宮内地区を通る中世の石州道は上平良地区から折敷畑山の南麓横道山を横切って黒折地区に至る横道といわれる道であった。
現在も中電の管理道として使用されているために通行は可能であるが、黒折地区に近い部分は山林化して通行は出来ないようである。自動車が無いころに明石地区からこの道を通って上平良地区に来ていたと親戚の人から聞いたことがあり、このころまで通行されていたようである。
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