CIハイツ新春落語会のあとは、湯川邸で新年会がある。しかし将棋ペンクラブ一般会員の参加は少なそうで、私は若干躊躇している。
中二階の踊り場にいると、恵子さんが現れた。私の参加の是非を問うと、恵子さんは私に委ねるふうだった。私は迷ったが、参加することにした。
辺りを見ると初老の男性がおり、それが武者野勝巳七段だった。そこに、行きでいっしょになった男性が加わる。湯川氏一行は出発までまだまだ時間がかかるらしい。お二方は新年会の参加組で、散歩も兼ねて湯川邸まで歩いていくとのこと。それで、私もお供に加わらせていただいた。
男性氏は「Iriyamaです」と武者野七段に挨拶した。ただ、武者野七段を棋士とは認識していなかったようだ。
「将棋は引退しました。相撲の親方みたいなもんです」
和光市駅前まで来た。湯川邸は長照寺方面なので路線バスが通じているが、私たちは初志貫徹で、そのまま歩いていく。私も前回、長照寺まで歩いていったので、道は分かっている。
だが高速道路入口の手前まで来て、前回は左折したのだが、そのあとぐるっと戻った記憶もあり、私は「ここはまっすぐ行きましょう」とお二人を促した。お二人も湯川邸の常連で、異論はないようだった。
だがすぐに、道の両隣が高層マンション群になった。こんな光景は見たことがなく、明らかに道を間違えている。しかしお二人は堂々と歩を進めている。これは……?
まさかと思うが、3人が3人とも、誰かが正しい道に導いてくれている、と考えているのだろうか?
だとしたらこれ、迷子になっているぞ!?
Iri氏が、道行く人に道を聞いた。やはり、Iri氏も間違いを認識していたのだ。
私たちは道を左側に軌道修正し、その後も何人かに道を尋ねる。しばらく行くと、長照寺に出た。これで知っている道に出た。私たちはほっと一息である。
湯川邸は、とある公園の反対側にあった。純和風の佇まいで、味がある。中からは湯川夫妻が出迎えてくれた。
「あんまり遅いんで、ケータイに連絡を入れたんだよ」
と湯川氏。しかしオフにしていたりして、誰も出なかったのだ。私たち3人は、似た者同士だったかもしれない。
すでに新年会の用意はできていて、私たち3人はテーブルのいちばん奥に配された。
予想通り、中も純和風で、古民家の風情さえ漂う。なおこれは最大級の賛辞で、今は古民家に住みたくても住めない時代である。
湯川氏がみなに、私を紹介してくれた。私のみが新参者だったので、これはありがたかった。
Iri氏は詩吟界の重鎮で、前回の「おくのほそ道」でも参戦されていた。私はすっかり記憶が飛んでいた。
そのIri氏が私に、「あの女性はショーヤさん?」と聞く。ちょうや、という男性観戦記者は存じているので、「ちょうやです」と答えておく。……うん? ということは、蝶谷初男氏も来ているのだろうか?
