神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

利他の心 人の生き方

2020年11月08日 09時39分14秒 | 宗教
京セラといえば稲盛和夫会長、10数年前に録音された経営の極意CDを今になって聞いている
数多い経営ノウハウかと思いきや、それは利他の心、仏の心、魂の浄化といった禅宗の説法に準ずる心のCDであった
とかく商人は利益を求め、売上を求め、毎日四苦八苦して走り回っている
かくいう私とて同じことで、目の前の出来事に目を奪われ手を煩わす、心より目の前の1000円に気が行ってしまう
この世は、お金持ちであればあらかたの夢は実現する、だが有り余るお金を持てるのは1%未満の人間だけだ
99%の人間は、お金を得るためにあくせくと働く、あるいは大多数は一定の範囲の収入に甘んじて生きている
ほかには生きるだけの収入さえあれば、あとはいらぬと、心の満足を求めて自然と共に生きている人々もいる
仏門に身を投じて、ひたすら真理の追及をする仏僧

人は輪廻転生を繰り返している、人が生まれてくるわけは、この世で魂の浄化をするためだという
あの世というものは、必ず存在する、それは魂の世界だと、日ごろからの私の自論に似た話で嬉しくなった
商売がうまくいく、経営が上手くいくためには経営テクニックより、利他=自分以外の人の幸せを願い、奉仕すること を優先すべきだと
僧侶は、そういう悟りを得るために耐え難い荒行を行うという、だが商人は社員と、その家族の生活を守ること、
それこそが利他の心で僧の荒行と同じ効果を生むという、それは善行の一つで、善行の積み重ねは因果応報、必ず良い結果を生むのだと
それは今日の因が、明日の果ということでなく、長い年月をかけて現れるのだ
窮地に陥っても、善行の因果がその傷を小さく抑えてくれる
本当は人も自然界の中で穏やかに暮らすのが一番良い、しかし都会のような欲望渦巻く中で生きていれば、そんな心も失われる
お金で得るものがたくさんある限り、大部分の人はそれを求め続ける、労働でしか食料を得ることができなかった時代は
生産労働者と搾取階級の二つだった、今の世とどちらがいいかと言われれば今の方がいいだろう、だが今の世でも苦しむ人は多い

人生の中で絶望的な場面が出てくるのは避けられない、そんなときでも絶望して命を絶ってはいけない
なぜ命を絶つかと言えば、それは追い詰められた心に余裕がなくなって悲観の渦の中に落ちていくからだ
ダメになっていく状況で、なんとか復活したい、取り戻したいという焦りが追い詰めていくのだ
ダメなものはダメだとあきらめて、心を穏やかにすることが肝心なのだと、人生にしても商売にしても、そういう心を持つことが大切なのだと

歳をとったら、血を吸う蚊を殺すこともできなくなったといった、私もこの頃、その気持ちが強くなった
野菜についている虫が愛おしい、足元を走るゴキブリに「ゴキブリに生まれたのは、お前のせいでないよな」と同情する
どんな昆虫も家の中で見つけたら殺さず、外の草むらに離す、その先の心配まではしないようにする
先日も、アスファルトでのたうっていたミミズを木の枝でつかんで草むらに離した
テレビで母熊を射殺された子熊が二頭、村の柿の木に登って、人が来ても気が付かず必死に柿を食っていたという
それも一頭は捕まって、もう一頭は逃げたという、哀れな話だと思った
熊が人を襲って死者も出た、これも切ない話だ、けれど山の集落の人が、今年はクマを200も取ったぞ、などと言う
一でこれだから、日本中で、どれだけのクマが殺され、しかも解体されて「うまいうまい」と食べられたのだろうか
人間こそが、すべての生物を襲うもっとも凶悪な生物なのだ、まさに自利のために他を殺すこともいとわない
生活のための殺生はすべての生物が行っているが、趣味として他の生物を殺すのは人間とわずかな動物のみだ
やはり人は何度も生まれ変わって、業を一つずつ消し去っていくしかないのだろう