今月は我一族の繁殖月間だ。母と息子2人と孫1人が7月に生まれた。今日は家族全員が集合して銀座中央通り沿いにある小籠包のお店で誕生パーティをやった。その前に定例の子供達との期末会議の為、小籠包の近くのルノアールでコーヒーを飲みながら実績報告をした。私が突然死しても引き継げるようにする会議だ。その時から長男は何だか元気が無かった。
1時間後に小籠包のお店に行き、遅れて参加した家族を待たずさっさと飲み食いを始めた。そのお店はかつて長男が上海出張時に行った同じ店で、日本にも店を開いたので家族にも食べさせたいと選んでくれた。前日埼玉でサッカーをしてぼろぼろになったという娘の夫君や孫たちも遅れて参加した。流石に専門店だけあって、小籠包はとても美味しかった。ついでに言うと案内してくれたウェイトレスも美人だった。
パーティが終わり娘夫婦と分かれ三越に行き以前から約束していたバッグを長男の嫁さんにプレゼントした。買い物が終わり9階に上がると、屋上の公園で孫の面倒を見ていた長男が気分が悪と訴え、暫くすると立てなくなってソファーに横たわった。見る間に症状が悪化した。警備員を見つけ家内と行き助けを求めると表の交番に行けという。私は分かってないと思い、家内に俺に任せろと言い1階の受付に行った。
受付の女の子は救急車を呼ぶか、或いは、自力で行けるならと救急病院最寄りの病院の聖路加国際か慈恵医大を紹介してくれた。ちょうどその時長男の嫁さんから具合いが悪化し、倒れたままになったと電話連絡を受け、受付の女の子に救急車を呼んでくれと頼んだ。彼女は受付からは呼べないが、担当の係員に連絡して対応させ、私には直ぐにエレベーターまで行ってくれ言った。そこで男性の係員が付き添ってくれ専用のエレベータで9階に戻った。
ソファーの辺りは人だかりができ、三越の担当スタッフと思われる人達数人が、書類をうちわ替わりに長男に風を送り氷の袋を後頭部に当て、その横に家族が心配そうに眺めていた。長男の顔色はそれほど悪くなかったと思うが、右腕が痙攣していた。嫁さんに紹介されたまたま隣にいたという医者が見てくれ、熱中症のようだ、脈拍はしっかりしているからたぶん大丈夫だと言ってくれた。
そのうち、担架を持った救急員が来てくれ直ぐに血圧等を測り担架に乗せた。書類を覗くと血圧は144-92とやや高め程度で少し安心した。1階に着くと救急車が百貨店に横付けされており、長男家族が一緒に救急病院に連れて行かれた。病院は三越から直ぐ近くの木挽町病院だと聞き、歌舞伎座の裏側にある小さな救急病院で歩いて行ける距離にあった。
私は残りの家族に先に行かせて受付等にお礼を言いに戻った。遅れて病院に着くと長男は点滴を受けているという。暫くすると看護婦に呼ばれ嫁さんが病室に行った。両親がいなくなって孫達は大声で泣き始め、その後1時間は子供を慰めるのが我々の役割だった。約1時間半後、長男は歩いて出て来た。点滴を受けただけというが、思ったより顔色は良く足元もしっかりしていた。
嫁さんは少し怒っていた。このところ凄く忙しく、何度注意しても夜中に起き出して仕事をすることがあった。今日もパーティの後に仕事の予定で、先ほどの電話は会社への断りの電話だという。確かにそりゃやり過ぎだ。長男は本当に私によく似ている。思ったよりしっかりしていたので、本人の訴えを聞いて病院を出て別れ別々に自宅に戻った。それでも凄く心配だったが、自宅に戻ると嫁さんから無事戻ったと報告を受け、やっと安心した。
