先日JR西日本の事故報道は「過情反応」であると指摘したが、依然として社員のゴルフ大会や温泉旅行などを糾弾した所謂バッシング報道が続いているように思える。記者が会見中のJR幹部にひどい言葉で責任追及する絵を見ると嫌な気分になる。被害者が激情に駆られてJR西日本社長に迫っているところを電波に乗せているが、私には一種のプライバシーの侵害ではないかと思う。報道メディアの見識を疑わずにはいられない。
何を言われようとJR西日本はひたすら頭を下げてやり過ごすしかない。報道は何をいっても歯向かって来る恐れが全くないといわかっているものだから、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に重箱の隅をつついて非難を続けている。これはまさに「弱いものいじめ」の典型的なパターンである。先日の中国の反日運動報道ではバランスの取れた報道(それで良いのだが)だったのは、実は相手が手ごわくて報復を恐れたからだったのか。
あるべき報道として鉄道の安全運行のための対策はどうあるべきか、その対策がいつうたれるか、福知山線以外は大丈夫か、他の鉄道会社に潜在的な問題はないのか等々をフォロウし、その妥当性や進捗を見て鉄道会社を継続して後押し・批判する中で「情」の部分の実態と重要性を説いていくのが順序ではないだろうか。報道の中にはそういう意図も多少は感じられる時もあるが、途中で脱線して情に流されているというのが正直な所かもしれない。しかし報道が「情」にフォーカスすると、情が冷め熱気が薄れると肝心の根本解決が忘れられ、報道もしなくなってしまうという情けない事態になる可能性が高い。
そうならないためにはTV放送民放5社の中でせめて1社でもよいから切り口を変えて「情」を抑えて「理」で迫って欲しかった。1社くらいは事故当日の娯楽番組をはずしてニュース報道を続けるなどTV局の報道のあり方を示せなかったのか。報道の役割は厳しい。ウォーターゲート事件でワシントンポストが孤立無援の中、ニクソン政権を追求していったことを思い出して欲しい。それに比べれば今回の事故は報道機関の考え方ひとつで違った切り口で迫ることが出来た。日本はそういうメディアのある国になって欲しい。
何を言われようとJR西日本はひたすら頭を下げてやり過ごすしかない。報道は何をいっても歯向かって来る恐れが全くないといわかっているものだから、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に重箱の隅をつついて非難を続けている。これはまさに「弱いものいじめ」の典型的なパターンである。先日の中国の反日運動報道ではバランスの取れた報道(それで良いのだが)だったのは、実は相手が手ごわくて報復を恐れたからだったのか。
あるべき報道として鉄道の安全運行のための対策はどうあるべきか、その対策がいつうたれるか、福知山線以外は大丈夫か、他の鉄道会社に潜在的な問題はないのか等々をフォロウし、その妥当性や進捗を見て鉄道会社を継続して後押し・批判する中で「情」の部分の実態と重要性を説いていくのが順序ではないだろうか。報道の中にはそういう意図も多少は感じられる時もあるが、途中で脱線して情に流されているというのが正直な所かもしれない。しかし報道が「情」にフォーカスすると、情が冷め熱気が薄れると肝心の根本解決が忘れられ、報道もしなくなってしまうという情けない事態になる可能性が高い。
そうならないためにはTV放送民放5社の中でせめて1社でもよいから切り口を変えて「情」を抑えて「理」で迫って欲しかった。1社くらいは事故当日の娯楽番組をはずしてニュース報道を続けるなどTV局の報道のあり方を示せなかったのか。報道の役割は厳しい。ウォーターゲート事件でワシントンポストが孤立無援の中、ニクソン政権を追求していったことを思い出して欲しい。それに比べれば今回の事故は報道機関の考え方ひとつで違った切り口で迫ることが出来た。日本はそういうメディアのある国になって欲しい。