hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

小野正嗣『九年前の祈り』を読む

2015年06月04日 | 読書2

 

 

小野正嗣著『九年前の祈り』(2014年12月15日講談社発行)を読んだ。

 

大分県の「リアス式海岸の複雑な地形の海辺の土地」を舞台にした芥川賞受賞の表題作を含む4編の連作。

 

「九年前の祈り」

35歳のさなえは、美しい顔立ちをした幼い息子の希敏(けびん)をつれて故郷である大分の海辺の小さな集落に戻ってきた。カナダ人の父親は希敏が一歳になる頃、姿を消してした。コミュニケーションに問題がある息子は何かのきっかけで「引きちぎられたミミズ」のようにのたうちまわる。

初老の渡辺ミツ「みっちゃん姉」の脳腫瘍の息子を見舞いに行くため、さなえは、母の故郷の島に渡り、幸運を呼ぶという貝殻を拾いに行く。いやがって徹底して泣き叫ぶ息子を連れて。

9年前、独身だったさなえは、中年女性数人とカナダへ旅行した。この懐かしい珍道中の中で、みっちゃん姉がたまたま入った教会で長くひざまずいて祈っていたことを思い出す。みっちゃん姉は、勉強も運動もできず、仕事もなかなか見つからなかった息子・タイコーの将来を案じて祈っていたのだ。

さなえは、なかなか心を通わせられない息子を強く抱きしめた。

 

最後はこう終わる。

悲しみはさなえの耳元に口を寄せ、憑かれたように何かささやいていた。聞きたくなかった。聞いてはならない。顔をさらに息子の頭に、柔らかい髪に押しつけた。熱を感じた。かすかに潮の味がした。息子のにおいが鼻いっぱいに広がった。

 

 

「ウミガメの夜」

大学生3人、今野一平太、下川徹、佐藤雄真(ゆうま)がふと思い立ち、今野の父の故郷・大分県佐伯市を訪れ、海岸でウミガメの産卵に立ち会う。

今野一平太は幼いころ祖父に連れられてウミガメの産卵を見た記憶があり、父・日高誠の実家を探す。

ひっくり返したウミガメがもがく様を見ていると、「おのれの苦しみより他人の苦しみのほうが苦しいからのう」という声が聞こえた。

 

最後はこう終わる。

空には、黒い砂からはみ出した卵のような月が浮かんでいた。そこからしたたり落ちてくる白濁した静寂。それを埋めていく波の音だけが聞こえていた。

 

 

「お見舞い」

首藤寿哉(トシ)は息子・大地と海斗と、妻・美鈴の連れ子真緒と唯衣の4人の子供がいた。

トシは子供の頃、3歳年上の日高誠(マコ兄)を慕い、彼もトシを可愛がった。東京の大学に行き、就職した日高は、故郷に戻り、役場に勤めたが、東京には離婚した妻と娘と息子がいた。やがて、自暴自棄な生活をするようになったマコ兄の面倒をトシはよくみるようになる。

 

最後はこう終わる。

トシの口元は歪み続けた、勝手に踊っていた。これは本当に笑みなのだろうか。きょう会えなくてもいい。また出直せばいい。そして今度、伽の見舞いに行くときは、マコ兄、そうじゃ、一緒に行こうや。

 

「悪の花」

かって用務員として働いていた独り身の千代子は75歳を過ぎてから膝が悪くなり歩けなくなった。買物は民生委員の渡辺ミツと夫の浩司が買物してくれるし、墓参りにはミツの一人息子・大公(まさきみ)、通称タイコーが行ってくれた。墓に生える花はなんぼむしっても生えてくるとタイコーは申し訳なさそうに言った。そのタイコーが重たい病で大学付属病院に入院した。

 

最後はこう終わる。

繁茂するのをやめようとしない悪の花を懐に抱えたまま、小さな湾の暗い水面が千代子のささやきを映して震えていた。

 

 

初出:群像、MONKEY、文藝、早稲田文学

 

 

小野 正嗣(おの まさつぐ)

1970年生まれ。日本の小説家、比較文学者、フランス文学者、立教大学准教授。

佐伯市出身。東京大学教養学部比較日本文化論卒業。同大学院博士課程単位取得退学。パリ第8大学Ph.D。

 

2001年、「水に埋もれる墓」で朝日新人文学賞受賞

2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞受賞

2003年、「水死人の帰還」で芥川龍之介賞候補

2008年、「マイクロバス」で芥川龍之介賞候補

2013年、「獅子渡り鼻」で芥川龍之介賞候補、野間文芸新人賞候補。

2014年、立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授

2015年、「九年前の祈り」で芥川龍之介賞受賞


 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

ストーリーも、あからさまな主張もない、昔のような静かな小説だ。私としては、たまにはこんな小説も読んでみたかった。四つ星を付けたいのだが、現代の多くの人には歓迎されないだろうと、三つ星にした。

 

4編の中では、「九年前の祈り」が好きだ。東京近郊しか知らない私には大分の小さな海辺の集落は、架空の町に思える。哀しみを抱え、しかもなかなか心がつながらない人たちの静かな祈りは、私の胸にもひっそりと沈み込む。息子を置き捨てる夢を見て、しかし、しっかり抱きしめる「さなえ」の心を思う。

 

細かい話を一つだけ。

登場人物が多く、一回しかでてこない人もいる。新たな人が出てくると、付箋をつけておいて、ブログを書くために、最後にパラパラと読み返すときの参考にするのだが、連作なので人間関係を把握するのに苦労した。これは、単に、私がこの感想文を書くための作業がしにくかったというだけの話なのだが。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする