)に刺さった!
ギリギリだけど微妙に開運の兆しありか?
現実的にビッグウエイブの大きな運気の波に乗れるとは想定できませんが、ちょっとした幸運には恵まれる年になるのかな?


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「藤ヶ崎神社」と「妙得龍王神社」~滋賀県近江八幡市~

2024-01-20 16:30:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 2024年は辰年ということながら、辰(龍)にまつわる場所に訪れるのはこの日が最初になりました。
龍王は水の化身とされ、農耕に必要な水を求める雨乞い神事に祀られたり、河川の氾濫の防止を祈念するなど水の神様とされます。

滋賀県の山中には雨乞い神事を行ったとされる場所や龍王・八大龍王を祀る祠がありますが、まずは車で行ける龍王さまに参拝しました。
「藤ヶ崎神社」は琵琶湖に面した岩場に「藤ヶ崎龍神」を祀り、後方の巨大な岩の間に「妙得龍神」を祀る「妙得龍王神社」があります。



分かりにくい分岐から細い道を進んで行くと琵琶湖に突き出すように岩場があり、注連縄が掛かった磐座や真っ赤な鳥居が見えてきます。
琵琶湖はベタ凪で穏やかで波ひとつなく、対岸方向には積雪した比良山系のある美しい湖西の山々が望めます。



赤い鳥居の先には磐座。
その向こうには琵琶湖が広がり、大岩の前に祀られた祠はまさに龍神の宿る場所の雰囲気があります。



「藤ヶ崎龍神社」は、藤原藤太秀郷が平将門の追討に向かう際、瀬田の唐橋で大蛇に化けた龍神の願いを聞き、三上山の大百足を退治したという伝承に始まる。
藤原藤太は龍神に招待され、暫しの滞在を要請されるが、追討の任のため辞退したところ、藤原の一字をもらい、この地を藤崎と名づけ山麓の洞を龍神の妻の別宅とした。
( Wikipedia)



大岩群の中の上部にある2つの大岩には注連縄が掛けられて磐座として祀られています。
山麓側が切り立った岩場になっているため、切り落ちた岩が集まったのか、切り出したのか、龍神を祀るために周囲の大岩を集めたのか。





積み重なった磐座の先には長命寺山(330m)や津田山(425m)があり、対比するような位置にあります。
琵琶湖唯一の有人島の沖島も見えますが、その先には高島市の「白髭神社」のある方向になる。
神社などが向いている方向は、無作為に建てられたものではなく意図があるとよく言われていて、線で結んでいくと何か意味を見出せるかもしれませんね。



「藤ヶ崎龍神社」には穏やかな天候の日にしか訪れたことはありませんが、龍神信仰のピリッとした空気感と心地よさが感じられる場所で好きな場所です。
琵琶湖をはさんで、降雪した湖西の山々と雪が全くない湖東の低山の対比も面白く、緩やかな時間が流れています。



湖岸に突き出た「藤ヶ崎龍神社」とは真逆に「妙得龍王神社」は切り立った絶壁にぽっかりと開いた洞窟の中に祀られています。
由緒では琵琶湖に面した大岩には龍神が宿り、山麓の洞窟の中には龍神の妻が祀られているといいます。



洞窟は通常は扉で塞がれていますが、参拝する人は扉を外してお参りすることが出来ます。
琵琶湖側の龍神社とほんの十数mはさんだ真っ暗な洞に龍や白蛇が祀られているのは少し違和感や怖さを感じがします。



洞の中には小さな祠が祀られ、白蛇と龍の置物が祀られており、ここで2024年辰年の安寧を祈願します。
「藤ヶ崎神社」と「妙得龍王神社」を内宮・外宮とされることがありますが、2社は「五社神社」の境外社で、合わせて「藤ヶ崎龍神社」と呼ぶのは暗黙の承認だそうです。



「妙得龍王神社」の横にも龍神が祀られている場所があり、白い砂利がひかれていてここにも龍神が宿るようです。
湖東地方には「湖東流紋岩」の地質が多くみられるといい、藤ヶ崎が該当するかは不明ながら、ここにも湖東特有の岩場がみられます。
(流紋岩:溶岩が地表近くで急に冷えて固まってできた岩)



参拝を終えて「藤ヶ崎龍神社」を後にしますが、ベタ凪の琵琶湖は穏やかに包み込むような優しさがあります。
右側に見えている沖島には上陸したことがなく、琵琶湖にある4つの島のうち竹生島にしか行っていないので一度は訪れてみたいですね。




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「あのベンチ」を探して!~彦根市 琵琶湖の畔~

2024-01-14 16:55:55 | 風景・イベント・グルメ
 NHKの『ドキュメント72時間』という番組で、彦根市の琵琶湖の湖畔のベンチが「琵琶湖畔 あのベンチで」というタイトルで取り上げられていました。
SNSなどでは有名なスポットだそうで、「あのベンチ」と呼ばれるベンチのある場所へ訪れる人が多いそうです。

番組では72時間の間に訪れる人の話を聞いて番組が構成されていましたが、たった一つのベンチを巡っていろいろな人のドラマが語られていました。
訪れる人は犬の散歩がてら立ち寄った人や週または月に何度か訪れる人。ビワイチの方やツーリングの方、遠方からわざわざや訪れる人など様々。



ベンチは琵琶湖を前にしたセンダンの木の下にある何の変哲もないベンチです。
しかし、訪れる人の想いや背景にあるものは様々で、琵琶湖を前に自分を見つめ直したり、癒されたりの場所としても描かれる。



