昔々、我家に裁縫箱があった。和裁用で、上蓋を開けると、針山とはさみなどが入っており、その下には三段くらいの引き出しがついていた。横には穴があり、ものさしが斜めに刺さっている。もちろん鯨尺だ。全体は幅四十センチ、高さ三十センチほどの木の箱で、表面に模様のある木の皮が貼り付けてあった。
母は良くこの裁縫箱の蓋をあけ、四角い棒“くけ”を起こして立てて、先端から延びたひもの先の物干しバサミのような“かけはり”に布地の一方を挟んで、針仕事をしていた。小学校に上がる前だろうに私の記憶にこびりついているということは、しょっちゅう内職でもしていたのだろう。
私はこの裁縫箱、というより母のまわりでよく遊んでいた。おもちゃらしいおもちゃがない時代だ。裁縫箱をおもちゃにして、引き出しを開け閉めし、針山の針を刺し直し、使われていないときには、“くけ”を起こしたり、寝かせて裁縫箱の蓋をしめたりした。“かけはり”で、こわごわ指を挟んだりもした。すずめの舌をちょん切った糸きりばさみ、指ぬき、くじらの骨でできたヘラもおもちゃ道具だった。ちょこまか邪魔をする私を、記憶の中の母は叱ることもなく微笑んでいる。
しかし、何と言っても良く遊んだのは、裁縫箱に斜めに刺してあるものさしだ。これを刀にして一人チャンバラするのだ。ズボンのベルトに刺し、するりと抜いて、構えて正面の敵を切り、すぐ振り返って後ろの敵を切る。漫画雑誌でみたエジプト王朝のアメンホテプが大好きで、タオルケットを持ち出して来てマントにし、なぜか刀を差したアメンホテプに成り切ったりもした。そして、あきると、結局なんだかだと、母のそばに行ってちょっかいを出した。
割烹着を着て、針を髪の毛に触れさせてから、針仕事をする若い母の姿がそこにはある。昨日のことのようだが、もうあれから70年近くが過ぎ去った。そして、母が亡くなって20年近くになる。庭に花でもあれば摘んでくるところだが、久しぶりに仏壇に線香でもあげるとしよう。