かぶれの世界(新)

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天邪鬼12.8

2011-12-09 15:38:58 | 社会・経済

70年前の12月8日朝、ラジオの臨時ニュースは日本がハワイ・真珠湾を攻撃し米国と戦争状態に入ったと報じた。新聞は高らかに開戦を伝え、知識人も国民も高揚したといわれている。そして4年後の1945年8月15日に広島・長崎に原爆投下され、追い込まれた日本は天皇が終戦の詔勅をくだした。

日本が岐路に立ちその後の運命を決めたのは12.8だったが、今日国民的な行事となっているのは8.15だ。広島・長崎の原爆投下から終戦追悼まで天皇・首相から一般国民まで儀式に参加し大々的に報じられる。一方、12.8は昨日からのテレビ・新聞報道は極めて地味である。3つの主要新聞がこの時期に12.8に関る社説を掲げたのは朝日新聞だけだった。

朝日の社説は真珠湾を今日に照らし3つの教訓があると説いている。即ち、(1)危機の時代に性急な解決を求めるな、(2)少数者の意見を尊重し広い選択肢を持て、(3)世界の中で他者の視座でわが身を見よ、と。最初の2つに朝日の本音を感じ、最後はバランスを採る為付け足したと感じる。私には誰に対する教訓か良く分からない、そもそも朝日に自己反省が感じられない。

日本の運命を決めた12.8は何故こういう扱いなのか。自分の責任を無視し、自分が被った痛みだけ声高に主張する傾向を感じる。それが朝日の主張する少数者なのかもしれない。8.15には原爆被害とか戦争中の難儀を思い起こさせて戦争の被害者になれる都合の良さがある。一方、12.8は戦争を引き起こした加害者であった現実を付きつけられる。それが12.8には触れたくないという想いを反映した結果の現れだと感じる。

以前から指摘するように被爆者や沖縄の人達も開戦に高揚した国民の一人であり、或いは戦争に参画した。これを忘れて、ただ被害者の顔をするだけでは世界の理解は十分に得られないと私は思う。12.8の過ちを繰り返さない決意を示さなければ、いわば国ぐるみで被害者根性に浸っているようなもだと天邪鬼の私は信じる。■

コメント
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