須賀敦子著『コルシア書店の仲間たち』白水uブック、2001年10月、白水社発行、を読んだ。
1958年イタリアへ留学した著者は、カトリック左派の思想をベースに共同体の形成をめざすコミュニティの場、ミラノのコルシア書店に仲間として加わる。理想の共同体を夢みた30代の友人たち、設立者のパルチザン上がりの詩人のダヴィデ神父、貧しさから這い上がったインテリ達、裕福な貴族、盗むことがなぜいけないか分からない孤児育ち、ドイツ人と結婚したユダヤ系女性など、書店をめぐる群像と情景を、冷静に、絶妙の距離感をもって、暖かく、しっとりと描いている。
須賀敦子は最後に書く。
構成も斬新だ。30年前のことなのに、昨日のことのように始まる。そして、コルシア書店が何なのか、くわしい説明なしに、書店のパトロンの話から、仲間一人ひとりのエピソードを語り、徐々に全体像が見えてくる。
著者の須賀敦子は、簡潔でテンポ良く、しかも柔らかで気品ある文章で知られる。長年の文学作品の翻訳で鍛えあげられたのだろう。しかし、私には、冷静な観察眼で、距離感を持って、その人の外観、仕草と本質を見抜く力に感心する。そして、もちろんその力は優しさと情熱に裏打ちされたものなのだ。
この作品は1992年文藝春秋より刊行された。文庫本がいくつかの出版社から発行されているようだ。
須賀敦子は1929年(昭和4年)兵庫県に生まれ。
1951年に聖心女子大学文学部を卒業。慶応の大学院を中退し、フランス留学。
1958年にイタリア留学し、1961年、コルシア書店の中心者の一人であるペッピーノ・リッカと結婚する。
1967年に夫は急逝し、1971年日本に帰国。
大学の非常勤講師をしながらイタリア語の翻訳者。
上智大学の助教授、教授となる。
1990年『ミラノ 霧の風景 』を刊行、翌年女流文学賞、講談社エッセイ賞受賞。
本書を含め全部で5冊の単行本を出版。翻訳は6冊ほど。
1998年癌により死去。享年69歳。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
須賀敦子が『ミラノ 霧の風景』を書いたとき、61歳になっていた。関川夏央は「須賀敦子はほとんど登場した瞬間から大家であった」と評している。長年ある分野ですばらしい仕事を続けながら、広く世に知られることがない女性はいろいろなところにいるのだろう。私たちは、わずか5冊でも彼女の本を読むことができ、そして彼女を知ることができて幸運なのだ。
情熱の結末を知ってしまって、しかも思い出に変わった30年前のことを書いているからだろうか、過ぎ去った熱き青春が透明感を持って、そして全体に哀切がただよって語られている。
読みながら、半世紀前、私が加わっていたボランティア団体を思い出していた。小さな名もない団体ながら、10年以上に渡る活動の中で、極めて優秀な幾人か集まり理想と情熱に燃えて興隆していく前期、社会の動きに刺激されて過激化の中期、活動の停滞化とメンバーが各自の道を進んでいく後期、そして年一回の同窓会的行動のみの事実上の終焉。今、あの時を思い出すことは、いらだち多かった若き私への鎮魂歌なのだ。
1958年イタリアへ留学した著者は、カトリック左派の思想をベースに共同体の形成をめざすコミュニティの場、ミラノのコルシア書店に仲間として加わる。理想の共同体を夢みた30代の友人たち、設立者のパルチザン上がりの詩人のダヴィデ神父、貧しさから這い上がったインテリ達、裕福な貴族、盗むことがなぜいけないか分からない孤児育ち、ドイツ人と結婚したユダヤ系女性など、書店をめぐる群像と情景を、冷静に、絶妙の距離感をもって、暖かく、しっとりと描いている。
須賀敦子は最後に書く。
コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。・・・それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。・・・
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。
構成も斬新だ。30年前のことなのに、昨日のことのように始まる。そして、コルシア書店が何なのか、くわしい説明なしに、書店のパトロンの話から、仲間一人ひとりのエピソードを語り、徐々に全体像が見えてくる。
著者の須賀敦子は、簡潔でテンポ良く、しかも柔らかで気品ある文章で知られる。長年の文学作品の翻訳で鍛えあげられたのだろう。しかし、私には、冷静な観察眼で、距離感を持って、その人の外観、仕草と本質を見抜く力に感心する。そして、もちろんその力は優しさと情熱に裏打ちされたものなのだ。
この作品は1992年文藝春秋より刊行された。文庫本がいくつかの出版社から発行されているようだ。
須賀敦子は1929年(昭和4年)兵庫県に生まれ。
1951年に聖心女子大学文学部を卒業。慶応の大学院を中退し、フランス留学。
1958年にイタリア留学し、1961年、コルシア書店の中心者の一人であるペッピーノ・リッカと結婚する。
1967年に夫は急逝し、1971年日本に帰国。
大学の非常勤講師をしながらイタリア語の翻訳者。
上智大学の助教授、教授となる。
1990年『ミラノ 霧の風景 』を刊行、翌年女流文学賞、講談社エッセイ賞受賞。
本書を含め全部で5冊の単行本を出版。翻訳は6冊ほど。
1998年癌により死去。享年69歳。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
須賀敦子が『ミラノ 霧の風景』を書いたとき、61歳になっていた。関川夏央は「須賀敦子はほとんど登場した瞬間から大家であった」と評している。長年ある分野ですばらしい仕事を続けながら、広く世に知られることがない女性はいろいろなところにいるのだろう。私たちは、わずか5冊でも彼女の本を読むことができ、そして彼女を知ることができて幸運なのだ。
情熱の結末を知ってしまって、しかも思い出に変わった30年前のことを書いているからだろうか、過ぎ去った熱き青春が透明感を持って、そして全体に哀切がただよって語られている。
読みながら、半世紀前、私が加わっていたボランティア団体を思い出していた。小さな名もない団体ながら、10年以上に渡る活動の中で、極めて優秀な幾人か集まり理想と情熱に燃えて興隆していく前期、社会の動きに刺激されて過激化の中期、活動の停滞化とメンバーが各自の道を進んでいく後期、そして年一回の同窓会的行動のみの事実上の終焉。今、あの時を思い出すことは、いらだち多かった若き私への鎮魂歌なのだ。