かぶれの世界(新)

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JR尼崎事故は日本病!

2005-07-05 11:55:20 | ニュース
柳田邦男氏が月刊「現代」7,8月号に書いたJR西日本福知山線の事故の調査検証報告は短期間にもかかわらず期待通り事故の本質に迫った内容だった。事故にあった人達の目線で見た現場からの発想から、ヒューマンファクターの分析、経営体質・組織の問題を取り上げ、後半で雪印や三菱自動車と共通する一流企業の感性・危機意識の欠如を「日本病」と呼んで警鐘を鳴らしている。

短期間にこれだけの分析が出来るのは、著者の多様な経験と考えがあり彼の公式に事故を無理なく当てはめる事が出来たからであろう。基本的な考え方は既に80年頃の著書「死角、巨大事故の現場」等にありその延長線上で調査分析されている。何故少し気をつければ防げる簡単なミスが起こるのかヒューマンファクターの視点から説明されているのを見て当時新鮮さを感じた。人は気がかりなことがあると注意力が散漫になり誰でも簡単なミスを侵す、ミスを前提に安全を考えるべきというものであった。日本では事故の責任を取らせる為よりトップから現場まで人に焦点を当て、仕組みから手順までシステムの改善が十分でない場合が多い。加えて今回の問題は事故に至る過程とその背景が当時より悪化している、柳田氏は病んでいると捉え「日本病」と呼んだ。

年月かけて愚直に技術・品質を追求し作り上げた日本鉄道の安全神話が壊れた。いつから大本の底流変化が始まったのだろう。柳田氏はバブル崩壊後日本企業が業績至上主義になり優先順位が狂ったことに原因を求めている。私はその少し前管理職として働き始めた頃に発生したバブルにより私自身を含め人々の心の変化を感じていた。バブル崩壊後、末端からトップまでもがき苦しみ業績回復に努めた。その論理的根拠で精神的支柱になったのは善悪にかかわらずグローバルスタンダードであり、経営コンサルタントが全国に布教したのである。経営者はコンサルタントに選択と集中、効率化やリストラは聞いても安全第一は聞かず(人は聞きたいことのみ聞く事を忘れてはならない)、現場から経営幹部までじわじわと心の変化が進んだ。

三菱自動車の事故隠し・データ改ざんのニュースを聞いた時、最初は危機管理や情報伝達の問題と思ったのだがそうではなかった。「このりんごは芯が腐っている、一部の人の心得違いと違う。人や組織を変えてもそう簡単に直らない」と感じた。80年代米国製造業の品質の悪さは我々から見ると信じられないくらい酷かったが、日本でそれが起こった。同じような不祥事が続出するのを見て柳田氏が「日本病」と呼んだのは的を得ている。ビジネスだけではない、政・官・メディアの三権も優先順位が狂ってしまった。この事故の報道にも本質に迫り改革に手を貸していこうという姿勢は感じられなかった。柳田氏は「日本という国のシステムの根本的な欠陥」であるという。

80年代に日本が日の出の勢いで経済成長を続け世界を圧倒していた頃読んだ欧州の老歴史家の論評が今でも忘れられない。その趣旨はこんなものだった。「世界の歴史を辿ると、日本が繁栄を何年も続けるとは思えない。繁栄を世代を超えて伝えるのは大変なことなのだ。豊かな社会で育った次の世代に、競争力があり優れた“日本文化”(礼儀正しさ、規律、労働規範等)なり哲学を継続して伝えられると思えない。日本社会には世代を超えて伝えるべき強い精神的支柱はない。1世代、長くて2世代だけの繁栄でその後歴史の表舞台から消えていくだろう」と。当時は随分日本を甘く見てるなと思ったが忘れることは出来ない言葉であった。最早私には10年経ったらどうなっているか予想もつかない。■


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