かぶれの世界(新)

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一時帰国(終)

2015-07-16 18:00:42 | 日記・エッセイ・コラム
今、四国の実家で台風11号を待ち構えている。実家は台風の西側になりそうで、雲の流れを見ても大丈夫だと思う。台風に先立って一昨日の夜東京から田舎に戻った。5日間の短い東京滞在だった。

台風が来る2日前に松山に戻れたのは幸運だった。昼食をとった後残りの時間で読みかけの本を読み切った。LCCの規定で持ち込み荷物の重さは7kgまでなので、ハードカバー1冊の重さはバカにならない。往路では0.3kgオーバーしタブレットを手持ちにして7kg内に収めた。チェックイン時に僅かな時間で井戸端会議して打ち解けたカウンターの女性のアドバイスが利いた。帰りはそんな心配も不要だった。

八重洲口から成田まで1000円で行けるリムジンバスに乗った。乗り込み時運転手に千円を払えと言われたが、後ろに並んだ金髪女性が何も準備してないようで助言した。彼女は私の言っている言葉が分からない様子だったが、後ろの男性の手に回数券の束を見つけて「大丈夫」と表情で知らせると彼女にも伝わった。彼女のグループはずっと後ろに座ったのでそれきりになった。私の隣に座った若い女性は成田までずっと寝てた。

成田のLCC専用ターミナルの待合室ではWiFi接続の無料サービスがあり、いつもやっているメールチェックや情報検索ができた。何時もより早く搭乗案内の放送がありバスに乗った。風が酷く強いので猛暑が気にならなかった。飛行機は東風に向かって飛び立ち房総海岸まで達してから西に向きを変えた。私は窓側の席、隣は空席で通路側に親子連れらしきオバチャンが座った。彼女は30代らしき反対通路の息子との話に夢中だった。

ということで、今回は松山に到着するまで空からの景色を見ることになった。しかし、神は私を見捨てなかった。ディズニーランドからお台場、レインボウブリッジ、東京湾の真ん中から木更津に向かう橋、羽田空港、横浜のランドマークビルが見えた。この後ちぎれ雲が流れ薄い霧で景色がかすんでいたものの、松山に着くまで雲の切れ目からポイントとなる景色が全て見えた。運賃以上の経験をさせて貰った。

暫くすると江ノ島が見え始めた。後ろの座席の女性が同じように窓に顔を付けて景色を見ているので、私は声をかけて解説を始めた。江ノ島から藤沢・茅ケ崎、その右手が小田原で伊豆半島だと。後ろから男性の声が聞こえカップルだと分かった。嫌がっている様子はないが、解説は遠慮し景色に集中した。静岡に入り三島の先から町名は特定できなくなったが、そのうち浜名湖が見え逆算して東側が浜松だと分かった。

更に遠方に知多半島、手前の名古屋湾に中部国際航空が突き出しているのが見えた。ここから暫く雲に覆われ景色は見えなかったが、その先に大阪湾に臨む大阪・和歌山の町と関空が見えた。東京湾に比べ海に浮かぶ船の数が圧倒的に少なかった。神戸を過ぎて淡路島の大きな島影と手前にかかる大橋が見えたが、鳴門大橋は雲に隠れて見えなかった。

その後ドンドン雲が厚くなったが、幸運にも雲間に小豆島や瀬戸大橋・しまなみ海道が見えた。しまなみ海道を過ぎたあたりで入道雲とその下にスポットが当たったように夕立が降っている様子が上空から見えた。低空飛行で松山空港沖の小さな島々の集落を見ながら定刻で到着した。成田から松山までこんなに様々な景色を楽しめたフライトは初めてだ。後ろのカップルに聞くと何処を飛んでいるか私が教えない限り気付かなかったらしい、もっと口出しすべきだった。

指定された空港のパーキングスポットに行くと、車を預けた駐車場のマイクロバスが停まっていた。預けた車に乗り換え松山から夜の山道を実家に急いだ。曲がりくねった夜間の山道は対向車が当然現れて来て前が見えなくなり怖かった。実家の近くで当座の食料を仕入れ実家に着くと8時を過ぎていた。短い一時帰国がやっと終わった。家族に無事着いたと知らせ風呂に入った。

会社勤め時代に比べても実に忙しい5日間だった。最初の日は立川に行き免許証更新、午後は田舎暮らしの間に溜った書類を整理した。2日目は自宅の建て替えの為工務店との打ち合わせ、3日目は子供達との定例期中会議と家族が全員集合して誕生パーティと長男の熱中症騒ぎ、4日目は健康診断に資産売却と贈与手続き、最後の日は書類整理の続きと庭の手入れして出かけた。もう少し余裕のある日程にすべきだった。■
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