岸本葉子著『二人の親を見送って』(2015年5月10日中央公論社発行)を読んだ。
30代で73歳の母を失い、やがて父が90歳に近づいて老いが進み、ひとり暮らしの岸本さんの日常に「介護」がやってきた。その父もついに見送り、親亡き後の人生がはじまった。
2012年~2014年の各種新聞・雑誌に発表した76編のエッセイ集。
「家族の時間」
父は家族の知らない借金を作り、鎌倉の家を売り、その後は転居を繰り返した。90歳直前になり、父はすべてを忘れ去り穏やかな顔になった。
そこには穏やかで満ち足りた家族の時間がたしかにあった。親子の関係は時とともに変わるが、大人になって修復するには、子どもの頃恩愛を受けた記憶があれば充分だ。介護の時間が与えられたことも幸いした。それがなければ親との交流も、きょうだい間の結びつきも、これほど深まることはなかった。
「大掃除より小掃除」
いつか完全にするつもりで、その「いつか」がなかなか来ないより、不完全でいいからその時その時できることをこまめにする。
「ゆとりの必要」
毛玉だらけのジャージばかりはいていると、それが似合う女になっていく・・・。
「こんな青春過ごしたかった!」
やりたいことなんて後からわかる、好奇心に乗ってやってみるだけ・・・
「最後の対話」
認知症もだいぶ進んだ父が、たまたま調子の良いときに尋ねた。
「どういうときが、幸せ?」・・・
「みんなが仲よく話したり何だり、楽しそうにしているとき」・・・
「死ぬってこと、あるでしょう。どう思う?」・・・
「死んじまっちゃあ、仕方ぁないね」
からからと笑う。昔よく歌舞伎の口まねをして戯れたときの調子だ。・・・
「怖いっていうより、惜しいって感じ」。
「たしかに。惜しいね」。真顔でうなずく。
「お父さんは九十です」
「へぇーっ」。そっくり返るように顎を反らせ、「驚いた。そんなに生きたかね」。・・・
父の表情は幕が下りたように変わった。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
著者の合理的考え方は、私には納得できる部分が多かった。しかし、いまやメディアでは常識的な話が多く、また読んだ本からポイントとなる言葉の引用も多く、インパクトや深い納得は得られなかった。
そもそも、岸本さんは真面目過ぎて、書くものにも面白味とか、潤いがない。
以下、細かすぎる指摘。
あなたは、「莢豌豆」「車麩」「煌々と」「蝗」を読めますか?
文章の他の部分からの類推とかすかな記憶からぼんやりと意味が浮かんでくるのだが、わざわざ漢字で書く気が知れない。答えは、サヤエンドウ、くるまぶ、こうこうと、いなご
料理も、漢字にも弱い私は、エッセイ読むのに辞書を引かないといけなかった。
そもそも、岸本さんの文章は、著者の性格もあって、全体に硬い感じがする。理工系文体のように内容はきっちりしていても、潤いが感じられない。几帳面な性格から推敲を重ね過ぎるのだろう。文中にも、ゲラの訂正が大変だとあった。わずかな経験しかないが、いい加減な私はあんなものざっと見れば済むのだと思うのだが。
おそらく、優しい人柄だと思うので、もっと柔らかな文体、内容で、感情を込めたエッセイを期待したい。
各エッセイはページの最初から始まるようにレイアウトしてある。このため空白が多い。一つ目のエッセイの最後のページは3行だけで、次は4行、5行、3行と空白が多い。
初出誌には「原子力文化」が多い。岸本さんは原発推進派?
岸本葉子
1961年鎌倉市生まれ。エッセイスト。
1984年東京大学教養学部卒後、東邦生命保険入社。
1985年『クリスタルはきらいよ』(就職活動の体験)
1986年退社して中国の北京外語学院に約1年留学
2001年虫垂癌の手術
2003年『がんから始まる』
2009年『買おうかどうか』
2010年『エッセイ脳 -800字から始まる文章読本』
2011年『「そこそこ」で生きましょう』
2012年『ちょっと早めの老い支度』『おひとりさまのはつらつ人生手帖』『わたしの週末なごみ旅』など。
2013年『もっとスッキリ暮らしたい ためない心の整理術』
2014年『江戸の人になってみる』『生と死をめぐる断想』
2015年『昭和のほどよい暮らし』『二人の親を見送って』