hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

カトリオーナ・マッケイのスコティッシュ・ハープを聴く

2009年12月12日 | 趣味

カトリオーナ・マッケイは、スコティッシュ・ハープを抱えて、スリムな長身を跳ねるように登場。身体にぴったりの銀ラメのミニのスーツに、黒いタイツ。真っ赤な太いベルトが印象的だ。黒髪には赤い髪飾り、そしてもちろん、お定まりの美人。

私などには、ハープというとお琴のようにひそやかで、ゆったりとした妙なる調べというイメージがあった。カトリオーナの弾く曲には、もちろん、しみじみした曲もあったが、激しいリズムの曲も、踊るような楽しい曲もあり、ハープはなかなか幅広い楽器だと再認識した。

途中から、「ハンサムなゲスト」としてデュオの相棒でもあるクリス・スタウトが紹介され、以降、フィドル*との合奏となった。
*:フィドルfiddle とは、民族音楽で使われるヴァイオリンで、奏者がフィドラー

曲により、フィドルは、歌うようなメロデイがなく、ただ、ギーコギーコ(表現が悪いが)していて、ハープの音が消されてしまう。しかし、途中でフィドルが哀切なスコットランド民謡らしき曲を奏でたときは、切々としたメロデイにハープの音がよくあっていた。

アンコール2曲目、スコットランド民謡の蛍の光で幕となった。



カトリオーナ・マッケイ Catriona Mackay は、イギリス・スコットランドで、伝統音楽家を父として生まれ、王立ノーザン音楽大学でスコティッシュ・ハープ (ケルティック・ハープとも言う) とグランド・ハープを専攻。ソロのほか、フィドラーのクリス・スタウトとデュオを結成し、ヨーロッパを中心に活躍。「フィドラーズ・ビド」のメンバーとしても活動し、キーボードも弾く。

また、彼女の公式HP(英語)をのぞくと、「伝統音楽家であるが、フォーク、ジャズ、クラシックなどとコラボレーションし、またチューニング・パターンを変えられる新しいハープ(STARFISH)を共同設計するなど実験的芸術家でもある」と書いてある。実際、今回の演奏中も、何回も上部のスイッチらしきものを煩雑に切り替えることがあった。このハープがおそらく新開発のものだろう。また、弱音でかすかに弦をはじくとき、携帯扇風機らしきものをセットして弦に風を送っているように見えた。


彼女の長い指とご尊顔を拝みたい方はYouTubeの"SWAN LK 243" - Catriona MacKay 」を。


同じYouTubeのFiddlers˚ Bid - 'Fezeka's' - Acoustic concert in Shetland 2007!を見ると、観客が手拍子を打っていて、いかにも伝統音楽を楽しんでいる感じがする。彼女のハープのソロの部分も楽しげだ。今回の演奏でも、クリス・スタウトはフィドルを演奏しながらかなりな音を出して足で拍子をとっていた。






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チェコ・フィルの田園、新世界を聴く

2009年11月28日 | 趣味

ブロムシュテット指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を聴いた。
曲目
ベートーヴェン・交響曲第6番「田園」
ドヴォルザーク・交響曲第9番「新世界より」
アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第一番

特にクラシックファンでもない私でもお馴染みの「新世界より」で、チェコ・フィル、8千円、歩いて数分ということで、6月に予約した。
誘われたうたい文句は、
「東京公演の最高席は2万5千円、武蔵野(友の会)なら8千円」「武蔵野市民文化会館の大ホールは1350席と都内大ホールに比べ小さく、全席1万7千円でも赤字になるところ、13年間の長い交渉を得て、今回の激安価格が実現」


同じように、安くて、歩いて数分にひかれ、次々コンサートを申込んだが、10月末に引越してしまい、先週と今週で3回、1時間近くかけて武蔵野市民文化会館へ通った。

席は前から数番目で下から楽団を見上げるのは今までもときどきあった。しかし、横も右から数番目で、どういうわけか今までは左側の席が多いので、席に斜めに座って左を見るのは苦しかった。

田園は穏やかな部分はあくまで優しく、情熱的な部分は激しく、生の交響楽団はまったく迫力が違うと思った。なにしろ、相次ぐ引越しで、コンポを捨ててしまったので、普段はノートパソコンの小さなスピーカーで音楽を聴いているもので。

新世界は、お馴染みだけに、より楽しめた。見事に統制のとれた、重厚な音が全身に覆いかぶさる。おなじみのテーマに身体がゆれる。それにしても、フォルテになったときのすさまじい音響は。しかも、きちんとコントロールされている。

大学のオケでチェロを弾く友人が、「普段は間違うとやばいから、まともに音を出せないのに、フォルテになれば、多少の違いは分からないぞと、ここぞとばかり思いっきり弾くんだ」と言っていたのを思い出した。プロのしかもチェコ・フィルだ。イングリッシュ・ホルンの甘いソロになっても、ハラハラせずに安心して心をゆだねられる。

