かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

日本企業の役員給与が負けている訳

2017-08-27 16:51:13 | ニュース
日本企業の給与は若手から課長まではアジア各国より上だが、部長で追いつかれ取締役で抜かれると今朝の日本経済新聞は興味深い調査結果を報じていた。かつて日本の大企業に所謂管理職で働いた私には心当たりが無くもなかった。15年前の体験からこうなっても可笑しくないと理解できる部分があると思った。

私は憧れの技術者の道を30代半ばまで辿りそこそこの評価を得た。その後開発部門の管理職を皮切りに若い頃は予想もしなかった分野の仕事を2年おきに順繰りに担当し、その度に課長・部長・・・と昇進した。だが、新たな仕事は謂わば素人で、その道の専門家である部下の働きで成果を出して評価される管理職になった。

その意味で私は企業内役職は上昇して行ったが方針を決めて結果責任をとるリーダーというより、無難に従来方針の延長線上で部下に頑張って貰い成果を出して評価されやった気になっていた気がする。だが、企業文化の異なる海外取引先との交渉を通じ異なるリーダーのあるべき姿を痛感したことがあった。

それは90年代末に韓国が通貨危機で打ちひしがれていた時、危機下でも交渉相手の韓国企業がリスクを冒して世界市場を予測し大胆に設備投資したのを知った時だ。一方、私の知る限り当時の日本のトップ企業は危機に瀕した訳でもないのに小さな国内市場規模の範囲でリスクのない投資の開発生産を計画していた。

数年後にその韓国企業は世界をリードする存在になり、最終的には日本企業はジリ貧になってそのマーケットから撤退する羽目になった。それだけではなかった。問題なのは、別の主要商品でも同じことが起こったことだ。気が付けば日本のハイテック企業は軒並み同じような状況となり後塵を拝することになった。

私から見ると、当時の日本の部課長管理職や役員はリスクを回避し無難な決断をし、役員も状況を認識してそれで良しとした。種明かしをするとお気づきの方もいると思うが、その韓国企業とはサムソンのことである。他人事のように言うが当時管理職だった私も同じ立場だったらリスクを取らなかったと思う。

仮に今でもそういう企業文化の延長線上に今日の管理職や役員達がいるとしたら、部課長を境に給与がアジア企業に追い付かれ役員で逆転するというのは至極当然だと思う。冒頭の記事を読んで私はそう思った。記事は日本企業の人材獲得が競り負けると危機を煽る論調だったが、その前にアジア企業と比べ管理職や役員の在り様について、何故給与に差がついたのか冷静に見直してみる必要はないのだろうか。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする