洞雲寺の東墓地にある桜尾城主であった桂元澄夫妻の墓碑で、左側の桂元澄墓碑には「南無阿 大江元澄 弥陀仏」と刻銘がみられる。桂元澄は桜尾城に約15年在城し永禄12年(1569)に没して当寺に葬られた。右側の桂元澄妻の墓碑には「慶長弐〇丁酉 一月正輪大姉 〇〇春廿七日」とあり、御妻志道上野介広良女の墓とみられるのである。この墓碑は大正期以前には西墓地にあったようである。
洞雲寺の東墓地にある桜尾城主であった桂元澄夫妻の墓碑で、左側の桂元澄墓碑には「南無阿 大江元澄 弥陀仏」と刻銘がみられる。桂元澄は桜尾城に約15年在城し永禄12年(1569)に没して当寺に葬られた。右側の桂元澄妻の墓碑には「慶長弐〇丁酉 一月正輪大姉 〇〇春廿七日」とあり、御妻志道上野介広良女の墓とみられるのである。この墓碑は大正期以前には西墓地にあったようである。