団地での仮住いでの生活に慣れて来たと思ったら昨夜我家に大事件が起こり、結果的には何もなく無事解決したが途中色々考えさせられた。
夕食時間になっても息子が帰ってこず音信不通になった。彼はいつも夕食時の7時前後に帰宅する。少しでも遅れる時はその旨メールで連絡をくれる。それが治療を受けている医者の勧めであり、我家ではそれが当たり前になっていた。しかし、昨夜は9時を過ぎても帰宅せず連絡も無かった。その頃から俄然心配になった。
私は勤め先が川崎ということか知らず、家内も会社名しか記憶が無かった。そこからネットを辿って職場に連絡したが通常の終業時刻に退社したという。ネットが無ければ最初のとっかかりから躓いていたはずだ。職場に残っている同僚に聞くと何も普段とは変わらなかった、唯一残された手がかりはシステム管理予定表に「予定あり」との書き込みがあったとのこと。しかし、社内の予定ではなかったようだ。
別居している二人の子供に連絡したが彼等も何も知らなかった。息子はスマホを忘れて行ったが、念の為にかけた携帯電話もメールにスマホは反応せず、どこからも返事が無かった。時計を見ると10時半だった。ついにギブアップして最寄りの警察署に電話して助けを求めた。
事情を一通り話すと再度110番しろと言われ、その報告が終わると近くの交番から若い警官が来て聞かれるままに詳しく状況説明した。彼はその後も時間をおいて2回来て追加質問した。更に指示されて110番に電話した。その報告のネタも尽きた。万が一の為息子と娘にそれまでの状況を報告し、後は連絡を待つだけとなった。
飲みかけだったワインを飲み干し時計を見ると12時半頃だった。最終電車がなくなる頃だ。家内にそろそろ寝ようと声をかけた時、玄関から物音が聞こえそれまで静かだった家内が「帰ってきた!」と小さい叫び声をあげた。「今迄連絡がないので警察のお世話になり大変だった。」と言うと、息子は「友人と飲んでいた、今日は遅くなると言ったじゃないか!」と顔をしかめて家内に向かって言った。だが、彼女は全く覚えていないと頭を振った。
すぐに110番に電話し、息子の帰宅と関係者への感謝を伝えた。その後、息子の勤務先の同僚に連絡し迷惑をかけたことを詫び、明日はいつもの通り出勤するだろうと伝えた。更に長男に状況を説明し終わると、風呂に入ってないのを思い出して一風呂浴びて床に就いた。妊娠中の娘には家内がメールを打った。
今朝目が覚めると家内も息子もいつもと変わらず既に仕事に出かけた後だった。何事もなかったように普通の日が始まった。だが、私はスイッチが入ったままだった。昨夜の5時間で私の現役時代のスイッチが入った。電話をかけ、情報をとり、次の行動を決め、実行する繰り返しを猛スピードで繰り返した。
息子に何か事故が起こったかもしれないという恐怖感より、感情抜きでテキパキ(私的には)手を打つ自分の姿に気付いた。息子を心配する気持ちより、情け知らずに目的に向かって機械的に対応する自分に驚いた。会社勤め時代に身に付けたルーチンワークだ。問題が起こると関係者から情報をとり分析判断、次の行動を決めて実行、そこから得た情報を基に全体像を描き、優先度をつけて出来るだけ早くこの繰り返しを続ける。
自宅建て替えで建設会社と交渉、仮住いを探して契約、引っ越し業者の選択契約と交渉を同時進行で実行していくうちに昔の会社勤めモードに戻ってきたせいかもしれない。人間関係を大事にしながら、感情的にならないよう物事を進めていく(時に意図的に感情を利用するが)、よく考えれば私の得意技だった気がする。その時は家は会社じゃないんだからねと家内に嫌な顔をされたが、今回はそれどころではなかった。
実のところ昨夜息子が帰り安心してから、寧ろ家内のことが心配になった。彼女は警察や勤務先とやり取りする間ずっと静かだった。息子に「今日は遅くなると言ったじゃないか!」と詰問口調で言われて小さくなった様に見えた。息子の部屋に行って「お母さんを責めるな、最近忙しかったし、耳が遠くなったり、物忘れしたり、認知の兆候とか万が一のことも考えろ。」みたいなことを言った。
私自身も恐れている認知症の始まりが彼女に起こってもおかしくないと思った。ホンの小さな症状が出てから、本格的な認知症まで5年位かけて徐々に進行するという。だとすればそう早い訳でもない。素人知恵の考え過ぎだと祈りたい。私?私自身は今回自宅建て替えの一連の活動で肉体的には疲れ風呂場で気が遠くなり一瞬危険な状態になり心配をかけたが、精神的には刺激を受けて若さを取り戻した気がする。■
