地御前地区の稲荷神社石段下に置かれている樋門石で、文政10年以降(1827~)の地御前村絵図で稲荷神社前付近に樋門が描かれておりその樋門の遺構ではなかろうか。看板表示には南蛮樋とあるが唐樋であったものか南蛮樋であったのか不明であり、樋門のどこの部位のものかも定かでない。
地御前地区の稲荷神社石段下に置かれている樋門石で、文政10年以降(1827~)の地御前村絵図で稲荷神社前付近に樋門が描かれておりその樋門の遺構ではなかろうか。看板表示には南蛮樋とあるが唐樋であったものか南蛮樋であったのか不明であり、樋門のどこの部位のものかも定かでない。
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