ハンガリー舞曲第一番はいつもアンコールでやっているのだろう、すばらしい速さで一気に弾ききった。おなじみの軽やかなメロディーに踊り出しそう。
ご機嫌な夜だった。

指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt)は、ドレスデン、サンフランシスコ交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの首席指揮者を務め、現在、バンベルク交響楽団とNHK交響楽団の名誉指揮者でもある。
姿勢よく大股であるく姿は1927年生まれの82歳とは思えない。指揮は、大きな素振りもなく熱情的ではなく地味だが、的確でテンポ良い。
ウィキペディアによると、宗教上の理由による徹底した菜食主義者だそうだ。
・・・肉だけでなく動物の関わる食材を使用しているものは口にしない。NHK交響楽団の来演に際しNHKは昼食に蕎麦を出したが、蕎麦つゆは鰹を出汁にしたものであると知ったブロムシュテットは麺だけしか食べなかったというエピソードがある。




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シャニ・ディリュカのショバン、ベートーヴェンを聴く

2009年11月21日 | 趣味

武蔵野市民文化会館小ホールでシャニ・ディリュカのピアノを聴いた。シャニ・ディリュカはすごい!何と言ってもパワフルだが、弱音も甘く美しい。

曲目は、
ショパンのノクターン第1・3・21・4・9番
ショパンのワルツ19番、6番(子犬のワルツ)と4番
ショパンのバラード第4番

メンデルスゾーンの幻想曲(スコットランド・ソナタ)
メンデルスゾーンの無言歌集(甘い思い出、失われた幻影、紡ぎ歌)

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情(アパショナータ)」

アンコールは、グリークのトロールの行進とアリエッタ



ショパンの8曲をほとんど休まずに、一気に弾ききった。ショパンのバラード第4番は、ショパンの中でも、最も演奏困難とされているらしいが、超絶技巧で、見事な音色で見事に弾いた。

ベートーヴェンの熱情は、ベートーヴェンの三大ピアノソナタの1つで、燃えるような激しい感情と隙のない音楽的構成から、最高傑作の中のひとつと言われているらしい。エネルギッシュなシャニ・ディリュカにぴったりの曲で、1,3,4楽章の衝撃的な強音も鋭く、さわやかに爆発し、第2楽章の甘美なテーマも一転なだらかで心地よかった。



シャニ・ディリュカShani Dilukaは、スリランカ出身の両親のもと、1976年にモナコで生まれた。フランス国内の音楽祭の他、世界各地で演奏活動を行っている。この世代の最もすぐれたピアニストの一人。
コントロールされた有り余るパワー、強音でピアノは激しく歌い、響く。弱音は甘く美しい。もう既に感動もので、一流のピアニストだが、さらに超一流になるには、多くのキャリアを踏んで、そしてもうひと化けしないといけないのだろう。何が加わればよいのか、私にはまったくわからないが。



昨日のジュリアード弦楽四重奏団に続き、二日連続のクラシックは初めてだ。昨日は60代以上の人が圧倒的だったが、今日は女性ピアニストのショパンのせいか、20代の女性もチラホラ。
それにしても、千円(会員900円)は安い。前の住所のように歩いて数分なら気楽に通えたのだが。


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ジュリアード弦楽四重奏団を聴く

2009年11月20日 | 趣味

ジュリアード弦楽四重奏団のメンデルスゾーンや、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いた。武蔵野市民文化会館の470席と小ぶりな小ホールだ。
曲目は、
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第一番
マリオ・ダヴィドフスキの弦楽四重奏曲第五番
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番

安定感あり、同時に気楽そうな演奏ぶりで、やはりカルテットはゆったりと楽しめると思った。交響楽団や、独奏ばかり目立つが、お抱え音楽家の演奏を身近で楽しむ王様気分はカルテットでなければ。
「残響2.2秒の小ホールで至福と一夜を」と宣伝されたが、多分、音響も良かったのだろう。


ジュリアード弦楽四重奏団(Juilliard String Quartet)は、アメリカニューヨークのジュリアード音楽院の校長だった作曲家ウィリアム・シューマンの提唱により、ジュリアード音楽院の教授らによって1946年に結成された弦楽四重奏団で、メンバーは以下。
? 第1ヴァイオリン 2009年 - ニック・エーネット(ニコラス・イーネットNicholas Eanet) :8歳でニューヨークフィルと競演した。メトロポリタン歌劇場のコンサートマスターで、30代なかば。
? 第2ヴァイオリン1997年 - ロナルド・コープス(Ronald Copes)
? ヴィオラ1969年 - サミュエル・ローズ(Samuel Rhodes)
? チェロ 1974年 - ジョエル・クロスニック(Joel Krosnick)


以下、まったく音楽の素養の無い私のたわごと、感想だ。

メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第一番
息のあった優れた演奏家が、メンデルスゾーンらしく、華やかで、楽しい曲を、きびきびと演奏した。

