中世、当市の洞雲寺と深い関りのあった山口市の瑠璃光寺を参詣した。前回訪れた時には外国人が多くごった返していたが、今回コロナの影響で3~4人の参詣者しかみられなかった。洞雲寺の開山である金岡用兼は周南市長穂にある龍文寺(陶氏の菩提寺)の大庵須益・為宗仲心に師事していた。長享元年(一四八七)に厳島神主藤原教親は龍文寺の金岡用兼を招いて洞雲寺を開いている。
瑠璃光寺にある正法眼蔵は龍文寺で金岡用兼の侍者(金岡用兼に仕えた僧)が書写したものが洞雲寺に伝えられていたもので、洞雲寺住持の遷化にあたり瑠璃光寺の悟宗圭頓が秉炬師を勤めた謝礼として享禄2年(1529)に洞雲寺から瑠璃光寺に寄贈されたようである。(正法眼蔵画像-山口県文化財総覧より)
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