母畑温泉「八幡屋」のつるつるの湯大浴場と露天風呂を充分堪能
朝食バイキングも食べ過ぎで、日頃から運動不足の我々は、お腹だけが膨らんで・・この姿
部屋担当のお嬢さんなど仲居さんとスタッフが帰りの道をずらっと並んで見送ってくれた
東北道を一路、足利まで南下する、福島、栃木の県境を越えれば奥羽の入り口「白河の関」
白河城は戊辰戦争で会津藩と仙台藩が守っていた、守将は会津藩筆頭家老、西郷頼母
他家から養子として殿様になった松平容保とは意見が合わず、先祖代々この城の家老として
会津藩に尽くしてきた自負がある西郷は若い殿様さえも説教する力を持っていた
多分、容保は煙たがって西郷家老を白河に送ったのでは、「八重の桜」では西田敏行が演じていた
非戦を主張していた西郷には、おそらく闘志などわかなかったのではないだろうか、新政府軍の
4~5倍の兵力で、しかも有利な城にあったのに、あっという間に会津、仙台連合軍は崩れ去り
たやすく重要拠点の白河城を奪われてしまった
会津は四方八方に通ずる道があり、兵力分散の会津軍は不利であった、結局西の三春藩が
寝返り、友軍の二本松城も1日で陥落、頼りの長岡藩も陥落し東方、西方と南方を破られた会津は
城で持ちこたえて東北の諸藩の援軍を待つしかなかった、西郷頼母の家族、女子供幼児のことごとくが
短剣で喉や胸を刺して自害した悲劇もこの時起こった
今朝放送の「八重の桜」の再放送は、まさにその場面であった、会津武家屋敷にも人形で説明してあった
そんな思いを巡らせながら通過すると、その先は那須の原である、我が家のルーツが今も存続している地
広い原野が続く
約一時間遅れで足利フラワーパークへ到着、直ちに予約のレストランで昼食、煮込みのうどんが旨かった
ここの最大の売りは「巨大な滝のような藤の花」、今は季節はずれで花も少なくちょっとはずれだった
入場料も500円、最盛期の何分の一で客もまばらだった、でも探せば美しい花があるものです
さあ故郷目指して帰りましょう、東北道から北関東道、関越道、そして上信道、北陸道と乗り継ぐ
妙義山から軽井沢、上田近辺の山の紅葉は会津街道に負けないほどの美しさだった
まさに良い時に実行したものだ
日が暮れてきた、女子は今さら家で炊事する気も無し、途中下車で寿司屋に直行、ここで夕食となった
そしてまた高速で30分
故郷到着は夜8時でした、走行距離900km、マスヤンと私二人で運転してきました、お疲れ様でした
また来年が楽しみです。