駅に着くと東京競馬場から花火が上がっていた。夜のニュースでは今日の猛暑のため全国で769人が救急車で運ばれ、二人が亡くなったという。そのうち関東地区では286人だったという。別れる前に長男は歴史に名を刻んだ、今日のニュースに数字が出る、その数字の一人になると言って別れた。イエス、長男は7月12日の286分の1になった。■
1時間後に小籠包のお店に行き、遅れて参加した家族を待たずさっさと飲み食いを始めた。そのお店はかつて長男が上海出張時に行った同じ店で、日本にも店を開いたので家族にも食べさせたいと選んでくれた。前日埼玉でサッカーをしてぼろぼろになったという娘の夫君や孫たちも遅れて参加した。流石に専門店だけあって、小籠包はとても美味しかった。ついでに言うと案内してくれたウェイトレスも美人だった。
パーティが終わり娘夫婦と分かれ三越に行き以前から約束していたバッグを長男の嫁さんにプレゼントした。買い物が終わり9階に上がると、屋上の公園で孫の面倒を見ていた長男が気分が悪と訴え、暫くすると立てなくなってソファーに横たわった。見る間に症状が悪化した。警備員を見つけ家内と行き助けを求めると表の交番に行けという。私は分かってないと思い、家内に俺に任せろと言い1階の受付に行った。
受付の女の子は救急車を呼ぶか、或いは、自力で行けるならと救急病院最寄りの病院の聖路加国際か慈恵医大を紹介してくれた。ちょうどその時長男の嫁さんから具合いが悪化し、倒れたままになったと電話連絡を受け、受付の女の子に救急車を呼んでくれと頼んだ。彼女は受付からは呼べないが、担当の係員に連絡して対応させ、私には直ぐにエレベーターまで行ってくれ言った。そこで男性の係員が付き添ってくれ専用のエレベータで9階に戻った。
ソファーの辺りは人だかりができ、三越の担当スタッフと思われる人達数人が、書類をうちわ替わりに長男に風を送り氷の袋を後頭部に当て、その横に家族が心配そうに眺めていた。長男の顔色はそれほど悪くなかったと思うが、右腕が痙攣していた。嫁さんに紹介されたまたま隣にいたという医者が見てくれ、熱中症のようだ、脈拍はしっかりしているからたぶん大丈夫だと言ってくれた。
そのうち、担架を持った救急員が来てくれ直ぐに血圧等を測り担架に乗せた。書類を覗くと血圧は144-92とやや高め程度で少し安心した。1階に着くと救急車が百貨店に横付けされており、長男家族が一緒に救急病院に連れて行かれた。病院は三越から直ぐ近くの木挽町病院だと聞き、歌舞伎座の裏側にある小さな救急病院で歩いて行ける距離にあった。
私は残りの家族に先に行かせて受付等にお礼を言いに戻った。遅れて病院に着くと長男は点滴を受けているという。暫くすると看護婦に呼ばれ嫁さんが病室に行った。両親がいなくなって孫達は大声で泣き始め、その後1時間は子供を慰めるのが我々の役割だった。約1時間半後、長男は歩いて出て来た。点滴を受けただけというが、思ったより顔色は良く足元もしっかりしていた。
嫁さんは少し怒っていた。このところ凄く忙しく、何度注意しても夜中に起き出して仕事をすることがあった。今日もパーティの後に仕事の予定で、先ほどの電話は会社への断りの電話だという。確かにそりゃやり過ぎだ。長男は本当に私によく似ている。思ったよりしっかりしていたので、本人の訴えを聞いて病院を出て別れ別々に自宅に戻った。それでも凄く心配だったが、自宅に戻ると嫁さんから無事戻ったと報告を受け、やっと安心した。
駅に着くと東京競馬場から花火が上がっていた。夜のニュースでは今日の猛暑のため全国で769人が救急車で運ばれ、二人が亡くなったという。そのうち関東地区では286人だったという。別れる前に長男は歴史に名を刻んだ、今日のニュースに数字が出る、その数字の一人になると言って別れた。イエス、長男は7月12日の286分の1になった。■