「どういう字書くの?」
「蝶ツガイに谷で」
しばらくして、蝶谷氏を確認した。私が「将棋ペン倶楽部」に投稿したキッカケは、蝶谷氏からの激励のハガキだった。今回は図らずも、感激?の対面となったわけだ。
では改めて、席の配置を記しておこう。
女性 年配の男性 永田 蝶谷 小川 蝶谷夫人
岡松
恵子 武者野
博士 遊鈴の女友達 遊鈴 Iriyama 一公
永田氏は将棋ペンクラブ大賞贈呈式などで音楽を担当している。小川さんは表紙担当のデザイナー。岡松さんはフォトグラファーで、幹事。いずれも湯川夫妻と懇意にしており、こうしてみると改めて「将棋ペン倶楽部」は、湯川氏あってのものだと思う。
遊鈴さんの女友達は、高校の同窓生。ということは、湯川氏も合わせて、同窓生が3人揃ったことになる。
テーブルには美味しそうな料理が並ぶ。お赤飯以外は恵子さんのお手製で、なかなか手が込んでいる。
とりあえず乾杯。私は酒は飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
恵子さんはすぐに台所に立つ。アシストは岡松さんである。これから続々と料理が出てくるようだ。
蝶谷夫人から反時計回りに自己紹介を行っていくが、脱線続きでなかなか先に進まない。だけどそれが楽しいのだ。
卵焼きが出てきた。岡松さんがみなに取り分けていく。私も頬張るが、出汁が利いていて、美味だ。分かった。恵子さんは料理好きなのだ。これは湯川氏、いい伴侶を得たものだ。ただ、それがどんなに素晴らしいことか、湯川氏当人は気付いていないに違いない。
「今日はみんなありがとう」
と湯川氏。「今年もCIハイツで落語ができて、今年はひとつのテーマに絞ることもやってみたんだけれども、それも成功に終わってよかった。また来年もやれればうれしい」
「来年もやるって関係者が言ってなかった?」
と誰かが言う。これは確認するまでもなく、来年もやるだろう。
「おおそうか。今回も恵子とかよく練習してたけど、マクラ、マクラの部分は工夫しろ、と言ってきたんだ。俺たちゃあアマチュアなんだから、逆に言えばマクラを大切にしなきゃいけねぇんだよ」
そういえば、出演のお三方とも、マクラの部分はとくに面白かった気がする。
武者野七段は、焼酎の氷割りでチビチビやっている。その武者野七段に、羽生善治九段復冠の可能性を聞いてみる。
「それはすぐ獲るでしょう」
即答した。「あと10数期は獲るでしょう」
タイトルは獲るが、それでも10数期なのか――。ちょっとさみしい気もした。
「あ、先生は大山(康晴)先生と指したことありますよね? たしか1981年あたりの王位戦リーグで」
「うん、ある」
「どうでしたか? 大山先生のカンジは」
「すごかった。受けの先生かと思ったんだけどね、終盤で猛然と攻めてこられて、ビックリした」
こういう昔話を聞くのは楽しい。
「遊鈴さん、遊鈴さんの参遊亭は、なぜ数字の三じゃないんです?」
と、今度は遊鈴さんに聞く。
「アマチュアなんで」
アマチュアが「三遊亭」を名乗るのはおこがましい(制度上無理?)。そこで、一部の字を変えているのだった。そういえばこれ、以前もどこかで聞いた気がする。
(つづく)
中二階の踊り場にいると、恵子さんが現れた。私の参加の是非を問うと、恵子さんは私に委ねるふうだった。私は迷ったが、参加することにした。
辺りを見ると初老の男性がおり、それが武者野勝巳七段だった。そこに、行きでいっしょになった男性が加わる。湯川氏一行は出発までまだまだ時間がかかるらしい。お二方は新年会の参加組で、散歩も兼ねて湯川邸まで歩いていくとのこと。それで、私もお供に加わらせていただいた。
男性氏は「Iriyamaです」と武者野七段に挨拶した。ただ、武者野七段を棋士とは認識していなかったようだ。
「将棋は引退しました。相撲の親方みたいなもんです」
和光市駅前まで来た。湯川邸は長照寺方面なので路線バスが通じているが、私たちは初志貫徹で、そのまま歩いていく。私も前回、長照寺まで歩いていったので、道は分かっている。
だが高速道路入口の手前まで来て、前回は左折したのだが、そのあとぐるっと戻った記憶もあり、私は「ここはまっすぐ行きましょう」とお二人を促した。お二人も湯川邸の常連で、異論はないようだった。
だがすぐに、道の両隣が高層マンション群になった。こんな光景は見たことがなく、明らかに道を間違えている。しかしお二人は堂々と歩を進めている。これは……?
まさかと思うが、3人が3人とも、誰かが正しい道に導いてくれている、と考えているのだろうか?
だとしたらこれ、迷子になっているぞ!?
