この記事は「高齢化の時計」シリーズの特別号だ。一昨日に病院からベッドが空いたので(前立腺ガンを確認する為の)生検をやると連絡が来た。1日入院して検査する。初診時に説明された要領で昨日生検を実施し、今朝の回診で異常が認められなかったので退院が許可された。
古くて新しいガンセンターまでの道
車での入院は禁止されていたので、昨日朝食を済ませ最寄のバス停に向かった。約20年前に小学生だった娘と末の息子の二人を初の冒険旅行に送り出した時を思い出した。その日の午後、松山市の道後公園あたりで落ち合った。その間二人は調べて子規堂などの名所を観光したようだ。
松山から私鉄に乗り換え東温市に向かい梅本で降りた。バス乗り場がどこか聞いて歩き始めると駅員が追い駆けてきて、20分余りバスが来ないと親切にも教えてくれた。すぐ前方に大きなビルが見えたが、ウロウロする私を見てタクシーが近づき横付けになった。初乗り料金だけどといったが、構わないと言う。ここはそういうお客が殆どだそうだ。物の数分で病院に着いた。
入院手続きが終り暫くすると担当看護婦が来て5階の病室に案内してくれた。個室しかないと聞いていたが、急に空いたという4人部屋があると聞き変更した。2日で1万円の節約になった。母は大部屋を嫌ったが、私は寧ろ個室に一人になるよりマシだと思った。だが、それ程甘くなかった。
ジャージに着替えロッカーに荷物を片付けると、早速別室に移って看護婦の通常の問診から家族のことまで聞き取りが始まった。感じの良い中年女性で7年前に松山市堀之内から引っ越してくる前からガンセンターに勤めていたという。その途中に担当医が割って入って問診が始まった。
待っていたグッドニュース
担当医は初診時の医者とは違っていた。話を始めて直ぐ彼の若くてメリハリのある喋り方を好ましく思った。彼の言葉を聞いて当地の人ではないねと聞くと、彼は関西出身で倉敷中央病院から交換できたと言う。泌尿器科は主治医制をとらず6人の医師で適宜対応していくと言う。彼以外は地元の愛媛大と徳島大の医学部出身だと言う。
最初にガンの疑いは前立腺のみで他の臓器に転移は認められないと、実家の近くの医師会で測定したMRI写真を見てガンセンターとしての判断を説明された。前立腺の薄皮内に収まっているという。紹介状には専門医と医師会の診立てと何故違うのか怪訝な顔をすると、それが(経験を積んだ)ガンセンターの見方とのこと。
更に、ガンセンターで実施した血液検査の結果PSAが17(基準値は4だから依然大きい)まで低下していたと言う。(今はもっと低いかもしれないが)以上の事からガンである可能性は五分五分だと言う。最初に診てくれた専門医は8-9割と予測した。今回の生検入院はこの地点からスタートし、サンプルを採取してガンかどうか確認して治療を進めようというものだと理解した。
はっきり物を言う若い医者だった
初診時の問診で、検査だけここでやって治療は東京で受けたいと希望しているように受け取られていた。私の言い方が曖昧で誤解させた可能性がある。私は即座に先生の判断に従うのが基本、但し治療内容によっては家族が近くにいたほうが良い場合はそうしたい(医者に助言を請う)と訂正した。医者を変える毎にゼロからやり直す効率の悪さは避けたいと。
彼は年末年始に東京に戻るのを勧める、治療の方法は幾つもあり検査によっては1ヶ月掛かるものもある、東京でしか受けられない治療なら必ず助言すると明確に言った。私はまだ若いのでやり方は色々あるという。若くないよと答えると、ガン年齢は70歳だという。一般論としてはそうかもしれないが、人夫々だとしか思わなかった。元気付けようとしているのは分かったが。
医者の腕は分からないが、彼のはっきりしたものの言い方が気に入った。対決を好まず、曖昧で物をはっきり言わないのが愛媛県人の特徴と思うが、彼のストレートな率直さが新鮮だった。とても分かり易い。先ずは彼の治療を受けようという気になった。
事前準備
担当医との面接が終ると、再度看護婦の聞き取りを続けた。何か不安なことがあるかと聞かれ、機械の助けを借りてガンに掛かった前立腺を殆ど切開無しで全摘するテレビ画面を思い出した。「ちんちんが使えなくなるかもしれない」と応えると、さすがベテラン看護婦で眉一つ動かさず聞き流した。昔米国でオイルマッサージを受けた時、意思に反して元気になった息子を摘んで何事も無くタオルに隠したカイロプラクティシャンを思い出した。プロは突然のアタックも軽く受け流す。
生検の前に部屋に戻って抗生剤を飲み体温と血圧を測った。そのあと別の看護婦さんが来て浣腸した。担当医との面接で検査の前に浣腸を勧められた。大腸菌が傷に侵入し熱が出たり、1/2000の確率で敗血症になる臨床例があるという。彼は前の病院では必須だったと聞き、即やってくれと応えた。看護婦さんは5分我慢しろといったが、1分も持たずトイレに飛び込んだ。
本番
検査室は意外に狭く、壁際のベッドと反対側の机に測定器が入ると足の踏み場もなくなる。パンツを下ろしお尻を突き出して壁に向かい横になった。最初は触診、狼藉されたと言う感じ。ハリウッド映画で、刑務所に入ると後ろから犯されるぞとチンピラを脅かすお決まりのシーンを思い出した。
「ビーツービー、レフト」と言う声がした。実際「レフト」というより、“left”と聞えた。左側に何かあったのかと聞くと、左側の硬化が進んでいる、B2Bは4段階の硬化の2段階目だという。1段階はT1Cというと返事だった。問題は良性かどうか、その為にサンプルをとって調べるわけだ。
いよいよ生検が始まった。心電図の電極を何ヵ所か付け、血圧と血液酸素量を測定できるようセットし、肛門を消毒するといよいよ大きな棒切れが這入ってきた。棒切れは前立腺観察用の超音波プローブ、これにサンプル採取用の針がつけられている。最初は肛門の周りの筋肉が緊張して抵抗していたが、そのうちすっと奥まで入ったように感じた。ハリウッド映画の刑務所で犯された感触はきっとこうだと思った。(続く)■