かぶれの世界(新)

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憲法は人の上にはない

2015-07-18 11:47:47 | ニュース
東京から戻って3日目、落ち着いたところで義弟から連絡があり馴染みのレストランで食事した。彼は田舎での懸案事項が片付き大阪に戻る前に一緒に飯を食おうという訳だった。私達には時間はたっぷりある。最近のマーケットをどう見るかから安保法制まで話題は多岐にわたり長い食事が続いた。

話題の新国立競技場で吹っ飛んだ感があるが、二人の関心は圧倒的に安保法制だった。我々は安保法制を巡る議論が的外れの方向に向かい、ちっとも議論が深まらないのに少し苛立ちを感じていた。衆院で116時間の審議後に強行採決に際して、理解が深まってないと安倍首相自身も認めたと報じられた。

一体何故これ程の重要法案の議論が深まらないのか。私は与党が具体的議論を避けたと思うが、民主・共産等の野党が何が何でも反対という姿勢を貫いたことの責任も大きいと思う。政府が主張した安全保障環境の変化をどう認識して、それに対しどう国民を守るか対案を示して議論しなかった。特に憲法学者が安保法制を違憲と指摘して以来、議論は合憲か否かに矮小化してしまった。これでは幾ら時間を費やしても無意味だ。

安保法制は合憲でなければならないと私も考える。だが、その前の論議として我が国の安全保障環境をどう認識するかコンセンサスを得るべきなのだ。そのもとで国民を守る為に必要な対応が違憲なら、速やかに憲法を変える議論が必要だ。時代の変化によって都合が悪くなった憲法を変えられない国などどこにもない。何があっても護憲との主張には違和感がある。国民を守れない憲法などあってはならない。

その間テレビは国会周辺での反対デモを繰り返し伝え、日本を戦争する国にするなとか、息子が意志に反して徴兵されるとかいう次元の町の声をよく見かけた。ヒョウ柄のオバチャン達が代表する町の声だ。テレビに出演した多くの評論家は政策よりも手続きや政局を解説するばかりで、オバチャンとそう変わらない失笑ものだった。

私は議論が深まっていない別の原因の一つはこのようなマスコミの報道姿勢にあると考える。私のテレビ報道以外の情報源は新聞とネットだ。私が毎日チェックしている日本経済新聞では、安保法案が衆院通過する間際のここ数日にやっと我が国を巡る安全保障環境の変化について詳しく報じ始めた。遅すぎる。

マスコミは最低でも国会審議が始まった頃から安全保障環境について報じるべきだった。テレビは視聴率を理由にした町の声やデモなどの分かり易く短い映像を流すか、国会日程手続きや政局の解説に当てた時間を政策議論に回すことが出来たはずだ。私は義弟に結局は国民の理解が深まらないのはメディアが三流のせいだと決めつけて行った。NYタイムズ・WPがある米国やBBCやFTがある英国が羨ましいと。

今朝の新聞テレビは安全保障論議が国立競技場の白紙見直しに乗っ取られていた。我々国民は情けないけどその程度だ。日本のマスコミの自信不足は何かにつけ海外メディアを引用する。だが、それは都合のいい引用だ。今回の安保法制に関して海外の反応を紹介しないマスコミには違和感を越えて不信感がある。三流と決めつけながら、二流や一流を求めるのは無理があるが。ちょっと寂しい。■
コメント
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