鶴我裕子著『バイオリニストに花束を』(中公文庫つ-28-1、2013年12月20日中央公論新社発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
だれも信じてくれないが、私は十歳でバイオリンを始める前は、一日に一言も口をきかないような、青白い子供だった――「スーダラ節」に救われた修業時代、もぐりで聴いたカラヤンの「とてつもない何か」、愛憎こもった指揮者の思い出、感動のフィナーレに客席デビュー。元N響バイオリニストがのびやかな筆致で綴る音楽的日々雑記。
鶴我裕子さんは1975年から2007年までN響の第1バイオリン奏者であった人。この本は、エッセイスト・デビューした『バイオリニストは目が赤い(肩が凝る)』に続く第二弾。
演奏家見習い記
山形の貧乏な家の小学生だった著者。貧乏だが音楽一家に育ち、10歳でバイオリンを始めて、ようやくおしゃべりになった。山形新聞のエライさんの後押しで、中三でレッスンのため東京のお金持ちの上級家庭に居候になった。
N響という“カイシャ“
花粉アラモード
指揮者:「白人界では、たとえライブ・レコーディング中でも、ハナをかむ音はOKということになっているそうだ。逆に、タブー中のタブーがハナをすする音で、私たちが何気なくたてる「シュン」という音に、凍りついたような顔をする。」
弦楽器:「・・・高い楽器にハナが落ちるとシミになって、何百万円も安くなるのが一番困る。
N響旅芸人
オーケストラのゲストたち
登場する数人すべて無教養な私は知らず、ありがたみが分からなかった。
定年ビフォーアフター
文庫版を買って下さったあなたに二編
「私たちがステージで正装しているのは、曲に対してなのですよ。」
初出:「音楽現代」というクラシック音楽のマニアックな雑誌に連載を中心にした『バイオリニストに花束を』(2009年4月中央公論新社発行)に2編を加え再構成
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
著者の成り上がり(いい意味)過程は、淡々と語るので、「フムフム」と興味深かった。母の介護のためにへとへとになりながらも片道1時間半かけてN響に通い続けたことも、さらりと語るだけで、感じが良い。
音楽好きな家庭であったが、貧乏で田舎(山形)だった。この時点でN響に入るなど論外の環境だと思う。プロとしては遅く10歳でバイオリンを始め、中三でレッスンのため東京のお金持ちの上級家庭に居候。学業優秀で駒場高校に進んだが、父親が失業して続けるのが困難になった。奨学金に助けられ、芸大に入り、卒業後は様々な場所で演奏し、やがて突然やってきたチャンスをものにしてN響楽員の座を奪い取り、定年まで演奏一筋で突き進んだ。
音楽への愛情、努力、才能が人の助けを引き寄せて、困難な状況を乗り切って、天職をつかみ取った。
向こうっ気強い性格、直截的な語りも、ユーモアに包まれ、たのしく読める。「四つ星」としても良いのだが、 クラシックファンではない私には、オーケストラやマエストロの実状、裏話を知っても、「へ~」と思うだけなので「三つ星」とした。
鶴我裕子(つるが・ひろこ)
福岡県生れ。東京芸術大学卒。
1975(昭和50)年にNHK交響楽団に入団する。第一バイオリン奏者(バイオリンはファーストとセカンドの2集団に分かれている)を32年間務めた。現在は人前ではバイオリンをまったく弾いていないという。
著書『バイオリニストは目が赤い』、本書、『バイオリニストは弾いてない』。
調べても年齢不詳だったが、本書に「ギドン・クレーメル」と生まれた年月日がまったく同じと嬉しそうに書いていて、年齢がばれてしまった。1947年2月27日生まれで今年古希。