明治末期ごろ大元公園にあった旅館の白雲洞で絵葉書画像と明治34年(1901)発行の山陽鉄道案内の広告、明治35年(1902)発行の嚴島名所絵図である。画像を見ると大元川沿いに建てられていたようであり、厳島写真帖(明治38年発行)によると「大元川は・・・白雲洞の西側を抄めて海にそそぐ・・・奇橋亭榭この間に散在して趣を添へ、以て東西の遊客を迎るものを旅館白雲洞とす」とある。料亭旅館の白雲洞は明治中頃に当町の住人能美庄五郎が開業し、明治39年(1906)に神戸のミカドに買収されたようである。
明治末期ごろ大元公園にあった旅館の白雲洞で絵葉書画像と明治34年(1901)発行の山陽鉄道案内の広告、明治35年(1902)発行の嚴島名所絵図である。画像を見ると大元川沿いに建てられていたようであり、厳島写真帖(明治38年発行)によると「大元川は・・・白雲洞の西側を抄めて海にそそぐ・・・奇橋亭榭この間に散在して趣を添へ、以て東西の遊客を迎るものを旅館白雲洞とす」とある。料亭旅館の白雲洞は明治中頃に当町の住人能美庄五郎が開業し、明治39年(1906)に神戸のミカドに買収されたようである。
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