マリオ・ダヴィドフスキの弦楽四重奏曲第五番
いわゆる現代音楽で、たまに聴くのは良いのだが。
en:Mario Davidovskyは1934年アルゼンチン生まれの米国人で、若い頃は電子音楽を作曲していたらしい。この曲は、1998年に、当時メンデルスゾーン弦楽四重奏団にいた第一ヴァイオリンのニック・エーネットのために作曲した。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番
1826年12月に完成し、ベートーヴェンのまとまった作品としても生涯最後のもの。当時、健康を崩し、死も覚悟していたというが、意外にも第三楽章以外は、開放的で明るい。その第三楽章も、重厚だが、どこか懐かしい感じがした。
本当に良い音楽を聴いたという満足感。

アンコールは、シューベルトの弦楽四重奏曲第13番で、互いに掛け合いのように歌いあう主題が生き生きとしていた。



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諏訪内晶子のチャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲を聴く

2009年11月10日 | 趣味

フランス国立トゥールズ・キャピトル管弦楽団を武蔵野市民文化会館で聴いた。指揮はトゥガン・ソヒエフ。曲目は、
M.グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲、ヴァイオリンはもちろん諏訪内晶子
休憩をはさんで、チャイコフスキーの交響曲第5番。

グリンカ(近代ロシア音楽の父らしい)序曲は、まさに序曲らしく勇ましく始まり、簡単に終わる。コンパクトだが、小気味よい楽団だ。

つづいて、お待ちかねの諏訪内さんのチャイコフスキー・ヴァィオリン協奏曲。黒ずくめの楽団員の前に、スリムな長身を真っ赤なドレスで包んで登場。すさまじい速さで弾くが、余裕を持ち、完全にコントロールしている。
諏訪内さんは、昨年12月の週刊誌によれば、プライベートでは大変苦労したようだが、そんなことが頭にあるからか、今日はそれらを吹っ切るような迫力ある演奏だった。
自宅へ帰ってから、1996年、諏訪内さんが最年少の18歳で優勝したチャイコフスキーコンクールで演奏したときの映像をYou Tubeで見た。曲は同じバイオリン協奏曲だが、このときから既に、私には超絶技巧と見える。それにしても、あれから20年。もっともっと活躍してもよい方と思う。演奏会は途中だったのだが、諏訪内さんの演奏が終わると、激しい拍手となり、アンコールで諏訪内さんが美しい小曲を独奏。


チャイコフスキーの交響曲第6番悲愴が暗く始まるが、第5番も暗く、重く始まる。しかし、すぐにチャイコフスキーらしい鋭くいかにも冴え渡る演奏になる。
とくにクラシック好きでもない私は、CDをパソコンにコピーし、ノートパソコンの小さなスピーカーか、イヤホーンで、パソコンいじりの片手間にときどき聞くくらいだ。たまに聴く、生の交響楽団の音はまったく別物だ。私と同程度の奥様も、生演奏の音には心が癒されると言っていた。
感動した聴衆の拍手が止まず、アンコール曲が3回もサービスされた。


トゥールズはスペイン国境に近いフランス南西部にあり、フランス第5の規模の都市。トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団(l'Orchestre National du Capitole de Toulouse)の歴代の音楽監督では、ミシェル・プラッソン(1968年 - 2003年、現名誉指揮者)が有名。今回の指揮者トゥガン・ソヒエフは2005年に首席客演指揮者・音楽顧問、2008年には音楽監督に就任。


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バンベルク交響楽団のブラームスを聴く

2009年10月20日 | 趣味
10月18日武蔵野市民文化会館でバンベルク交響楽団の演奏を聴いた。
指揮は楽団首席指揮者のジョナサン・ノットで、曲目は、ピエール・ロラン・エマールのピアノでJブラームスのピアノ協奏曲第1番と、Jブラームスの交響曲第1番だ。

昨年11月に武蔵野へ引越してきて、近くにある武蔵野市民文化会館へ行き、クラシックの公演がいろいろ行われているのを知った。年千円の会費を払い武蔵野文化事業団の会員となり、まず申込んだのがこの公演だ。宣伝には、東京公演の最高席は2万1千円、武蔵野なら6千5百円とあった。4月5日に何度も電話し、数時間後にようやく予約がとれた。そして半年待ち、ようやく当日の10月18日になった。

久しぶりのクラシックで、やはり生の迫力には圧倒された。指揮者は若いだけあってスピードに溢れた指揮で、こ気味よい演奏だった。ピアノは、勢いはよいのだが、いくぶん硬い音のように私は感じた。Jブラームスの交響曲第1番は、「ベートーヴェンの交響曲10番」とも呼ばれているようだが、ど素人の私は重厚さは感じたが、ベートーヴェンらしさは感じられなかった。
両方とも50分ほどの曲なので、合計2時間半かかった。楽しめたのだが、じっと座っているクラシックがキツイ年寄りになってしまった。

会場は満席だが、平均年齢は60歳近くではないだろうか。日曜日の午後2時開演でも若い人の姿は見当たらない。クラシックも団塊の世代とともに消え去るのか?

