①画像
②画像
③画像
④画像
⑤画像
昨日紹介した芸藩通志の古器図にみられる鰐口釜は茶の湯の隆盛時代に芦屋釜・天明釜などと同様に廿日市の鋳物師が量産していたものとみられるのである。
当ブログ主は遥か昔に②画像と③画像の鰐口釜を拝見したことがあるが、この二口の銘文の位置が少しずれていた。④画像は茶道文庫2「釜」に、⑤画像は廿日市の文化第8集に掲載されていたものであり、相当以前の情報であるが4口の同様の鰐口釜が確認できたのである。
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