かぶれの世界(新)

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人生は挑戦の連続

2016-02-12 12:03:05 | 日記・エッセイ・コラム
失礼、分かり難い内容との指摘があったので書き直しました。

昨日の夕方、新宿のしゃぶしゃぶ屋で孫の2歳の誕生祝パーティに参加した。彼は少し見ないだけで随分大きくなった気がした。中々言うことを聞いてくれない5歳の上の子と二人の幼児の面倒を見ながら食事をさせ、自分達も食べる長男夫婦は見ているだけで大変だった。私達老夫婦にはもうそんなエネルギーは残ってないとつくづく思った。もう子供を育てるなんて無謀な挑戦は出来ないと。

このところ自宅建て替えと仮住まいの確保に引っ越しと大忙しで知らない間に疲労が溜っていた。私が元気な間に残された家族に残してやろうという判断は正しかったと思う。これより遅くなれば私自身が前面に立ってやりきる自信はない。もう無理はすまいと思っていたが、自宅の建て替えは全力で取り組むべき挑戦だった。

この間にも大袈裟な表現だが「生きて行くための小さな挑戦の連続」を受け、かつて得意だった領域なのにきちんと対応できない自分に失望の連続だった。そのもっとも典型的な例が私の生命線であるネットワーク接続だ。集合団地に引っ越して新しい光モデムが設置されたが、マニュアルを見ながら半日ばかり苦闘の結果無線接続が出来なかった。やむを得ず長いLANケーブルを取り出して有線でネット接続し用事を済ませた。

夕方息子が帰ってきて10分足らずでネット開通した、光モデムをひっくり返し裏側の製品名とパスワードを入力すればいいと事も無げに言った。私は難しく考えモデムに刺さっているWiFiアダプターを抜いてそこから情報を取り出そうと何時間も悪戦苦闘した。発想を変えることも出来なかった。情けなかった。

厳密に言うと、建て替えの建築会社や引越業者の選択、粗大ごみの処理まで私が前面に立ってやったというのは正しくない。私が決断して先に進めたのは事実だが、同居の息子がネットから得た適格な情報を基に私が全面に立って交渉して進めた。極端に言えば彼が方向を示し、私が汗をかいて実行した。

人間関係や交渉事は私の長い会社勤めから得たスキルだが、それだけでは確信が持てず上手くいかなかったかもしれない。家内が予想以上に張り切って時に鬱陶しく感じたこともあったが、女でなければ気が付かない助言も多かったのは認めざるを得ない。私の挑戦は家族の助けなしにはうまく行かなかっただろう。

世の中の仕組みが挑戦を助けるようにできている事も実感した。初めての経験をした時々に、自社のビジネスの為にならないが我々には有用な助言を色々と頂いた。例えば建設会社の事務員が作り付けより出来合いの家具を買った方が良い、リサイクルセンターの職員が電気製品をハードオフが無料で処理する、等々。組織の中の人がお客側に立ち導いてくれる、その道のプロの助言を引き出せる間はまだ挑戦出来るかもしれない。

話しは脱線するが、2日付の日本語版ニューズウィーク誌の記事「日本人の知的好奇心は20歳ですでに老いている」(舞田敏彦氏)が、日本の子供は世界的に学力が高いと評価されているが、成人は新しいことを学ぼうという意欲が世界的に極めて低いと指摘する記事に注目した。日本人は世界最高レベルの学力と最低レベルの知的好奇心を合わせ持つという特異な民族だという。

マスコミ報道でも報じるのは学力のランキングだけだが、日本の若者が挑戦しない傾向にあることは以前から知られている。視線を上げて考えると、若者のエネルギーレベルが低いということだと思う。その裏返しが若者の犯罪率が低いとか、政治への不参加で自ら変革していこうという姿勢が希薄なことと関連してくると思う。だが、世の中は若者にも老人にも平等に容赦なく挑戦してくる。国内で何とかなっても世界が押し寄せて来る。

その一方で、私はもう挑戦は打ち止めにしたい気分もある。今回の挑戦のめどがつけば、後は好きなことだけやって終わりとしたい気分もある。ところが老人にもまだ挑戦はやってくる。連日の市場暴落で金融資産残高は、我が家の建て替え予算を遥かに上回るロスになってしまった。今は落ち着いて考える時間などない方が良い。■
コメント
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