バンベルク交響楽団の前身は、ナチス・ドイツ支配下のチェコスロバキアで、ドイツ系住民によって創立され、ドイツの敗戦後、チェコからドイツへ逃れた楽団員が集結しバンベルク交響楽団を創立した。
なお、バンベルクはドイツ中部、オーストリアとの国境近くにあって、バイエルン州の中心都市だ。
楽団はドイツにあるが、指揮者のジョナサン・ノットはイギリス人で、ピアノのピエール・ロラン・エマールがフランス人と汎ヨーロッパだ。


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ドレスデン・ア・カペラ合唱団を聴く

2009年09月22日 | 趣味

ドレスデン・ア・カペラ合唱団の演奏4曲と、その指揮者による武蔵野合唱団と武蔵野市立一中コーラス部の公開レッスンを武蔵野市民文化会館で聴いた。



私は、あらかじめ整理券(無料)を取って入場したが、武蔵野市民文化会館の小ホールの470席は、ほぼ満席だった。といっても、その大部分は各合唱団の関係者だと思われるが。



ドレスデン ア・カペラ合唱団は、1996年に指揮者ユングによってドイツ中央東端にあるドレスデンで創設され、権威あるカンヌ・クラシック音楽賞受賞など国際的に高い評価を得ている。メンバーは22名とごく小規模の合唱団で、その大半がドレスデン音大出身者だ。今回が初来日。

「ア・カペラ」とは無伴奏合唱のことだが、その始まり、ドイツのドレスデンで、17世紀にハインリヒ・シュッツが広め、さらに18世紀のバッハ、19世紀のメンデルスにより、合唱音楽が市民に広く普及した。

指揮者のマティアス・ユングは、1964年マグデブルグ生まれ。ワイマール音大で指揮を学ぶ。1991年30歳のとき、ドレスデン聖十字架合唱団の音楽監督(代理)に抜擢され、その後もベルリン放送合唱団、ケルン放送合唱団、北ドイツ放送合唱団などを指揮する。



当日は、まず、武蔵野市立第一中学のコーラス部に生徒が登場し、ピアノの伴奏にあわせ、塚田先生の指揮で「流浪の民」を歌ったあと、マティアス・ユングがレッスンした。最初から少しずつ歌い、直すところを指摘して、歌い直し、と言う風に進んで行く。ドイツ語通訳が間に入るが、音楽にも詳しい人で、的確に訳し、生徒にも伝わっているようだった。

つづいて、武蔵野合唱団がブラームスの「ドイツ・レクイエム」をピアノ伴奏付きでドイツ語で歌い、同じくマティアス・ユングがレッスンした。指示はかなり専門的で細かく、私には内容は理解できなかったが、ドイツ語の発音を直されたり、逆にドイツ人より発音が良いと誉められたりして笑いを誘った。
レッスンの最後に、予定にはなかったらしいが、「我々の合唱団は少人数なので、良い機会だから、一緒に歌わせてください」と言って、武蔵野合唱団の中にドレスデン・ア・カペラ合唱団が入り込み、一緒に歌った。武蔵野合唱団には、貴重な経験になっただろう。

そして、最後にドレスデン・ア・カペラ合唱団が、シュッツ、バッハとメンデルスゾーンの3曲と、アンコールの曲(バッハ?)をピアノなして歌った。人間の声は最良の楽器をいうが、見事にコントロールされた歌声は、透き通り、冴え渡る音で、伴奏付き合唱とは別の、より鋭いという印象を受けた。
私は「ア・カペラ」といっても、ポピュラー音楽の「アカペラ」しか知らなかったので、楽器を使わず、その代わりを人間の声で補うとのイメージがあったが、まったく別物であった。

また、コーラスの経験のない私には、公開レッスンの様子はときどきTVで見たことがあるが、実際の指揮者の指示の仕方、表現方法は、ドイツ語であっても興味深かかった。


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東京バロックアンサンブルを聞く

2009年07月04日 | 趣味

フランス旅行報告の途中だが、コンサートの話を1回だけ挟みこむ。

東京バロックアンサンブルによる、盲導犬育成のためのチャリティー・コンサートを聞いた。
吉祥寺駅近くの武蔵野公会堂で7月3日午後7時から開催され、350の客席がほぼ満席となる盛況だった。

東京バロックアンサンブルは、1974年、岡村考二を中心に、フルート・オーボエ・ヴァイオリン・ヴィオラ・通奏低音(チェロ・チェンバロ)という編成で結成され、バロック音楽を中心に演奏活動を行っている。



フルート、オーボエ、チェロ、チェンバロのアンサンブルのほか、フルート、チェロ、チェンバロそれぞれの独奏もあり、2時間あまりの久しぶりのバロックを楽しんだ。



代表者のフルートの岡村考二さんの曲の簡単な説明もあり、J.S.バッハ(大バッハ)、G.Ph.テレマン、G.F.ヘンデルや、大バッハの息子であるW.F. バッハと、J.C.F.バッハの曲が演奏された。岡村さんの解説では、確か、息子たちは、バロックから古典派への橋渡しの役を果たしたと言っていたと思う。
私は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハに何人かの音楽家の息子がいて、遺伝学の研究材料になっている話は知っていたが、息子たちの名前も、曲も初めて聞いた。

ヴィルヘルム・フリーデマン (Wilhelm Friedemann、1710 - 1784) は長男で、通称「ハレのバッハ」。 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ (Johann Christoph Friedrich、1732 - 1795)は 五男で、通称「ビュッケンブルクのバッハ」とウィキペディアにある。



チェンバロ(英語ではHarpsichord)もピアノのように澄み切った音でなく、こすれたような独特の音で、慣れてくるとこれもなかなか良い。ペダルがないし、演奏は難しそうだ。開演前も長い時間かけて調律していた。

チェンバロ奏者の大原裕子さんの娘さんが吉祥寺南町眼科の院長で、その縁で、この公演の収益を、近くの関町にあり、盲導犬を育成している財団法人アイメイト協会へ寄付することになったようだ。
盲導犬育成団体は日本に9団体もあり、その間に共通の“盲導犬”の基準がないという。なにか、いろいろな考え方があって難しそうだ。



私は、現在でもクラシックの熱心なファンではないが、若いときはとくにバロックが苦手だった。単調でメリハリがなく、すぐに眠くなった。
テニス部の合宿で長野県の松本に行ったとき、炎天下の練習の中休みで体育館の中でくたびれきって寝転んで休んでいた。誰かが持ち込んだラジオから音楽が聞こえる。バロック音楽だ。モノラルの放送、小さく音質の悪いスピーカー、やたらと響く体育館。それなのに、疲れきった身体にこの世のものとも思われない心地よい音楽が染み渡る。「バロックって良いものだなあ」とそのとき思った。
以後も、とくにバロックのファンになったわけでもなく、感動的な新世界や、楽しいモーツアルトをときどき聞くくらいだが、今でもバロックを聞くと、あの松本の体育館で寝転んでいる自分を思い出す。


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「コンサート自由の風の歌」

2009年06月15日 | 趣味
「コンサート自由の風の歌」を聞きに丸の内線の東高円寺に行った。5月30日のことだ。

前回の「杉並区立蚕糸の森公園」を抜けて、高円寺陸橋の下をくぐり、「セシオン杉並」に向かう。



ホールの入口には、「コンサート自由な風の歌」と手書きの看板。



このコンサートの入場料は破格の2000円だが、卒業式などで国家斉唱のとき起立しなかったり、ピアノの伴奏をしなかったため処分された教職員の裁判を支援するために使われる。
年1回、4回目の開催だが、これで最後になりそうだという。残念だ。

コンサートの聴衆は50歳以上と思われる女性が圧倒的で、いかにも教師といった地味な服装で、眼鏡の人が多い。




オープニングは林光さんのピアノでバッハの「前奏曲とフーガ ハ短調」。
林さんが登場し、椅子に座ると何気なくそのまま静かに始まった。途中から徐々に大きな音になり、久しぶりの生ピアノはこんなに大きな音だったかとびっくり。

林光さんは作曲家で、私でも名前を聞いたことのある有名な方だ。日本のうたごえ運動の創成期の頃から活躍されている方で、うたごえ運動では、林さん作曲の歌が多く歌われていた。サントリー音楽賞受賞のオペラ「セロ弾きのゴーシュ」、モスクワ音楽祭・作曲賞受賞の映画音楽「裸の島」や、合唱組曲「原爆小景」が有名で、著書も多い。

次は、崔善愛さんのピアノと三宅進さんチェロでの、このコンサート恒例のカザルスのカタルーニャ民謡「鳥の歌」。
カザルスがファシストに音楽で抵抗するために作った「カタルーニャの鳥たちはピース、ピースと歌う」という曲で、今回は人間の声にもっとも近いチェロと、ピアノで演奏すると林さんから紹介があった。

休憩をはさんで、崔善愛(チェ ソンエ)さんのショパンの「幻想即興曲」と「ノクターン 遺作 嬰ハ短調」は、著書などのイメージからか、なんとなく理が勝っているような気がした。
次は、林さんの歌、朗読とピアノで、「ロルカの民謡と詩」。ロルカはスペイン内戦の中、38歳で殺された詩人。林さんの語りは、厳しい内容なのだが、軽妙で、ユーモアがあり楽しい。喜寿を過ぎた林さんのピアノ弾き語りは見事だった。本当に才能溢れる方の反骨精神は楽しく、冴えていた。