放送では多くの方々が訪れている様子が映し出されており、放送の翌日ということもあって人で溢れているかと思いきや、到着した時は当方だけでした。
小雨で人が動きにくかったこともあったと思いますが、運よく太陽の光が差してきた時間帯でもありました。



琵琶湖の北の方には琵琶湖沿いに車を停めて座れるベンチが何ヶ所かありますが、孤独感が強すぎて寂しくなる場所がよくあります。
その点、ここは琵琶湖横の集落の間を通る旧道沿いにありながらも、一人になれる場所で、人とのほど良い距離感が感じられる場所です。



冬の夕日は南側に沈むということでこの方向に夕日は沈みますが、この曇り空では夕日は期待できそうにないですね。
「あのベンチ」の正面やや右には多景島、左には沖島があり、霞む対岸は天気が良ければ高島市や比良山系が望めそう。



湖岸には「近江湖の辺の道」の標柱が立てられており、「近江湖の辺の道」は湖西の近江舞子から近江八幡国民休暇村までの遊歩道だといいます。
全長140㌔の道は湖辺の自然や文化遺産を効率的に結ぶ遊歩道で、「環びわ湖周遊自然歩道」とも呼ばれているようです。



ところで、湖周道路には以前から気になっていた看板があり、ちょうどいい位置で信号待ちとなりましたので記念にパチリ!
『めっちゃ おもろい動物園』は甲賀市水口町にある室内動物園ですが、《近江八幡駅から徒歩3時間52分》って、歩いて行く人いるのでしょうか?



話を戻すと、以前は「あのベンチ」は琵琶湖岸を走るライダーたちの間で秘密の場所だったそうです。
今は“映えスポット”として有名になっていますが、「あのベンチ」に訪れる人にはいろいろな想いがあるようです。
言い方を変えると、人それぞれが抱える背景や想いを「あのベンチ」から垣間見たようにも感じます。

<追記>
翌朝、雲一つない青空に導かれて、もう一度「あのベンチ」へ行ってみました。
朝の琵琶湖の美しさには、いろいろなことから救われる気分になりますね。






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令和六年の「長濱十日戎(えべっさん)」~長浜豊国神社・長浜恵比寿宮~

2024-01-10 20:52:25 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 「商売繁盛で笹もってこ〜い♪」の音色とともに、長浜豊国神社(長浜恵比寿宮)では“十日戎(えべっさん)”にお詣りする方でにぎわっています。
「長浜豊国神社」は長浜城主だった豊臣秀吉が当地を納めていたことにより、秀吉の逝去後に長浜豊国神社で秀吉を神として祀ったことに始まるという。

しかし、時は江戸時代の徳川の世となり、太閤秀吉を神格化することはできず、社は取り壊されて御神像は町役人十人衆が隠して祀っていたといいます。
一計を案じた町衆は1793年、彦根藩に長浜恵比寿宮の建立の許可を受け、恵比寿様を表に祀り裏では太閤秀吉を祀っていたとされます。



豊国神社として太閤秀吉を堂々と祀ることが出来るようになったのは大正になってからといいますから、神となった秀吉は永い年月隠されて祀られていたことになります。
秀吉が長浜城主だったのは約10年ほどにも関わらず、秀吉ゆかりの「長浜曳山祭り」が行われ、今も秀吉とつながりの深い町になっているのは興味深い話です。



鳥居の外に掛けられた大きな絵馬には「出世開運・商売繁盛」の言葉と共に龍に跨る秀吉の雄姿が描かれており、まさに勝運登り龍の姿です。
黄昏時の豊国神社の鳥居の中には大勢の姿が見えますが、時間的に仕事帰りに家族を連れて参拝されている方が多かったのではないでしょうか。



奉納された提灯にも灯りがともり、拝殿から参拝する人の横で巫女さんが神楽鈴を鳴らして邪鬼を祓い清めていただけます。
当方も邪鬼を祓って運を掴みたいと邪念に近いものを抱きつつ、神妙にお祈りしました。



写真は参拝者が途切れた時に撮ったものですが、実際にお参りした時は長い行列でした。
行列が長くなったのは拝殿でお参りする人それぞれが要する時間が長かったこと。
長い時間を要してお祈りしたいほど切羽詰まった世相になっているのだと感じました。



豊国神社に参拝して横にある長浜恵比寿宮へ歩いて行くと秀吉の銅像がありました。
この1年の間に奉納されたのでしょうか、あるいはこれまで気付かなかったのか。



鯛や熊笹を持ちながら刀には金色の米俵。
老けたように見えるが、まだ若々しいはずの秀吉。肩に掛けた法被がいかしてるよ。



豊国神社と恵比寿宮の両方にお参りしましたので、冷えた体を温めたくなってふるまいの甘酒を頂きます。
大きな釜で作られた甘酒はとても濃厚な味で、お好みで入れることの出来るショウガで体が温まります。



そうこうしているうちに恒例の福餅まきの時間がやってきました。
久しぶりに福餅を掴み取ることは出来るでしょうか?



最初に飛んできた餅を掴んだら、なんと福のシールが貼られた福餅でした。
今年はもしかしたら福に恵まれるのかと淡い期待を抱いてしまいそうですね。



最初に掴んだ餅が福餅で気を良くしたのか、届く範囲に飛んでくる餅や鯛形の蒲鉾がすんなりと手中に納まります。
福餅は「おたね福銭」と交換してもらえるのですが、これは久しぶりでした。
後で確認したら福餅がもう一個ありましたので、福は気付かないところから訪れるということか。



祭典の間中はお焚き上げをされていますが、残戎の時はもっと燃え盛るのだと思います。
火を見ながら、些細な事に悩んだりする気持ちを燃やし尽くして欲しいと煙にムセながら炎を眺めておりました。




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