かぶれの世界(新)

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棚経オン・ザ・ゴー

2013-08-13 22:00:33 | 日記・エッセイ・コラム

朝食を済ませると急いで棚経の準備をした。前日までに我が家で昔から伝わる盆棚(精霊棚というらしい)を作っておいた。応接の隅に座卓を置き、錦布を掛け仏壇から過去帖やお位牌を移して並べ、果物やフェイクのお供え物、両側に御花や灯篭を置き、その前に蝋燭立てや線香などを並べ、その後方に弘法大師が描かれた掛け軸を2本ぶら下げた。

母が元気な時はもっと手の混んだものだったが、私は手抜きさせてもらった。実家に来て以来初めて座敷や応接に面する雨戸を全開すると部屋がすっかり明るくなった。後から聞くとこれが良かった。和尚は雨戸が空いているので誰かいると思い、お経をあげに来てくれた。昨年は松山の母を見舞い友人に会う約束で午後からと事前に連絡したが、朝来て留守と見なされそれで終った。

和尚は9時過ぎに来ると前日聞いていた。8時半頃から東屋で新聞を読み待っていると9時半頃にバイクにまたがって和尚が現れた。もうとっくに70歳を過ぎているはずなのに炎天下のもとバイクで檀家を回るのは大変なはずだ。お経をあげたあとお茶を飲みながら母の近況と子供の仕事について報告した。こうやってお盆の3日間で檀家の情報収集をするんだと思った。

息子が最近仕事で中国のシーアン(西安)に行くようになったと報告すると、西安は昔長安といい秦の皇帝もいたと流れるように和尚は説明した。弘法大師が修業したところだという。道理で詳しいはずだ。以前聞いた仏教大で散々勉強したんだと思った。

最近田舎のお寺は檀家が減って経営が大変というニュースを聞いたことがあるが、和尚はそれほど心配してない口振だった。お墓の移転は土を少し持っていくだけ、墓石は処分するのだそうだ。寧ろ東京で生まれ育った私の子供達が将来先祖のお墓をどうするのか、私の心配事を聞いて貰った。だが、和尚に答えがあるはずがない。

話が長くなる前に和尚には相談事があった。昨日施設の母を見舞い、母の預金の一部をお寺に寄付する相談をした。父は地域に貢献する前の定年間際に死んだので、お寺や神社とか集会所などの何処にも名前が残ってない。せめてお寺に寄付して父と母の名前の石碑を残しておきたいというと、母は死んでからじゃないかと最初応えた。だが、私は寧ろ母が生きているうちにそうしたいといい説得すると了解してくれた。

和尚にかいつまんで説明し何かそういう機会があれば寄付したいと言うと、和尚は礼を言って考えてみると返事が帰ってきた。この話で頭が一杯だったので、いざお布施を渡す段になってどこにおいたか記憶が飛んだ。和尚には後で奥さんに渡しておくと平謝りしてバイクの和尚を見送った。その後直ぐに徒歩でお寺に向かいお布施を奥さんに渡した。やけに暑い往復だった。■

コメント
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