東京に戻った翌日から都会生活の日常が始まった。翌日、先ずは田舎のパソコン環境を自宅のパソコンに移行した。数年前からUSBメモリーで簡単に移行できるようになった。翌々日は家族パーティに参加し、次の日に年賀状を書いた。その間に自宅の手入れ、床下の防虫点検、年末年始の準備をやった。帰京前にはやることが一杯あるように感じて気が重かったが、やってみれば恒例のルーチンワークで淡々と進んで行った。
クリスマス・パーティ
娘夫婦のうちのポットラック・パーティに行った。こちらにいる間は家族が集まる機会を沢山作りたいと思っている年中行事の一つだ。長男の嫁と孫が急性ウィルス胃腸炎になったそうで主役が不参加になったので、その前に五反田のアパートに見舞いに立ち寄り、予約してくれていたチキンを受け取った。冴えない顔でベッドにいる母子を見て、心細さそうなのが可愛いと思った。
娘夫婦の家までタクシーに乗ろうとすると、千歳台までは遠くてもったいないから電車で行けという。聞くと渋谷まで行き乗り換えて下北沢、更に乗り換えて千歳船橋まで来れば迎えに来てくれるという。随分遠回りのように感じたが、電車でも意外と早く行けた。小田急には区間準急という名の電車にまごついたが、文字通りある区間だけ準急になると聞き納得した。
今年の持ち寄り料理は刺身・チキン・ビーフで美味しく頂いた。普段余り料理しない娘が簡単レシピを見ながらロースト・ビーフと食後のブッシュ・ド・ノエルを作ったというが、意外に手作りの美味しさがあった。シャンペン2本とワイン1本のアルコール効果が大きかったのかもしれない。家族で美味しい料理を頂き、酒を飲むのが一番の楽しみだ。我ながら年をとったと思った。
年賀状
次は年賀状だ。近くのデパートの前にテントが張られ、郵便局が出張ってきて年賀状を売っていた。場所と雰囲気のせいか郵便局内にいる時より職員の愛想が良い。インターネット時代でも意外に年賀状の売り上げはそう減ってないという。だが7割がインクジェット用だそうだ。
年賀状の年始の挨拶は簡単なのだが、恒例で追加する政治経済予測に手こずったが、決まれば後はパソコンの仕事。作成した本文を打ち出して見直すと、宛名書きと上下逆様の打ち損じが何と40枚もあった。こんなことは初めてだ。最近は失敗すると深く考えないで、何でも年齢のせいにして片付ける。翌日、郵便局で1枚5円の実費を払って交換してもらい、打ち直して投函した。
床下点検
元々畑だったところに建てたので、自宅の床は湿気が多いといわれている。我家は建築法が変わる前なので、むき出しの地面に基礎が打ってある。地面をコンクリートで覆ってないので湿気の影響を受けやすい。更に10年位前に風呂からの水漏れがあってカビが大量発生し押入れの床が腐り、床下に換気扇を取り付けた経緯があった。昨年地元農協の紹介で床下に乾燥マットを敷き、その1年後の定期点検を急遽実施して貰った。
直前の連絡だったが、点検は契約に基づくもので是非調べて欲しかった。というのも、田舎から自宅に戻り風呂桶と床のタイルの継ぎ目に隙間を見つけたからで、応急手当をしたものの今までの水漏れの影響が心配だった。2時間あまりの点検でカビもシロアリも無いことが確認されホッとした。点検してくれた作業員に聞くと我家が最後で、これで仕事納めだという。建築法改正後の家が増えても仕事は減らないのだそうだ。
ニトリからシマチュウへ
末の息子がCDラックを買いたいので付き合ってくれと頼まれ、近くのニトリに車で行った。年末の買い物客が多いせいだろうが、パーキングに入る車の行列が甲州街道まで続いていた。目指す商品を見つけると、今度はレジに並ぶ長い列があった。
ベビーカーでむずかる子供に手を焼いている感じの良い母娘が列の前にいた。ついつい何時ものように口出しをすると、子供は泣き止み「このオジサン誰だ」と怪訝な顔をし、機嫌が直った。「知らないオジサンと話しちゃダメだぞ」なんて軽口を叩くと、母娘の顔に笑みが浮かんだ。支払いを終えた若いお母さんが遠くから振り返って会釈をした。何だか気分良い。
翌日自宅から歩いていける距離にあるシマチュウに行ってカーペットを買った。お正月に孫が来た時フローリング床よりカーペットの方が良いとの娘の助言に従った。同じ値段ならニトリの方が物が良いと思ったが、シマチュウの方が安いカーペットを置いていたので迷わず買った。消耗品なら安いほうが良い。何となくユニクロとシマムラの関係を連想した。
散歩の途中バドミントンクラブのリーダーに偶然会った。彼は退職前に同じ会社に勤め、数年前ガンを患い治療後元気になった。私がガンの疑いで検査を受けた、来年に再検査を受けることを報告すると、彼は自分の例を教えて元気付けてくれた。そう言ってくれるのは分かっていたが、知って欲しいという私の気持ちが余計なことを言わせたようだ。■