あとは、山田さんと小澤さんの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」。
最後が、林さんが指揮する合唱団が「鳥の歌」(林編曲)、「欠陥」(林作曲)、「タ・タララ」(ロルカ採譜・編曲)を歌い、盛り上がって終演となった。




崔善愛(チェ ソンエ)さんは、北九州出身。愛知県立芸術大学、および大学院修士課程修了。後に米国インディアナ大学大学院に3年間留学。ピアニストとしての演奏活動のかたわら、全国各地で「平和と人権」をテーマに講演をおこなっている。著書に「自分の国を問いつづけて―ある指紋押捺拒否の波紋」(岩波ブックレット)

三宅進さんは、チェリスト。桐朋学園、インディアナ大学で学ぶ。群馬交響楽団首席チェロ奏者を経て、現在はソロ、室内楽、主要オーケストラへ首席奏者などとして活躍している。

山田百子さんは、ヴァイオリニスト。桐朋学園大学卒業後、'96年ドイツ・ケルン国立音楽大学大学院副首席で卒業、芸術家称号取得。新日鐵音楽賞をクァルテット・エクセルシオのメンバーとして受賞。

小澤佳水さんは、ピアニストで、東京藝術大学卒で、同大学院修士課程を今春修了。ペトロフピアノコンクールなど第一位。



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「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」を観た

2008年02月13日 | 趣味

Mr.ビーンは私のお気に入りだ。最初に見たのは1992年にオーストラリアのケアンズからシドニーに行く飛行機の中で、奥様に「皆、笑ってるわよ」と脇をつつかれたときだ。中央の画面でMr.ビーンの奇妙なふり、とんまなしぐさを見て大笑いした。会話がほとんどないのが何より良い。

Mr.ビーンは1990年のイギリスのTV放送がデビューだ。日本でも深夜、不定期でTV放送していて、私もNHKで深夜にたまたま見て「おおやっている」とびっくりした。しかし、通常時間帯でのTV放送はなく、その後も飛行機の中での私のお楽しみになっていた。1998年には劇場場版公開にあわせてMr.ビーンのアトキンソンが来日し、ブームになった。

今回の映画は、公開から日もたっていて、込むことはないと思ったが、念のために劇場は(田舎の)海老名とし、わざわざ週日の雨の日に行った。劇場のある海老名のビナウォークもガラガラ。



この七重の塔もビナウォークが出来る前は、駅から遠くに見えていて、何であんなところに塔があるのかと思っていた。ビナウォークも5周年になるそうで、何事もアット言う間だ。それにしても、このビナウォークは雨の日はところどころ屋根がなくなり傘を開かなくてはいけない。なんという設計だ。

通常2400円のPremier Screenという豪華版?の部屋が、夫婦50割引、二人で2千円。108席しかなく、広いシートは長時間でも腰が痛くならないエルゴノミクス設計で飛行機のファーストクラス並み(らしい)。どこからかただようポップコーンの臭いに包まれてゆったりと鑑賞できた。

映画のほうは、私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)。
(”是非読みたい”が五つ星、”お勧め”は四つ星、”お好みで”を三ツ星、”読めば”を二つ星、”無駄”は一つ星)

Mr.ビーン(ローワン・アトキンソン)は、くじ引きで当たったフランス旅行へ行くが、その途中から大騒ぎで、・・・・と、まあ筋は紹介しても意味ない。
ただ、Mr.ビーンの一番の親友のおもちゃのテディが出てこないことでわかるように、私の一番の楽しみのしみったれた細かなドジっぷりがあまりなく、よくあるドタバタがメインなのは残念だ。ただし、例のクネクネ身体と、飛び出しそうな目玉、ドジなしぐさと、自分勝手な行動、さらに英語が通じないフランスが舞台なので会話がほとんどないのも結構だ。



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林家正蔵・春風亭小朝 二人会へ

2007年05月04日 | 趣味

子供のころからの落語好きである。ラジオから聞こえる落語や講談を食い入るように聞いたものである。ラジオのチャンネルが増えると聞いたとき、小父さんに、「これからは、落語だけいつも聞けるようになるの?」と聞いたものだった。小父さんの答えは、「まあ、そうだな」だった。

一番のお気に入りは味のある志ん生だったが、「・・・水平線のかなたまで、コチャいとやせぬ」のただただ面白い痴楽つづり方教室も大好きだった。三代目円歌の「山のあなたの空遠く・・・」と見事な浪曲入り落語もいまだに忘れられない。
お祭りのとき、近くのお寺に林家三平が来たときは、もちろん見に行った。自分でも本当に嬉しくてたまらないといった様子で、エネルギッシュに話す三平さんに楽しい思い出をもらった。
最近では、横浜のにぎわい座にときどき行くくらいで生の落語にご無沙汰しがちだった。

林家正蔵と、義弟になる春風亭小朝の二人会のパンフレットを見つけ、予約開始の日をじっと待った。その日は旅行先だったが、10時ちょうどに何度も電話したが話中で断念した。その日の夕方、翌日と、他の窓口にも電話したが売り切れ。自宅に戻ってから念のために横浜駅にあるセンターに電話すると残券があるというので、さっそく購入した。