Iri氏が、道行く人に道を聞いた。やはり、Iri氏も間違いを認識していたのだ。
私たちは道を左側に軌道修正し、その後も何人かに道を尋ねる。しばらく行くと、長照寺に出た。これで知っている道に出た。私たちはほっと一息である。
湯川邸は、とある公園の反対側にあった。純和風の佇まいで、味がある。中からは湯川夫妻が出迎えてくれた。
「あんまり遅いんで、ケータイに連絡を入れたんだよ」
と湯川氏。しかしオフにしていたりして、誰も出なかったのだ。私たち3人は、似た者同士だったかもしれない。
すでに新年会の用意はできていて、私たち3人はテーブルのいちばん奥に配された。
予想通り、中も純和風で、古民家の風情さえ漂う。なおこれは最大級の賛辞で、今は古民家に住みたくても住めない時代である。
湯川氏がみなに、私を紹介してくれた。私のみが新参者だったので、これはありがたかった。
Iri氏は詩吟界の重鎮で、前回の「おくのほそ道」でも参戦されていた。私はすっかり記憶が飛んでいた。
そのIri氏が私に、「あの女性はショーヤさん?」と聞く。ちょうや、という男性観戦記者は存じているので、「ちょうやです」と答えておく。……うん? ということは、蝶谷初男氏も来ているのだろうか?
「どういう字書くの?」
「蝶ツガイに谷で」
しばらくして、蝶谷氏を確認した。私が「将棋ペン倶楽部」に投稿したキッカケは、蝶谷氏からの激励のハガキだった。今回は図らずも、感激?の対面となったわけだ。
では改めて、席の配置を記しておこう。
女性 年配の男性 永田 蝶谷 小川 蝶谷夫人
岡松
恵子 武者野
博士 遊鈴の女友達 遊鈴 Iriyama 一公
永田氏は将棋ペンクラブ大賞贈呈式などで音楽を担当している。小川さんは表紙担当のデザイナー。岡松さんはフォトグラファーで、幹事。いずれも湯川夫妻と懇意にしており、こうしてみると改めて「将棋ペン倶楽部」は、湯川氏あってのものだと思う。
遊鈴さんの女友達は、高校の同窓生。ということは、湯川氏も合わせて、同窓生が3人揃ったことになる。
テーブルには美味しそうな料理が並ぶ。お赤飯以外は恵子さんのお手製で、なかなか手が込んでいる。
とりあえず乾杯。私は酒は飲まないが、最初の1杯は美味いと思う。
恵子さんはすぐに台所に立つ。アシストは岡松さんである。これから続々と料理が出てくるようだ。
蝶谷夫人から反時計回りに自己紹介を行っていくが、脱線続きでなかなか先に進まない。だけどそれが楽しいのだ。
卵焼きが出てきた。岡松さんがみなに取り分けていく。私も頬張るが、出汁が利いていて、美味だ。分かった。恵子さんは料理好きなのだ。これは湯川氏、いい伴侶を得たものだ。ただ、それがどんなに素晴らしいことか、湯川氏当人は気付いていないに違いない。
「今日はみんなありがとう」
と湯川氏。「今年もCIハイツで落語ができて、今年はひとつのテーマに絞ることもやってみたんだけれども、それも成功に終わってよかった。また来年もやれればうれしい」
「来年もやるって関係者が言ってなかった?」
と誰かが言う。これは確認するまでもなく、来年もやるだろう。
「おおそうか。今回も恵子とかよく練習してたけど、マクラ、マクラの部分は工夫しろ、と言ってきたんだ。俺たちゃあアマチュアなんだから、逆に言えばマクラを大切にしなきゃいけねぇんだよ」
そういえば、出演のお三方とも、マクラの部分はとくに面白かった気がする。
武者野七段は、焼酎の氷割りでチビチビやっている。その武者野七段に、羽生善治九段復冠の可能性を聞いてみる。
「それはすぐ獲るでしょう」
即答した。「あと10数期は獲るでしょう」
タイトルは獲るが、それでも10数期なのか――。ちょっとさみしい気もした。
「あ、先生は大山(康晴)先生と指したことありますよね? たしか1981年あたりの王位戦リーグで」
「うん、ある」
「どうでしたか? 大山先生のカンジは」
「すごかった。受けの先生かと思ったんだけどね、終盤で猛然と攻めてこられて、ビックリした」
こういう昔話を聞くのは楽しい。
「遊鈴さん、遊鈴さんの参遊亭は、なぜ数字の三じゃないんです?」
と、今度は遊鈴さんに聞く。
「アマチュアなんで」
アマチュアが「三遊亭」を名乗るのはおこがましい(制度上無理?)。そこで、一部の字を変えているのだった。そういえばこれ、以前もどこかで聞いた気がする。
(つづく)