夕食時間になっても息子が帰ってこず音信不通になった。彼はいつも夕食時の7時前後に帰宅する。少しでも遅れる時はその旨メールで連絡をくれる。それが治療を受けている医者の勧めであり、我家ではそれが当たり前になっていた。しかし、昨夜は9時を過ぎても帰宅せず連絡も無かった。その頃から俄然心配になった。
私は勤め先が川崎ということか知らず、家内も会社名しか記憶が無かった。そこからネットを辿って職場に連絡したが通常の終業時刻に退社したという。ネットが無ければ最初のとっかかりから躓いていたはずだ。職場に残っている同僚に聞くと何も普段とは変わらなかった、唯一残された手がかりはシステム管理予定表に「予定あり」との書き込みがあったとのこと。しかし、社内の予定ではなかったようだ。
別居している二人の子供に連絡したが彼等も何も知らなかった。息子はスマホを忘れて行ったが、念の為にかけた携帯電話もメールにスマホは反応せず、どこからも返事が無かった。時計を見ると10時半だった。ついにギブアップして最寄りの警察署に電話して助けを求めた。
事情を一通り話すと再度110番しろと言われ、その報告が終わると近くの交番から若い警官が来て聞かれるままに詳しく状況説明した。彼はその後も時間をおいて2回来て追加質問した。更に指示されて110番に電話した。その報告のネタも尽きた。万が一の為息子と娘にそれまでの状況を報告し、後は連絡を待つだけとなった。
飲みかけだったワインを飲み干し時計を見ると12時半頃だった。最終電車がなくなる頃だ。家内にそろそろ寝ようと声をかけた時、玄関から物音が聞こえそれまで静かだった家内が「帰ってきた!」と小さい叫び声をあげた。「今迄連絡がないので警察のお世話になり大変だった。」と言うと、息子は「友人と飲んでいた、今日は遅くなると言ったじゃないか!」と顔をしかめて家内に向かって言った。だが、彼女は全く覚えていないと頭を振った。
すぐに110番に電話し、息子の帰宅と関係者への感謝を伝えた。その後、息子の勤務先の同僚に連絡し迷惑をかけたことを詫び、明日はいつもの通り出勤するだろうと伝えた。更に長男に状況を説明し終わると、風呂に入ってないのを思い出して一風呂浴びて床に就いた。妊娠中の娘には家内がメールを打った。
今朝目が覚めると家内も息子もいつもと変わらず既に仕事に出かけた後だった。何事もなかったように普通の日が始まった。だが、私はスイッチが入ったままだった。昨夜の5時間で私の現役時代のスイッチが入った。電話をかけ、情報をとり、次の行動を決め、実行する繰り返しを猛スピードで繰り返した。
息子に何か事故が起こったかもしれないという恐怖感より、感情抜きでテキパキ(私的には)手を打つ自分の姿に気付いた。息子を心配する気持ちより、情け知らずに目的に向かって機械的に対応する自分に驚いた。会社勤め時代に身に付けたルーチンワークだ。問題が起こると関係者から情報をとり分析判断、次の行動を決めて実行、そこから得た情報を基に全体像を描き、優先度をつけて出来るだけ早くこの繰り返しを続ける。
自宅建て替えで建設会社と交渉、仮住いを探して契約、引っ越し業者の選択契約と交渉を同時進行で実行していくうちに昔の会社勤めモードに戻ってきたせいかもしれない。人間関係を大事にしながら、感情的にならないよう物事を進めていく(時に意図的に感情を利用するが)、よく考えれば私の得意技だった気がする。その時は家は会社じゃないんだからねと家内に嫌な顔をされたが、今回はそれどころではなかった。
実のところ昨夜息子が帰り安心してから、寧ろ家内のことが心配になった。彼女は警察や勤務先とやり取りする間ずっと静かだった。息子に「今日は遅くなると言ったじゃないか!」と詰問口調で言われて小さくなった様に見えた。息子の部屋に行って「お母さんを責めるな、最近忙しかったし、耳が遠くなったり、物忘れしたり、認知の兆候とか万が一のことも考えろ。」みたいなことを言った。
私自身も恐れている認知症の始まりが彼女に起こってもおかしくないと思った。ホンの小さな症状が出てから、本格的な認知症まで5年位かけて徐々に進行するという。だとすればそう早い訳でもない。素人知恵の考え過ぎだと祈りたい。私?私自身は今回自宅建て替えの一連の活動で肉体的には疲れ風呂場で気が遠くなり一瞬危険な状態になり心配をかけたが、精神的には刺激を受けて若さを取り戻した気がする。■