公会堂は満員の盛況。席は前から5列目くらいの最高の位置。我々の前から舞台との間には折畳み椅子を並べてある。年配の人、とくにおばさんが多く、若い人がいないのがさびしい。
しかし、窓の中を覗くようなTVの落語と違い、前の方の席で舞台と一体になって、会場全体の笑い声に囲まれて聞く落語はいっそう楽しい。

前座は林家たこ平という26歳の若い人だった。演題は忘れたが、店に訪ねて来た人の長口上をおかみさんが覚えきれず、帰ってきた旦那さんにとんちんかんな話をするという何回も聞いたことある噺だ。長口上を早口で話し、いかにも勉強中というまだ入門2年目の話し方だった。終わると自分で座布団を裏返し、看板をめくってから退場した。

春風亭小朝さんは、これまで、何事もわかったような生意気な話し方があまり好きでなかったが、本当に上手い。噺は居酒屋の主人とお客のやりとりだが、声も大きく、聞き取りやすいし、二人の声音もはっきり区別できる。身振り、表情もあざやかだ。駄洒落、時事ネタで場内大笑い。見事でした。
しかし、終わってみて、どんなこと話したのか覚えていることは少ない。もちろん、それで良いのだが、覚えているのは、まくらで話した最近の寄席の客は変な人がいるとのまくらの話し。寄席の一番前の席でカップラーメンを食べていた人や、おかしいところへくると、自分では笑わずに、笑い袋を押してケラケラ音を出す人の話だった。

入門6年目で二つ目の林家たけ平(多分)が出てきた。別々に自宅を夜締め出された男女が早とちりする叔父さんの家に行き泊めてもらう。一つ布団に寝させられて、なるべく離れて寝ていたが、雷で思わず、・・・。危うい、ぎりぎりのところで、「お後がよろしいようで」と終わる話だ。前座のたこ平さんとはだいぶ違う。

取りはもちろん、林家正蔵。まくらは、三平の最後のときの話や、えびな家の話しで客をひきつける。例の税務署の話できっと笑いをとるだろうと思っていたが、「十分反省しておりますので」と話の途中にはさんだだけだった。
嫉妬深い奥さんが小僧に、おめかけさんに通う旦那の後をつけさせる噺だった。もちろん面白いのだが、小朝とはだいぶ差がある。正蔵らしくなる、あるいは新しい正蔵をつくるのにはまだ時間がかかるような気がした。





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菊つくり(2)

2007年03月22日 | 趣味


昨日につづき大菊つくりの話です。

小鉢あげ
さし芽をした菊は、水やりしていると根が出てきます。1箇月たらずで白い根が沢山生えてきたら4号など小さな鉢に一本づつ植えます。
一本の茎の10cmくらいのところから3本の枝に分け、この3本の茎を伸ばし、先端に3つの大輪の花を咲かせるのを3本立てと言い、良く行われます。
このため、葉が6,7枚になったところで、先端の芽を摘み取ります。菊は葉の生えているところからどんどん芽が出てきます。先端の芽をつまんだところから下の芽(わきめ)を3つだけ伸ばし、伸びてきた3本の茎を、土に差込んだ3本の棒にとめます。互いに120度になり、まっすぐ伸びるように成長とともに茎を棒にとめていきます。アルミ線を枝にクルクルからませて、望む方向に成長させていくこともできます。これを誘引といいます。

中鉢へ移植
鉢の底から根がはみ出してくるようになったら、より大きな鉢へ植え替えます。5号鉢へ(さらに7号鉢へ)植え替えます。
その後も葉の元のところに次々と芽(わき芽)が出てきますが、早いうちにどんどん取ってしまいます。先端のつぼみも一つだけ残して、取ってしまいます(予備にもう一つ残す人もいます)。

大鉢へ移植
そして7月末には大鉢(菊鉢、9号鉢)に移植します。鉢には下に網をいれ、その上に水はけを良くするために石を置きます。さらに、腐葉土、元肥を入れ、根が一杯張って小さくなってしまった鉢から引き抜いた菊を置き、周りに腐葉土、土を入れて突き固めます。園芸店で売っている菊用の黒い棒を支柱として差込み、3本の支柱に枝を誘引します。

茎が伸びるに従い、葉が増えていきますが、葉と葉の上下の間隔がそろっていないと見た目が悪くなります。ある年、菊が成長する時期に旅行にでかけるので、毎日の水遣りができなくなりました。そこで、鉢をベランダから日の当たらない風呂場に移し、たっぷり水をやって数日留守したことがありました。暗いところで水をたっぷり与えられた菊は一気に徒長し、そのところだけ葉と葉の間隔が長くなって、みっともないことになってしまいました。

つぼみから開花
10月に入ると先端に花のつぼみができます。大きくなる花を支える円形の受け台を買ってきて、つぼみの下の位置で棒に固定します。後は花が大きくなるのを待つだけです。菊の花は長持ちして、記憶が定かではありませんが、何週間も咲いていたように思います。初めての年からけっこう大きな花が咲き、花の高さも盛り上がって、外から見た人に「すごいですね」と言われたような気がして、ついつい翌年以降も続けてしまいました。

福助作り
ベランダでの菊作りには便利な小鉢、5号鉢のままで丈が低く育て、花はそれなりに大きい福助作りという菊作りがあります。茎の高さは低いのですが、花はけっこう大きくなります。福助足袋の商標の福助のように、頭(花)は丈に比べて異常に大きく、背が低い可愛い菊です。福助用の苗が手に入らなければ、大菊の苗でも比較的伸びにくい品種なら福助にできます。水を控えめにし、全体の高さを抑えるわい化剤を与え一本つくりにします。
背丈が40cm位なので、テーブルに飾ったり、人に贈ったりできます。

こう書いてきて、また菊作りを始めたくなりました。未練たらしくまだ大きな菊鉢を何鉢も捨てずにとってあるのですが、1箇月、2箇月とロングステイするので、あきらめざるを得ません。


前回、菊つくり(1)

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菊つくり(1)

2007年03月21日 | 趣味


昔々、職場の先輩が数十年にわたり、見事な大輪の菊を作っていました。私はそれまで動物や植物に全く興味がなかったし、当時は、東京のはずれの鉄筋アパートの3階に住んでいたのに、毎日そのすばらしさと、うんちくを聞いているうちにだんだんその気になって自分でもアパートのベランダで菊作りを始めました。

菊作りは、時期を逃さず、きちんと決まった作業を重ねて行けば、確実に自分でも驚くほどの大輪の菊の花を咲かせることができます。まさに、磨きぬかれた伝統技術とも言うべきものです。もちろん展覧会に出展するようなできばえにするには、高度なノウハウが必要でしょうが、素人が見て驚くくらいの花は誰でも簡単、確実に咲かせることができます。実際のところは多少手を抜いたり、時期がずれてもけっこうそれなりの大きな花は咲いてくれます。
横須賀で庭を持ってからは、畑作りに専念し、菊作りは止めてしまいましたが、結局10年近く作り続けて、菊作りは「ゲイジュツだ」と思いました。

細かいことを書くときりがないので、以下、思い出しながら、2回に分けて、菊作りの概要だけ述べます。



土作り
何事も土台作りが重要で、「菊作りは土作り」といわれるように、まず土作りから始めます。
腐葉土は園芸店などで買うこともできますが、条件が許せば自分で作りたいものです。菊自慢はつまるところ土自慢になるのですから。
落ち葉を集め、積重ねて水をかけ、油粕を少々混ぜます。これを何層も重ねて踏み固めます。落葉はケヤキが理想ですが、固めの葉が良いと思います。一ヶ月ほどしたら混ぜて(切り返しと言います)発酵を促進させます。このとき、上手くいっていれば、葉の形は残っていますが、焦げたように黒色になっています。切り返すと湯気がでるほど高温になっているはずです。何回か切り返して、半年ほどして葉の形がほとんどなくなり、褐色になり、手でつまむとボロボロになったら腐葉土の出来上がりです。
底を水抜きした発泡スチロールの箱で、ベランダでもできますが、臭いがして近所に迷惑をかけるのを心配して、私は実家の庭で腐葉土を作り、大きな袋に入れて電車に持込みアパートまで運びました。これを何回も繰り返しました。ご苦労なことでした。

菊作り用の土は腐葉土のほかにも、排水性の調節や、栄養分補給、土壌改良、あるいは密にして根を張りやすくするなどのために鹿沼土などいろいろ混合し、工夫するのが普通ですが、腐葉土と普通の土だけでも一応の菊は作れます。



さし芽
菊は種からでなく、苗を育てます。昨年秋に咲いた菊が枯れ、4月に古い株から芽が出てきます。この出てきた芽のうち、元の株からなるべく離れた芽を切り取って、プランターなどに入れた鹿沼土に挿し、さし芽します。発根促進剤をつかう人もいます。
大菊と呼ばれるのは花の直径は18mm以上のものを言います。大きな花を咲かせるような菊は自然の摂理から外れているので、世代を繰り返すと、元の小さな花に戻る力が働きます。そこで、元株は使わず、さらになるべく離れた芽を採るのだと思います。それでも、何代も経ると花がどんどん小さくなってしまいます。
私は、毎年半分の苗は郵送で業者から購入し、新しい血を入れていました。ネットでさっと眺めると最近は園芸店などでも大菊の苗は売っていないようです。菊花展などで買い求める以外ないのでしょうか。それぞれの苗には「国華○○」「泉郷○○」のような名前がついているので、プラスチックに記銘して土に挿して区別できるようにしておきます。

次回「菊つくり(2)」

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